原典聖書研究

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「モーセの十戒」解説

「モーセの十戒」解説

 新旧両約聖書の中で最大の人物はやはりモーセです。分量その物も多いのですか大切なのはその内容です。彼以後の旧約聖書や新約聖書のそれぞれの著者が書き残したものの聖典性の基準とされたのがモーセの記した文書との整合性でした。端的に言うならばモーセの記した五書こそ「聖書の中の聖書」と言えるでしょう。その中で最も中心となる原則がこのモーセの十戒です。映画にもなり、キリスト教のみならず、ユダヤ教、イスラム教の教典クラーンにも含まれており世界人口の過半数はこのモーセの十戒を国家や社会の存続の原則、あるいは「前提」としています。具体的に言えば法治国家の犯罪とされる行為に関しては法律には規定はありません。法律には「殺人」、「窃盗」、「詐欺」などの行為が触法行為として犯罪の構成要件は規定してありますが、何故これが犯罪なのかは規定は記してありません。そんな事を法律が規定する事は所詮不可能です。その法律の前提として「殺すな」、「盗むな」、「偽証するな」と言う原則として存在しているのがこの「モーセの十戒」なのです。

  それだけではありません、いずれの近代国家であってもその国家の基本理念はモーセの記した原則の範囲内と言えるのではないでしょうか。たとえば近代国家の三権分立その物はこのモーセ五書の基本原則その物です。ただ言葉は司法立法行政ではなく、モーセ五書にイスラエルの古代国家の構成要素としての基本用語である祭司(司法権=含む教育権)、預言者(立法権=含む告発権)、王(行政、軍事権)と言う古代国家の形態に置き換えると全く同様の国家概念となります。 

  さて、その様な事を踏まえてこのモーセの十戒そのものが一体何を規定しているのかを端的に見ていくことに致しましょう。

十戒の文言に関しては昨日の記事を参照してください。 URL: http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/2277787.html

第一戒 「神以外の神格化禁止」(3節)

第二戒 「神像構築崇拝の禁止」(4節)

第三戒 「神名乱用の禁止」  (7節)

第四戒 「神礼拝の厳守」  (8節)

第五戒 「父母尊重」(12節)

第六戒 「殺人禁止」(13節)

第七戒 「姦通禁止」(14節)

第八戒 「窃盗禁止」(15節) 

第九戒 「偽目撃証言の禁止」(16節)

第十戒 「欲望に基づく行為の排除」(17節)

以上です。これらは有機的に関連する人間の存在を規定しています。第一戒は人間が目標とするのは「神」である事の原則です。これが喪失すると第二戒のイメージが発生します。イメージ(偶像等)と訳されるのははヘブル語のツエレムと言う言葉で「切断面」を意味します。これは物事の一瞬や一面を表す言葉です。物事や全体の中から自己の概念によって理想(自己の利益)に合致した偶像(イメージ=人を創造した神の意図の否定)の為に動員する様になります。これは具体的に神を概念化(愛の神としてホータブル=軽便な神の自己目的利用)してそれに自己が奉仕し、また他者に自己の理想イメージへの献身を強要して自己実現や自己のイメージに他者を恭順させて自己の神格化という目標の為に神像(イメージ)や他者を活用します。
  そして、そのために第三戒に記されている「神名乱用」を引き起こすのです。具体例を上げると分かりやすいでしょう。権力者や富裕層の人々が自己の所持する文物が全て神の祝福であると人に思わせ、実際は搾取や詐欺によって不当に所有している現実を隠蔽する手づるとなるのです。王権神授説などはこの神名乱用の顕著な実例です。 
  これらの十戒違反行為が進むと末期的な症状が現れます。まず両親の軽視です。第五戒が規定しているのは、父母への尊敬等ではありません。この箇所(12節)の直訳を見てください。「徹底的に重くする」と言う言葉が二重に強調されています。これは70人訳の方では「価格する」とも「給料を払う」と言う意味のテイマオーと言うギリシャ語に訳出されています。端的に言うならば両親の行為を評価する事を意味しています。そしてその判断や意志を尊重する事です。端的に言うとここで言われているのは「老いては子に従え」という世の常識ではなく、「長い時間をかけて出された結論(=父や母の意見)のほうが神の意志に近い」という事を教えているのです。若い人の判断は一時的に正しく利益をもたらす様に見えるが、長い目で見る=両親の意見の方が神の意見に近いと言うのです。そして、「目先しか見た事の無い若いあなたには両親や神の規定は間違っているかに思えるだけだ」と言っているのです。 

 続く 第六戒から第九戒めまでは他者の権利の擁護です。他者の権利で第六戒は「生きる権利」第七戒は子供が両親によって安全に育まれる権利です。第七戒は他者の所有権の擁護です。第九戒の「偽目撃証言の禁止」はこれらの自己の罪責の発覚を隠蔽する為に無実の人に罪を負わせ偽の確たる証拠を開示(犯人だから犯人意外知り得ない証拠も人に押しつける事が可能)する事を禁止しているのです。冤罪の背景には真犯人による多くの偽証言がなされ、それを見抜く資質の無い周囲の人々や警察官や検事や裁判官の無能が冤罪の要因を構成しています。そして、以上の9つの戒めを要約しているのが最後の第十戒です。「欲望に基づく行為の禁止」いわゆる「需要の喚起」販売キャンペーン等は此の最たる違反です。何故なら人に不要な物を欲しがらせて自己の実現を達成する神の前の犯罪の帰結だからです。 

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