原典聖書研究

ギリシャ語はギリシャ語の書庫や聖書関連記事は「無題」の書庫です。2018年5月29日より新投稿不能31日回復しました。

全体表示

[ リスト ]

神の嘘

神の嘘 出エジプト記14章5節ヘブル語原典直訳 

今日は神様が嘘をついてエジプトの王様ファラオが騙されたと言う箇所のご紹介です。早速何時もの様に直訳です。

出エジプト記14章5節ヘブル語原典直訳

05 ・ そして彼が布告した に追うの エジプト として 彼が逃れた その民 そして 彼が回転された 心 の ファラオ そして 奴隷ら彼の に その民  そして彼らは言った 何を これ 私達は作った として 私達が徹底的に送る事 を イスラエル から 奴隷する事私達

出エジプト記14章5節70人訳ギリシャ語聖書原典直訳

・ そして 彼が報告された その 王に その エジプトらの それは 逃れていた その 民。 そして彼は変わり戻された その 心 ファラオ そして その 奉仕するものらの 彼の 上に その 民、そして 彼らは言った 何故 この事 私達は行った その 外へ遣わした事 その 息子の イスラエル その 無い 奴隷させる事 私達に?

一体何が 「神様の嘘」かお分かりでしょうか? そう「彼=イスラエルがエジプトの奴隷から逃れた。」という聖書の記録が神様が嘘をついた紛れもない動かぬ証拠なのです。

神様は最初からイスラエルの民をエジプトから脱出させる予定でした。(出エジプト記3章10節) しかし、神様はモーセに対して「荒野に3日の旅をさせろ」とファラオに言う様に命じられたのです。3日の旅と言う事はすぐに家に戻ると言うことです。所が実際は永久にイスラエルはエジプトに戻らないのです。イスラエルはエジプトを脱出したのです。

これは明らかに神様の二枚舌、明白な嘘です。そして、エジプト王ファラオは見事にというか、沢山の災いに惑わされてイスラエル民族が3日の旅をする事を容認するのです。(出エジプト記12章31節)

そして、今日の箇所でイスラエルの民がエジプトの奴隷から脱出したことがファラオに知らされたのです。まあ、もし最初からファラオに「イスラエルの民をエジプトの奴隷から開放せよ」と話していれば嘘にはならないのですが、もしそうしていたらファラオはイスラエルの民の荒野への3日の旅を許可することはなかったでしょう。

簡単にこの顛末を正しく表現してみれば、「神様も目的の為に嘘も方便」というごく常識的な与え前のお話なのです。

しかし、こんなことをここに記すと、実はキリスト教会内では一大問題が生じてしまうのです。いったい何が問題かと言うと十戒の「第九戒め=あなたは隣人に対して偽りの証言をしてはならない。」を神自ら違反されたことになり、「神が罪人いや『罪神』」という結論を導き出してしまうのです。

というわけで一般のキリスト教会や神学者たちの間には絶対に言ってはならないタブーな発言をここに私は成したことになるのです。

しかし、誰が見ても明白です。これが神による嘘でなければ、一体「嘘とは何であるのか?」と言うことになってしまうでしょう。

私はこれは明白に神による嘘であり、エジプト王ファラオを神が騙したと言う事は紛れもない真実だと思うのです。

そして問題は何処に在るのかと言うことを見てみたいと思うのです。

そう、神様が十戒の第九戒めで命じているのは原文で見る限り「嘘」が禁じられているのでは無いのです。証拠に十戒の第九戒めの文章には「嘘」と言う文字は使われていません。十戒が明白に禁じているのは「偽りの証言」なのです。

「偽りの証言」は裁判で証人として召還された者しか出来ない行為ではないでしょうか。そして、そのような場で、人を有罪にする為にあるいは無罪にする為に、はたまた自分の利益の擁護の為に、自分がありもしない事や見もし無いことをあたかも見たかの様に証言することを禁じているのです。そして証言と言う言葉の詳しい意味は「目撃証言」という意味を示しているのです

そして、その偽り=真実ではない作り話や思い込みに加えて推測や希望など「=偽りの目撃証言」を語った結果、無実の人が犯人にされたり、真犯人が無罪とされてしまうのです。

そう、聖書=神様が禁じているのはこの「偽りの=真実ではない=証言」なのです。そしてこの事はもう一つの大変重要な意味を含んでいるのです。神様の願いはこの地上の人間に真実=実際に起きた現実を知らしめたいと願われているのです。

その意味で聖書は真理ではなく勿論心理でもなく、真実の記録なのです。そうして地上の教会には理想や絵空事の追求ではなく、一体何が真実であるのか。という現実が誠実に探求されることこそが神様の願いなのです。そして、残念なことに多くの地上の教会はこの神の聖書が大切にしている真実を真理という理屈に誤訳させて偽りの証言を弄し、うわべの聖さや立派さを開陳する虚飾の坩堝に堕している様に思うのです。

聖書の十戒の第九戒めでが教えているのは嘘ではなく偽りの証言、それも見ていないことを見たかのように装ったり、真実を覆い隠して虚飾を弄することの禁止なのです。ですからたとい神様がここで嘘をついてファラオを騙しても、それは矛盾でもなんでもないと言うことのご紹介でした。

この記事に

閉じる コメント(0)

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

.


みんなの更新記事