原典聖書研究

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空襲警報発令の遅延に起因する犠牲者数の増大とその隠蔽

海軍工廠は技術将校たちの管理する組織であった。それゆえ、彼らは工廠内で唯一海軍の通信網を介して、空襲情報を知る立場にあった。また同時に、民間人の退避を指示できる唯一の立場にあった。

しかし、彼らは自分が助かりたい一心で、避難する人々によって工廠の通路という通路が避難する人々で塞がれ自分達が軍用車両で広大な工廠出口に到達する時間が無くなるのを恐れたのだ。

また当然、軍の上層部から「空襲時は一銭五厘で徴用された工員などどうでもいいから、軍の機密情報や設計図面などの持ち出しを最優先せよ。」との指令があったであろう。しかし、機密情報の疎開等は、いくらでも事前になす機会があった、当時既に豊川海軍工廠は疎開を開始していた、また他の工廠の空爆状況も十二分に把握していたのだ。如何なる事情を考慮しても、工廠空襲の通報を受けてすぐ、空襲警報を発令し自分達と同様に総員廠外退避の指示をするべきであったのは自明だ。もし、敵爆撃機の進路が判明し、その通報を受けた段階で即座に空襲警報を発令していたら、第一波到来まで約5分、そして最後の第12波爆撃が始まるまでに30分を越える時間があった。爆撃が始まる前であれば一斉放送による総員工廠外退避を拡声器で一斉放送する事が出来たのであった。しかし、空爆が起きてからでは拡声設備による放送は爆撃機の騒音で掻き消され、サイレンによる空襲警報では単に通常の簡易な防空壕退避だけとなるのであった。工廠の防空壕は一般の物よりは堅固であった。しかし、焼夷弾や機銃射撃は避けらても、高性能500ポンド爆弾の凄まじい破壊力の前にもろくも崩れて、生き埋めによる犠牲者を多くする為に役立っただけであった。

一度鳴りかけて止まった空襲警報のサイレン
空襲警報に関して父は気になる一言を残した。それは、豊川海軍工廠大空襲の当日、始業まもなく「一度空襲警報のサイレンが鳴りかけて止まった」と言うのだ。今の途切れたサイレンを何事かと思ったが気にしながら作業を続けたと言うのである。その、空襲警報が鳴りやんだ直後、技術将校らが乗り込んだ軍用車両が急発進して工廠出口に走り去ったのであった。途中で鳴りやんだ空襲警報のサイレンは工廠首脳部の空襲に対する対応の混乱の実体を解明している様に思える。技術将校達の中には事態の緊迫を認識し、上官の指示を無視するか、あるいは指示を待たず急いで総員退避を指示すべく空襲警報のサイレンを起動した方がいたのだ。しかし、当然その近くで操作を見ていたであろう上官がサイレンを停止させたのだ。その理由は明白だ。自らの命が助かるには、空襲警報を停止させ、自分の工廠外退避を優先する以外にあり得無いからだ。当然そのことを認識して、直ちにサイレンの停止を命令したのではないだろうか。これはあくまでも私の想像だが、空襲警報の誤報や誤操作などは起こり得ないのであるから、その様な混乱が工廠中枢部に起きていたと見る事は適切だ。その事は爆撃による犠牲者に対して重大な責任が工廠中枢部に存在している事を示している。空襲警報の停止を命じた者は自分が恐ろしい爆撃から助かる為に、広大な工廠出口に至る長い避難路の確保が最優先出である事を十分理解していたのだ。自分が助かるか、3万人を越える工廠勤務者の退避を優先するかと言う瀬戸際に追い詰められたのだ。自分が助かるには工廠に勤務する全員の命を重爆撃下の恐怖に晒し、その結果多大な犠牲者が出る事は必要だと判断したのだ。これは軍規上の問題を越え、人間としての最低限の規律である人道に背く悪魔的な背信行為だ。多くの人の生きる権利を奪うべく、空襲警報を停止させた司令官は豊川爆撃の全犠牲に対する責任を自ら進んで背負い込んだのだ。あえて言うが、もし神様がおられるなら、当然その行為によって生じた全ての地獄の苦悶に匹敵する報復をされていることだろう。聖書によればその報いは30年あるいは60年を経て2倍、3倍となり、当人ではなく最愛の家族や親族への不幸となって、肉体や精神がむしばまれる生き地獄が周囲に生じている事であろう。

早期に空襲警報が発令され総員が退避出来ていたら
もし、総員工廠外退避が適切に指令されていたら、空襲の初期の段階で殆どの人々が避難を完了できたであろう。そうすれば本当に、大本営発表程度の2500名たらずの犠牲数で爆撃の被害をとどめる事が出来たであろう。そのことを思うと豊川海軍工廠の工廠長をはじめ以下技術将校全員は敵前逃亡犯として軍法会議に付されるのが相当だ。敵前逃亡罪なのだから、当然死刑の判決が下されてしかるべきである。しかし、彼らにとって被害があまりに甚大で殆どの人が爆撃で死滅した事が幸いした。彼らが敵前逃亡したのを目撃した証人は、ほぼ死に絶えたのだ。証人がいなけれは、敵前逃亡が発覚する事は無い。そして、酷い被害とその責任が自分に在る事を認識したくない深層心理は被害者の実数確認をしたくないという誘惑を起こさせた。犠牲者の総数が過少に報告されている事は、助かった数少ない人々の手記を見ると明らかだ。実際、助かった人々の手記には必ず犠牲者名簿に記載されていな同僚が多くあったと記している。彼らは、実際の犠牲者は公式の記録を遙に越えていると随所で告発している。父の部署では空襲の後に登廠を確認できたのは爆撃前の1/10に満たなかったと言う。殆どの仲間は爆撃の犠牲となったのだ。父は自らあの大惨事の中多少の打撲と擦り傷だけで生還したことが不思議だと言っていた。工廠幹部は関係書類が爆撃で全て消失してしまったのを良い事に、自分の犯罪の証拠となる犠牲者を隠蔽したのだ。さらに終戦のどさくさに便乗して、自己の不利益になる全ての事に「頬被り」を決め込んだのだ。その結果、彼らの悪質な戦争犯罪が白日の元に晒される事は免れたのであった。そうして、この事実は闇から闇へと葬り去られた。

敵前逃亡した者のその後と生涯における父の苦悶
 当時の工廠幹部はやがて派遣元の企業に召還され、また企業や様々な研究機関に招かれた。在る者は持ち合わせた機密情報を占領軍に引き渡して保身に腐心した事であろう。その後、彼らの多くは文字通り出世し、地位も名誉も得、めざましく発展する戦後日本を代表する企業の経営者や、研究者として名を馳せた事だろう。輝かしい自己の戦中の業績は言いふらしても、その欺瞞によって犠牲となった多くの人々の惨劇は躊躇なく忘れたのだ。そして、戦中に大罪を犯した人に限って、戦後も世渡りが上手く出世し、軍部から仕入れた様々な情報や技術を無断盗用して企業業績を上げ、莫大な利益を創出したことであろう。しかし、その影で戦争の犠牲とされた多くの者は、悲壮な日々を過ごす事を余儀なくされた。当時はまだPTSDなどという概念は一般には知られていなかった。その為、父はいつまでたっても豊川での断末魔の恐怖の体験から抜け出すことが出来なかった。想像を絶する悲壮な事件や犯罪の犠牲者は、自らその現実を直視し、それを受容し、治療に向かう事は出来得ない物なのだ。自らも、そして周囲からも何の理解も得られ無かった。そして、父は幼子を三人抱えながら働く意欲のわかない自分自身のふがいなさをどうすることも出来ずに苦しんだ。その原因が豊川で遭遇した断末魔の極限状態の後遺症であるという認識も無く、84年の人生を静かに終えた。

あれは、忘れもしない平成11年11月11日の事であった。父は以前私が通っていた自宅近くの教会に集い、入信し洗礼を受け、それからはや20年の歳月が過ぎた時であった。風邪をこじらして肺炎を併発して近くの市民病院に入院した。10日程の患いの後、呼吸困難となったのだ。息を引き取る間際の時であった。父は苦しい息の中から、看病していた家族や病院の方々に「有り難う」と言う一言を残して天国に帰って行った。葬儀は、かって私も通っていた自宅近くの小さな教会でささやかに行った。

 もし、父がこのような悲惨な経験をしなければ、戦後も今まで通り普通に商売をして、我が家も普通の家庭となっていたであろう。もし、我が家があのような貧困に投げ込まれなけれは、おそらく家族は皆普通に生活し、学歴を得て普通の社会人と成りえたであろう。そうして父も、何不自由なく生活し孫に囲まれて、社会や生活に何の疑問ももたず生涯を終えたであろう。

父の生涯の苦渋がもたらした家族のキリスト教入信
しかし、神様は父にあえて壮絶な戦争体験を与え、その中で、死と生の狭間を通らした。そして、更に戦後の復興と繁栄の中、周囲の人々の華やかさの影に、戦争の悲惨さを体験したが故に取り残されてしまう惨めさを嘗めさせた。その過程で、様々な人間の身勝手や浅ましさをつぶさに見させられた。貧困の中で多くの悲しい体験を家族全員は否応なしに経験した。忘れられないのは小学や中学の担任の教師の偏見の数々である。見すぼらしい私に対する心ない差別的で非礼な言葉の数々は今も多く脳裏に焼きつき思い出す毎に怒りと悲しみが染み出してくる。親戚や近所の人々の仕打ちも殺伐としていた。強者にはおもねるが弱者に対しては牙を剥く人間の残酷な内心のおぞましさである。そのような積み重なる体験の中で、自然と人間不信の確証が育まれた。そして、その人間への不信は、神様への信頼へと向けられるように心が変えられた。その結果、私も、また母も、そして父も、聖書を読み、その中に書かれていることに目を止めるように仕向けられた。人間の罪深さは聖書の主張通りである。そして神様の言葉は真実その物で、「慰めと義しさ」に溢れてる。これらを悟らされたのは、父の戦争における悲惨な体験が原点になっている。そして同時に、人間の罪さえもご自身の目的をなし遂げるために用いられる、「神様の御業が父の上に起きたのだ」と今思わされる。 

概略  http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/23515336.html
その一 http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/23536425.html
その二 http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/23608816.html
その三 http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/23634168.html
補足 http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/23634234.html

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神のみ業が理解できません。
神がおられるとしても、そもそも人間を作られた動機なるものは、人間が考え出したことのように思えます。
人間は神によって命を与えられたのだから感謝と賛美と栄光を帰しなさい。 神の特質を知って愛しなさい。
昔、生んでくれと頼んだ覚えはないと親に楯突きました。 今創造主にそう言いたい。 人間の存続の一環の一人として生を受け、やがて死ななければならないこと。 死ぬ定めなら生まれたくなかった。
感謝する謂れは無いと。
聖書を齧って一時は、自分は間違っていたと悔い改めたつもりでした。 削除

2008/11/27(木) 午後 4:04 [ junn ] 返信する

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続けさせてください。
今、70を越えて思います。 早くに母を亡くし、就学まで親戚に盥回しにされ終戦で父が北朝鮮から引き上げてくるまで(小2)親と暮らせなかった。 誰にも抱かれた記憶もなく(おんぶされた記憶が2度) 幼子として愛された覚えもない(もともと感受性に乏しかった?) 父は仕事人間、起きてから寝るまで両親、妻、年下の兄弟姉妹、4人の子供の大家族ために働き詰めだった。
衣食住に関してはそこそこ、飢えもせず、裸でもなかった。
成人しては、振り返って見ると歓喜も、どん底も経験せず、もはや死も恐れてはいない。

愛することは愛されて身に付くと教わって得心した。 二人の子供を淡々と育て、その子供も淡々と時代に形作られた今様人間となっている。

地球は神の箱庭。 神のおもちゃ。 ご自分の楽しみのために創り、ご意思に沿わなければ壊すだけ。
これが違うと言うなら、真理を得損なっているのでしょうか? 削除

2008/11/27(木) 午後 4:06 [ junn ] 返信する

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junn様へ
>地球は神の箱庭。 神のおもちゃ。
たしかに神の箱庭ですが「おもちゃ」ではなく本物です!! 「あなたを酷い目に合わせたのは神様ではなく人間である。」と言うことに納得頂けるでしょうか?
では問題は何故神様があなたを酷い目に合う事を防がなかったのかと言う事ではないのでしょうか?

その回答は「あなたが人間に絶望し、神様を求めざるを得ない様にするためです」

ということは神様があなたを捜して見つけられたと言うことなのです。

直接神様にお祈りして見られたらいかがでしょうか!!

神様「何故私を探されたのですか?」と!!

残念ながら私には神様が何故あなたを探されているのはは分かりませんから!!

2008/11/27(木) 午後 5:06 [ 油食林間 ] 返信する

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