原典聖書研究

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祝呪の逆転

祝呪の逆転  士師記17章13節、18章27節 

今日はサムソンの次に聖書が記している混迷の時代の記録の箇所を読みました。17章が短かったので18章と合わせて読みました。早速直訳です。

●旧約聖書 士師記17章13節、18章27節 ヘブル語原典直訳 

13 ・ そして彼は言った ミカハ 今 私は知った として 彼が善さした ヤハウエ に私 として 彼が存在する に私 そのレビ に祭司
27 ・ そして彼らは 彼らは取った を 所の 彼が作った ミカハ そしてを その祭司 所は 彼が存在した に彼 そして彼らは来た に ライシ に 民 平静している そして 安心する そして彼らは撃ち殺さした を彼ら に口の 剣 そして を その城塞 彼らは焼いた 中で大火災

●旧約聖書 士師記17章13節、18章27節 70人訳ギリシャ語アレキサンドリヤ写本原典直訳 

13 ・ そして 彼は言った ミカ 今 知っているは それは 彼が善作りした 私を 主は、 それは 彼が起きさせられた 私に その レビ 中へ 祭司。
27 ・ そして 彼らは 彼らは取った 全体らを 彼が作った ミカ、そして その 祭司を、 するところは 彼が存在している 彼に、 そして 彼らが来た まで ライサ 上に 民 静かにしているを そして 承服さしているらを そして 彼らは打った 彼らを 中で 口 幅広長剣 そして その町を 彼らは焼き払った。 

●旧約聖書 士師記17章13節、18章27節 70人訳ギリシャ語バチカン写本原典直訳 

13 ・ そして 彼は言った ミカイア 今 知っているは それは 彼が確かに善する 主は 私に、 それは 彼が起きた 私に その レビ 中へ 祭司。
27 ・ そして その 息子らは ダン 彼らは取った その 彼が作った ミカイアス、そして その 祭司を、 するところは 彼が存在している 彼に、 そして 彼らが来た 上に ライサ 上に 民 静かにし

ているを そして 承服さしているらを 上に 希望 そして 彼らは打った 彼らを 中で 口 幅広長剣 そして その町を 彼らは焼き払った 中で 火。 

■ 旧約聖書 士師記17章13節、18章27節 ヘブル語原典意訳

13・そこでミカはこう言った。「ヤハウエが私を素晴らしく祝福した。何故なら私専属の祭司を神様が下さった。」
27・ダン族はミカが自分の為に任命した祭司と銀の彫像を奪い、平和に暮らしているライシの城塞都市に来た。その町は無防備であったのでたちまち皆殺しにしてその町を手に入れた。

●聖書に書かれている今日の箇所の是非はおいておいて、ミカの言葉に注目したいのです。彼は自分専用の神様を作らせて自分の家に安置し、その上に自分が念願の祭司を任命できた事を喜んで「神様の祝福」と思い込んでいたのです。

  少しでも聖書を読んだ方なら、「自分の為の神や祭司を作る事がとんでもない呪い」である事がお分かりになるでしょう。何故なら神様が人間を作り、その人間が神様の言葉を守る為に神様が選ばれるのが祭司だからです。全く反対になっている事をミカは全く気がつかなかったのです。

それどころか、自分専用の神を作る事が聖書が最も忌避する罪であるという基本原則も分からず、独りよがりに「祝福」と思い込んでしまっていたのです。 しかも、ミカ個人だけではなく周囲の全ての人々もヤハウエの神の祝福と勘違いしていたのです。

  こんな酷い罪を犯した、ミカが呪われおり、それらを失う事が神様の意志であり祝福であるのは当然の結果です。彼はダン族の兵士によって作った銀の神も、祭司も高価な祭司の装束も奪われたのです。

 と言う事で、ミカにとって「何もかも失った事」が「神様の御心=祝福」であったのですが、おそらくミカはその事を「呪い」と認識していた事かと思います。

  恐ろしいと思うのはミカの「祭司と神」を奪ったダン部族です。彼らはミカの間違いを個人ではなく部族で犯して、しかもそれを祝福と勘違いして長い年月を過ごしていたのです。 18章の30節に捕囚人の日=北王国イスラエルの滅亡の日まで(=おそらくBC1200〜721年=400年近く)、この罪にダン部族は気づかなかったのです。それ故に神様はイスラエルを滅亡させたと言えるでしょう。

  これが単に旧約聖書の時代のお話であれば良いのですが、同様の祝福と呪いの反転した信仰者や信仰者の集団(=部族=教会や教団)が結構今の時代にも多いのではないでしょうか。私は「呪い」を「祝福」と思い違いしている人々がキリスト教会全体に蔓延し、しかもそれが常態化していると思っています。

具体的に言うと、ミカと同じように信仰や教会に自己の安逸や恵みに加えて自己実現を求めて集う人々が殆どです。さらに教会はそれらの人々に神の言葉を語って改悛を勧めるのではなく、正反対にその気持ちを汲み、同情し、積極的思考方やカウンセリング等と言う低俗な心理療法というイカサマによって人心を掌握し、教会に来る人々の願いや必要に答える事を通じて宗教家の自己実現を目指しているのではないでしょうか。その様な自己の利益を神として礼拝しているのがキリスト教も含めた現代の諸宗教の真相では無いのでしょうか?

聖書の基本は人間否定=全的堕落であり、その人間否定を教えている聖書こそ教会成長の妨げとばかりに聖書の明確な主張を受け入れず。反対に人間が喜び問題なく納得出来る人間肯定解釈に従った改竄邦訳を容認歓迎してすっかり神様の呪い(=人間の求める神のでっち上げと)が蔓延しています。 その様な、会衆や、周辺地域の必要とする事を言葉にした「かゆい所に手が届く様な頽廃説教」(気持ちの良くなる話し)をしてくれる偽教師たちを歓迎する風潮は地上の教会や諸宗教に蔓延しています。

聖書が行っている全的堕落が意味している事は、「人間には何一つ確かで正しい物は存在しない」と言う事であり、その様な人間の希望や満足を目指す事が結果的に聖書を否定する事になるのです。反対に、人間と人類を否定している「神とその言葉である聖書の主張に聞く」と言う事が聖書の基本なのです。人間が理解し易い様に聖書を解釈=改竄すると言う事の反対で聖書の主張を受け入れる事が聖書の教える救いの第一歩なのです。

そして、この★「人間の全的堕落」と言う聖書の★基本的教えも、聖書原典を歴史的文法的理解を踏まえる時にのみ認識できる、聖書の基本主張なのです。逆にいうと、いい加減な翻訳や、人間の解釈や説明では分かりえないと言うことになります。

聖書の最初に記されているエデンの園での人間の堕落=禁断の木の実を食する行為は、明確な神の言葉(=善悪の木の実を食べるな)の否定です。 これが聖書の人間=人類=全世界に対する根本主張なのです。別の言い方をすれば「人間の考え=視覚聴覚理性感性による判断」は悉く神の判断に逆行する事を聖書は主張しているのです。

★その様な聖書に記されている神の言葉の否定に対する聖書の帰結は明確です。エデンの園でアダムとエバにかたられた「あなたは必ず死ぬ」と言う事です。その言葉が意味している事は「地上における人類(=エダムとエバの子孫)の滅亡」と言う事なのです。

それゆえ、聖書の黙示録が天地の消滅で終わっているのは当然です。その事は聖書の最後の黙示録の結論が聖書の最初の創世記の結論と完全に同一になっているのです。

●そして、聖書が教える救いとはその様な個人や人類の滅亡を越えて、神が再創造される新らしい世界に入れられる事が「キリストの贖いによる救い。」の意味する事なのです。

その結果当然の事ですが、聖書が主張している事は人間の理性や感情や意志(=もっと生きたい、願いを叶えたい等と言う自然の欲求)に逆行(=人間の判断は聖書に敵対)するというごく当然の帰結を導くのです。

  と言う事で、今日の時代と全く同様に堕落の極みに達していたた士師記の時代と、その時代を象徴するミカとダン部族の祝福と呪いの逆転とのご紹介でした。

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