原典聖書研究

ギリシャ語はギリシャ語の書庫や聖書関連記事は「無題」の書庫です。2018年5月29日より新投稿不能31日回復しました。

全体表示

[ リスト ]

貧相は悪人?

イメージ 1

貧相は悪人? 士師記11章3節

今日は聖書翻訳者の頭の中がよく見える箇所でした。早速直訳です。

旧約聖書 士師記11章3節ヘブル語原典直訳

03・そして彼は逃れた イフタ(彼が開く)  から 顔らの 兄弟ら彼 そして彼は仮住まいした 中で 地の トオブ(善or幸) そして彼らは自分自身を集めさした にイフタ(彼が開く)  男ら 空ら(=素手、参考7:16,9:4,) そして彼らは出て来た 共に彼

旧約聖書 士師記11章3節70人ギリシャ語訳アレキサンドリヤ写本原典直訳

03・そして 彼は離れ走った イエフタエ 出て 顔の その 兄弟らの 彼の そして 彼は下に住んだ 中で 地 トオブ、そして 彼らが自分のために共に集まった 方に その イエフタエ 男らは 質素ならは そして 彼らは自分のために共に外に来た 共に 彼。 

旧約聖書 士師記11章3節70人ギリシャ語訳バチカン写本原典直訳

03・そして 彼は逃れた イエフタエ から 顔の その 兄弟らの 彼の そして 彼は住んだ 中で 地 トオブ、そして 彼らが共に逸らされた 方に イエフタエ 男らは 空らは そして 彼らは外に来た共に 彼。

旧約聖書 士師記11章3節ヘブル語原典意訳

03・遊女の子エフタは父の兄弟たちに家を追い出されて「善」と言う貧しい町に住んだ。すると彼と同じ境遇の貧しい人びとが大勢身をよせて一緒に生活をする様になった。

■ずいぶんと普通の翻訳と感じが違います。おそらく、これで「訳は良い」かと思います。問題となるのはエフタの周りに集まった人々です。原典は素手(or空)と言う言葉です。アレキサンドリヤ写本はこれを貧しい「質素な人びと」訳出していますが、現代の殆どの翻訳は「ごろつき」 や 「ヤクザ」と訳出しています。 以下に一例を上げておきます。

原典 手ぶららが 共に出てきた。
LXX 質素な人びとが 一緒に外に来た。
新改訳 ごろつき がであるいた。 
口語訳 やくざ者 が略奪を繰り返した。
新共同訳 ならず者 が行動をともにした。
WEB gathered vain fellows to Jephthah, and they went out with him. 

●確かに同じ士師記の9章4節では、自分の兄弟70人を殺害したイスラエル初代王のアビメレクの周りに集まった人びとに用いられています。彼が金で雇った人達が「空であった」となっています。この空の人々とシケムの人々の間で後から戦争が起きています。だから、もしかしたらこの箇所では「ごろつき」であったのかも知れません。しかし、もう一つの7章16節では「空」の壺と言う意味で使われています。やはりこの言葉の意味は手ぶら=無産階級を指していると言うのが正しいかと思います。

★そしてその事を思うと、歴代の聖書翻訳者の殆どが「無産者=ごろつき、ヤクザ」と言う決めつけで翻訳をしている事が大変気になります。

果たして資産を手に持たない空手の貧しい人は「ごろつき」や「やくざ」なので貧相になったと聖書が言っていると無条件に決めつけて聖書翻訳をして良いのでしょうか?

 私は反対だと思います。確かに貧乏な悪人がいる事は確かですが、悪いお金持ちも多いのではないでしょうか。

★そして聖書はどう見ても貧しい人びとを応援して、反対に地位も財産も名誉もある人びとを糾弾しているのではないでしょうか。

イエスキリストの山上の説教の出だしは「心の貧しいものは幸いです。」(マタイ5章3節、原典は霊の乞食は祝福されている)となっています。また主イエスの弟ヤコブは「神は貧しい者たちを選んで信仰に富む者とした」(ヤコブ2章5節)また、富む者に対しては一貫して否定的です(マタイ19章23節、ルカ18章23節、汽謄皀6章9節10節 、ヤコブ5章1節)

●今日の箇所もギルアデ(山地)の有力者であるエフタの兄弟達は自分たちだけが父の広大な土地を相続し、遊女の子エフタだけを差別してには何一つ与えなかったのです。そして、やがてこの山地がアモン人達に侵略され、その時になってエフタにギルアデの支配者にする事を引き合いにして辞退するエフタを漸く戦争に駆り出したのです。おそらく兄弟たちは戦争(=荷物の運搬が主な仕事)野営や厳しい山地や崖の行軍などとても出来なかったのでしょう。しかしエフタ達は肉体労働者として体力も危険回避のノウハウもそして何よりも野営に慣れていたのです。

エフタはその戦争に勝つ予定も自信も全くありませんでした。万が戦争に飼って一生還(勝利)する事など想像も出来なかったのです。しかし、万が一生還できたら、神様に自分の家から「いの一番に出迎えに来た者=最も自分を愛し待ち焦がれている者」を祭壇で焼き尽くすという誓願をして出陣したのです。

★あり得ない大勝利の生還を果たしたエフタを迎えたのは最愛の一人娘でした。おそらくエフタは自分の妻が「いの一番に迎えに来る事」を期待していたのかもしれません。

そして二月後彼は主に対する誓願を言葉通りに果たしました。愛する娘を神様の祭壇で生きたまま焼き焦がして生贄にしたと聖書は記しているのです。

エフタの人生を思うとき、本当にどうすべきであったのか考えさせられる事が多いのが今日の聖書の箇所でした。

この記事に

閉じる コメント(0)

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

.


みんなの更新記事