原典聖書研究

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以下は現在の豊川海軍工廠や関係のホームページへのリンクです。
http://underzero.net/html/tz/tz_253_1.htm

http://www1.linkclub.or.jp/~oya-wm/toyokawafile/toyokawa.html

http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kusyu-toyokawa.htm

http://www2.ttcn.ne.jp/~heikiseikatsu/index.html

豊川海軍工廠の犠牲者数に関しては以下の豊川市平和都市宣言「二千五百余名」に異議あり大島信雄氏の言葉をご覧ください。 (残念ながらこのページは最近削除されてしまいました。)

http://www02.so-net.ne.jp/~oshimamd/kaika/t7616.html#TOP

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 豊川大空襲犠牲者総数に関しての私見 

豊川工廠大空襲の犠牲者2500余名は豊川稲荷に隣接する「豊川海軍工廠戦没者供養塔」の台座に刻まれた犠牲者名の数にすぎない。その氏名を挺身隊や学徒動員名簿の実数と比較すると実際の犠牲者数の1/10以下と推測される。私が、清水市在住のおり1983年に豊川市を訪れその数を確認した。その旨を父に話したが、言下にその犠牲者数を否定した。「豊川空襲の犠牲者はその程度の軽微な被害ではなく、実際に自分が犠牲者の遺体埋葬に携わった日数から換算して2万あるいは3万名を越す甚大な被害であった。」と証言した。様々な犠牲者名簿の比較に加え、工廠幹部の敵前逃亡の隠蔽工作を勘案すると、犠牲者の実数はやはり3万名を下らないと推論される。

犠牲者2から3万人の根拠
その根拠を上げると、爆死した八南国民学校の児童22人のうち、供養塔に名が記されているのはたったの2名のみである。他にも同様の例があり、それらを参考にして犠牲者の実数は大本営発表の2500名の10倍以上で約3万人と結論するのが妥当と思われる。大本営発表の恒として戦果は拡大粉飾され、被害は過少どころか常に軽微とされた。ミッドウエー海戦の戦果発表を初めとする、大戦中の日本国民に開示された全て過大な戦果と実体を無視した僅少な被害報道の例を見れば自明である。3万名が過大であるというご意見に対して、その内訳として次の事を勘案したい。当時の工廠は国家総動員体制下にあって、昼夜3交代勤務による24時間操業中であった。当日の工廠勤務者中の日勤者総数のみで約3万名であった。彼らの殆どは工廠から退避する事が出来ずに工廠内で死亡したと思われる。犠牲者はそれだけではない、周辺施設や宿舎に加えて豊川市街には夜勤の4万人近い交代要因も居住していた。その中にかなりの重複はあるが、父の様に豊川市は空き家は皆無でやむなく遠隔地の豊川市域外に住居を余儀なくされた人も相当数あった。空襲時点に豊川市街と工廠に置ける昼間総人口は、当時の豊川市の人口と市外からの通勤者の合計であるから、10万名をかなり超過していたと見るべきである。勤務中で無い方々の多くは工廠の周辺で投下爆弾で犠牲となった事が知られている。それらの勤務時間外に被害を受けた方々も犠牲者総数に加えられなければならない。特に第二波の爆撃以降は猛爆の爆煙で目標が視認できず、かなり広範囲に爆弾が投下される結果となった。実際、工廠内に投下された爆弾は投下総数の約1/2程にすぎない。投下総数3253発中工廠内に確認された爆裂孔1537と二俣市に投下された14発を引いた1602発は豊川市街に投下されたと推計される。空爆当時、工廠関係者を加えた昭和19年末の豊川市人口は9万2千人に膨れ上がっていた。仮に不発弾を数%見込んだとしても、莫大な量の高性能新型爆弾が防空体制が不備で、無防備な市街地に空襲警報発令とほぼ当時に投下炸裂したのだ。それゆえ、豊川市内での犠牲者もかなりの数に上ったことは自明だ。

豊川市による空襲犠牲者調査がされない理由
不思議な事に豊川空襲の被害実体は、一度として市当局によっても、また工廠側によっても調査されていない。終戦のどさくさがあったので致し方ない面もすこしはある。実際豊川海軍工廠空襲の前年(昭和19年末)の豊川市人口は91916人で翌年(昭和20年末)には49538名に半減している。この時点では工廠の関係者がかなり市域に残留していたと思われる。さらに、空襲の犠牲者総数は市外からの工廠通勤者も加えなければならないが、空襲の当該年度の豊川市自体の人口減少数は42278名である。その内訳は、ほぼ豊川海軍工廠の閉鎖による転出と空襲による死亡者である。豊川市には当時の死亡届けと、転入出届けの記録が残されているのだ。その存在は多くの人に知られ、史実の確認に閲覧が個人情報保護法施行前に幾度か要請された。しかし、いまだに空襲時の死亡届けと転入出届けは調査も開示もされていない。誰も不利益を被るはずの無い戦死者数に関する基礎情報の開示ができない正当な理由など在るはずが無い。豊川海軍工廠の門前町として成立した豊川市が工廠の意向に沿わない市政は行い得なかったという当時の事情は理解できる。しかし、終戦後も長年豊川市は大変重要な戦争犠牲者の調査をあからさまに忌避し続けている。当局が当然成すべき空襲犠牲者の正確な調査も開示もできないと言う事は、公表されている犠牲者総数が実体とかけ離れている事を示している。その様な嘘を市が長年公表してきたという責任問題に発展することを恐れる以外に理由は考えられない。

結論
以上を全て勘案して、豊川海軍工廠大空襲における犠牲者総数は全く解明されていないと結論されなければならない。豊川大空襲の実体は軍事機密の壁に守られて歴史に記録をとどめられる事は無く、当事者らの利益の為に抹殺されたのだ。

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    誤解の無い様に最後に一言付け加えたい。豊川大空襲で無責任に持ち場を放棄して多くの人から生きる機会を奪った戦争犯罪を断罪するつもりはない。
所詮、人間は全て罪人。神の前に罪の無い人は無いと聖書は教える。もし、私が当時の工廠の警報発令責任者であったら、同様の行動を選んだ。私は、その行為によって、貧困を嘗め様々な苦しみを味わったが故に、その原因となった行為を非難する資格があるに過ぎない。

私は、全ての人が神の前に自分の罪を認め、人の前にその罪を告白し、私の父と同様に罪から救われた者となり、死の後に天国へ迎えられる様に願っている。
       
  もし、豊川工廠で敵前逃亡して守った大切な命が、今もながらえていたら、高齢で残りは僅か。この地上で天国を味わえても、真の地獄に落ちては大損害だ。足腰が立たなくなる前にキリスト教会の門戸を叩き、赦されざる大罪を告白し、罪を赦されて「天国へ招かれる資格」を得ていただきたい。

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概略  http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/23515336.html
その一 http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/23536425.html
その二 http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/23608816.html
その三 http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/23634168.html
補足 http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/23634234.html

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油食林間 さん、貴方のお父さん、それに貴方も壮絶な経験をなさったことが今日このブログを読んで初めてわかりました。それ以上の言葉はありません。ただ愕然としております。貴方が本物のクリスチャンであるのは、お父さんの地獄を見た経験があったからだというような無責任なコメントしかできません。今後ともよろしくお願いします。木庵

2008/12/5(金) 午前 8:37 [ 木庵 ] 返信する

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木庵様 長いものをお読みいただきありがとうございました。 クリスチャンに本物と偽物があるのかどうかは知りませんが、父のおかげで世の中や世界の本質を知ることが出来たことだけは確かです。こちらこそこれからもよろしくお願い致します。

2008/12/5(金) 午後 8:16 [ 油食林間 ] 返信する

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