原典聖書研究

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四面楚歌

四面楚歌 出エジプト記6章30節

今日もモーセの苦しんだ事が記されいている箇所です。早速直訳をご紹介します。

旧約聖書 出エジプト記6章30節 ヘブル語原典直訳 

30 ・ そして彼は言った モシエ に 顔の ヤハウエ 見よ 私は 包皮の 両唇らの そして どうして 彼らが聞く に私 フアラオ

旧約聖書 出エジプト記6章30節 70人訳ギリシャ語聖書原典直訳 

30 ・そして 彼は言った モーセ 対面して 主の 見よ 私が 力ある声 私は存在し続けている 、そして どうして 彼が確かに中へ聞く 私の フアラオ?

 翻訳は不要でしょう。年老いた羊飼いのモーセが日焼けししわだらけの労働者の顔に貧粗なみなりの上、貧しい羊飼いの職業を示す杖を持ってどんなに当時の世界の最高権力者のエジプト王のファラオに命令しても、そんな話しにファラオが耳を全く貸さないのは自明でした。

 勿論イスラエル人達も同様でした。本当にかわいそうなのはモーセです。神様には「ファラオに言え」と言われるのですが、誰一人モーセの語る神様の言葉に耳を貸す者はいなかったのです。 

 ここで結論を記しておきましょう。もし本当に神様の言葉を語ったなら、今日でもおそらく誰一人その人の言っている言葉に耳を貸す人は誰一人現れないでしょう。

  この結論、あなたはどう思われますか? 30年間牧師をしてきて、私はこの聖書の言っている事「もし本当に『神様の言葉=聖書原典の主張』を語ると、それを聞く人はいなくなる。」という仮説は正しいと本当に思います。

  嘘だと思われたら、あなたもギリシャ語やヘブル語で聖書の原典を正しく理解してそれを正確にしかも理解できる様に神様を信じている人々にお話して見られると、私の今言っていることが正しいか、あるいは間違っているのか、簡単に分かりますよ!!

しかし、人によって語られたその言葉が神の言葉であればその言葉自身が働いて20年後、30年後になって、それを聞いてその言葉を否定し無視した当のご本人の心の内にその神の言葉が働いて、神様がその事を語られていたことを分からせるのです。その様にして語られた言葉が集められたものが聖書なのです。

  今日は、神様の言葉を語ったモーセがイスラエル人にも、またパロにも一切聞いて貰えなかった事の意味することのご紹介でした。

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