原典聖書研究

ギリシャ語に興味ある方は「ギリシャ語」の書庫、 聖書関連記事は「無題」の書庫をご覧ください。

全体表示

[ リスト ]

略取した地

略取した地 創世記48章22節

聖書は良く読むと面白い書物です。それは何かと言うと、必ずどこかに反対の事が書かれているからです。今日の箇所もその様な典型的な箇所なのです。早速直訳を記します。

創世記48章22節ヘブル語原典直訳

22 ・ そして私 私は与えた にあなた 肩掛け(シケム=尾根?) 一 上 兄弟あなた 所は 私が取った から手の そのアモリ 中で 剣私の そして 中で弓私 

創世記48章22節70人訳ギリシャ語聖書原典直訳

22 ・ 私が も 私が与える あなたに シケム (ヘブル語シケム=肩掛け) 外に取ったを (ヘブル語は 一 )  超えて(上方) その 兄弟ら あなたの、 する所を 彼らは取った 出て 手 アモリらの 中で 剣 そして 短刀 そして 弓。 

一体どこが反対なのかお分かりでしょうか? 聖書を良く読まれている方には自明の事なのですが今日ご紹介した箇所と創世記の34章を比較して頂くと問題が判明するのです。そう創世記の34章ではハランの地からパレスチナ(カナンの地)に帰還したヤコブの娘デイナがシエケムによって監禁強姦された時謀略でその復讐をしてシエケムの町の男を殲滅したのでした。あの時、父ヤコブはその事に反対であった様な発言をしています。(創世記34章30節)しかし、今日の箇所では、反対にヤコブ自らが、剣と弓を使って漸くの事でシケムの町を略取したと言っているのです。

確かにあれから、今日の事が記されている時代までには40年近い歳月が流れているのですが 、だからといって ヤコブが老齢で思い違いをしている様子はありません。むしろヨセフの権勢があって始めて真実を言っても良い状況が起きている様な気がします。

所で、実は聖書にはこの他にも相反すると思われる、記述が多く見られます。例を上げればきりがないのですが民数記13章の一節にある「神様がカナンの地を偵察しろ」と言われたと記されている記述と申命記1章の22節にある「イスラエルの民の発案による約束の地偵察」の経緯は相反する様に見えるのです。いずれその箇所を読んだ時にお話ししますが、このような「一見すると矛盾」は殆どの重要な場面や教えにいずれも共通して存在しているのです。そして大抵の場合後から述べられている箇所の方がより真実を正確に表しているのも共通しています。

まあ簡単にその理由を説明しておきますと、こう言う事です。話す人、または見た人の立場が関係しているのです。在る出来事を右の人が見たとき左側に在る物は、その反対側に居る人からは左では無く右に見えます。これとよく似た状況が事実には存在する為、聖書はあえて相反する記述を正直に記しているのです。

今日は聖書を読む時に気をつけるポイントの一つのご紹介でした。

この記事に

閉じる コメント(0)

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

.


みんなの更新記事