原典聖書研究

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三つ子の魂

三つ子の魂 サムエル記第一 1章24節 

今日からサムエル記第一です。早速直訳です。

旧約聖書 サムエル記第一 1章24節 ヘブル語原典 直訳 

24 ・ そして彼女が上った彼 共に彼女 として所の彼女が離乳さした彼 中で若い雄牛ら 3 そしてエパ 一 良質粉 そして皮袋の 葡萄酒 そして彼女は来さした彼 家の ヤハウエ シロオ そしてその少年 彼が少年した(?少年?ヘブル語=ナアール=彼が吠える=彼が揺すぶる)

旧約聖書 サムエル記第一 1章24節 70人訳ギリシャ語原典 直訳 

24 ・ そして 彼が上に来た 共 彼  中へ セエロオーム 中で 子牛 3歳 そして 小羊 そしてオフイ(エパ) 良質小麦粉 そして ネベル(ヘブル語=革袋の音写) 葡萄酒の そして 彼は中へ来た 中へ 家 主の 中で セエレーム、 そして その 子供を 共に 彼ら。

旧約聖書 サムエル記第一 1章24節 ヘブル語原典 意訳

24・その幼子サムエルは離乳し母と神の町へ登った。三才の雄牛と23ℓの良質小麦に革袋に入れた葡萄酒も持参した。そしてその母はその子どもをシロの町の神の宮に連れてきた。

 有名なハンナが幼子サムエルを祭司エリに預けた箇所です。おそらくこの時サムエルの年齢は3才と思われます。そして、祭司の下働きは水汲みや火の番などの辛い仕事の上に、祭司のエリの息子たちは札付きの悪で、その周囲は酒と女と御馳走の溢れる不道徳にあふれた環境であったのです。そのうえにおとなしく真面目なサムエルにとっては残酷な上に陰湿ないじめの世界だったのです。

 しかし、不思議な事にこのサムエルは健全に育ちました。そうして成人してから、強大な隣国のペリシテの執拗な侵略の中、敗戦につぐ敗戦を乗り越え国家の滅亡の淵からサウル、ダビデ両王朝を建てあげ続く500年間のイスラエルの独立と繁栄の基礎を確立させたのです。押しも押されもしない旧約聖書最大の預言者サムエルとして大活躍したのです。

  旧約聖書には、もう一人の偉大な働きをした人物が登場します。イスラエルをエジプトから導き出し、無からイスラエル国家の基礎を作りあげたあのモーセです。彼については説明不要でしょう。そして、興味深い事には旧約聖書に登場するこの偉大な二人の人物=モーセとサムエルには一つの共通点が有るのです。

  そう、二人とも3才まで実の母に大切に育てられただけで後は親元を離れて悪い環境で育てられたのです。確かに、かれら二人の育った環境は豊かな階級でした。しかし同時に、底知れない、不道徳な環境で酷い扱いを受けて育ったのです。

モーセもサムエルも両者共、その劣悪な環境には全く感化されず、気高く立派に成人し、さらに誰も成しえない偉業=国家存亡の危機に国の最重要ポストに付き、しかも歴史に輝く業績を残したのです。

 どう考えても、その原因は、三才までのお母さんの教育にあった。と考える以外に無かったと言わざるを得ないのです。何故ならそれ以外に良い影響を受ける様な状況はどこにも存在しなかったのです。そして、その三年間に集中して両親から最大限の育児を受ける事が出来たのです。

私が、聖書を読んでこの「3才までの教育が人間形成の最重要事項」であると気づいたのは35年以上前の20才そこそこの独身時代でした。まだ結婚する相手も居なかったのに、この聖書の記述に気づきさらに育児書を数十冊読破し、自分なりの育児指針を確立していました。

 いろいろな事を調べましたが、それらの中で育児に一番参考に成ったのは聖書以外には次の事柄です。私がたまたま出席していた東京の有る教会にT大学の法科を出て厚生省のキヤリアとなっていたKさんの育児です。毎日帰宅は午前様であるため、子供の顔を見るのは日曜日だけと言う方でした。彼は毎週0才の子供と教会の床に一緒に寝っころがってぎゃあぎゃあわめいて子供と触れ合っているのです。親が寸暇を惜しんで子供と遊んでやっていたのです。彼にはこの僅かの時間しか子供に関われなかったのです。

周囲の目も場所柄もわきまえず育児に専念している父親の姿でした。そう彼は、こんなふうにして育てられたが故に、自分の子供に同じようにしているのだと思いました。出来る限り多く密接に小さい子供に関わってやる事の大切さです。

次の参考は、宣教師の子供英語クラスに来ていた1才のNMちゃんです。宣教師の先生がその英語の吸収力に舌を巻いていました。 言った事をたったの一回だけで次から100%そのまままねる事が出来たのです。そして、年齢と共に英語を教えるのが困難になるといつも言われていた事です。

その様な周囲への観察や書物を通して「育児、教育、躾けで大切なのは3才までである。」という揺るぎない確信をもって、与えられた二人の子供の育児に望みました。 二人とも3才まで全力を尽くして私と家内で力の限り遊び相手をしてやりました。そして幼稚園、小学校、中学校と成長するにつれ親が子供に関われる時間は確実に減少しやがて全く無くなってしまいました。

親が子供と遊んでばかりいた為か、子供たちは二人とも全く勉強しないで遊んでばかりいる子供に成長しました。しかし、成績で困った事は一度もありませんでした。 全く勉強なんかしなくとも普通に、いや大変良い成績が取れて来るのです。 頭が出来ていたのです。特に社会や国語や英語は全く勉強しなくとも二人とも全国レベルで常に最上位に位置していました。 偏差値では80ぐらいです。

やっぱり聖書の教えている育児や教育のあり方の基本「3才までが大切である。」 という原則は普遍なのだと思います。親がもっと資質が有ればもっといろいろしてやれたでしょうが、一緒に遊ぶ事いがいは出来ませんでした。しかしそれで十分であった様です。子供たちはスボーツでも芸術でも、学問でも自分でしたいと思った事は出来る資質を持ってしまっていたのです。

今日は、聖書が教える乳児や嬰児に対する育児の大切さのご紹介でした。

 参考 http://bible.ne.jp/ikuji/

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