原典聖書研究

ギリシャ語はギリシャ語の書庫や聖書関連記事は「無題」の書庫です。2018年5月29日より新投稿不能31日回復しました。

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喪失勇士

喪失勇士

今日はダビデの37人の勇士の名が列挙された箇所でした。早速直訳です。 

旧約聖書 ヘブル語原典 サムエル記第供23章39節 直訳 

39 ・アウリヤ(私の光ヤハウエ) そのヒテイ 全て 30ら そして7

旧約聖書 70人訳ギリシャ語原典 サムエル記第供23章39節 直訳 

39 ・ウリア その ケタイ、 全てらは 30 そして 7。

旧約聖書 ヘブル語原典 サムエル記第供23章39節 翻訳

39・ヒッタイト人ウリヤで勇士の合計は37名。 

 聖書をいつも読んでいて「これほど分からない書物は無い」といつも思っています。時々、「聖書は完全で何の問題や間違いも無い。」と平然とのたまう同業者の方にお目にかかりますが、 「この人はまともに聖書を読んだ事が無いのだろう」といつもお気の毒に思いながらそのご尊顔を繁々と見定めさせて頂いています。さて、今日ご紹介する聖書の箇所も実は「どうも全く分からない箇所」の一つです。何が分からないかと言うとダビデの勇士の人数なのです。

 39節の最後に37名と有るのですがどうしても計算が合わないのです。徐々に説明させて頂きます。

まず、24節から39節にかけてが30名だと言うのですが例のダビデが妻を横取りして将軍ヨアブに命じて殺害さしたウリヤを加えると31名になります。1名多いのです。

 次に、全員で37名と言うのですか綿密に調べると8節以降で39節までに列挙されている人数を確認してみましょう。

第一に、三勇士の1・ヤショブアム、2・エルアザル、3、シャマ。=3名

第ニに、別の3人の長の4・アビシャイ、5、ベナヤ、(3名と言うが1名欠名)。ここまで列挙された名が3名+2名=5名です。

 第三が問題です。 24節からはじまる30名の名は1・アサエル、2・エルハナン、3・シャマ(ハロデ人)、4・エリカ、5・ヘレツ、6・イラ、7・アビエゼル、8・メブナイ、9・つァルモン、10・マフライ、11・ヘレブ、12・イタイ、13・ベナヤ、14・ヒダイ、15・アビアルボン、16・アズマベテ、17・エルヤフバ、18・ヤシエンの子ら?ヨナタン、19・シャマ(ハラル人)、20・アヒアム、21・エリフェ、22・エリアム、23・ヘツライ、24・パアライ、25・イケアル、26・バニ、27・ツェレク、28・ナフライ、29・イラ、30、ガレブ、
31・ウリヤ、

 と言う事で30名の所には31名の名が記されているのです。

第一、第二、第三を合計すると3+2+31=36名で39節に記された37名に1名足りないのです。 

 実際に聖書中には結構細かく読んでいくと同様の問題箇所が随分と有ります。大抵の方は聖書に書いてある事を信用して一々細かく確認しないで、数字が合っていると勘違いしておられる方が多い様にお見受けします。
  
 しかし、厳密に数字合わせをすると処々で数があわないと言う問題が噴出して来るのです。もちろんこれに関しても、ヨアブを加えれば37名になるのです。しかし、この名簿のなかに確かに18節と24節に2度ヨアブの名が登場しますが何れの場合もその兄弟を修飾している言葉で、単独では登場して来ないのです。

  30人の19番目の「ヤシエンの子ら」と言う説明の後に人名が一人なので、ここに1名欠落していると見なす事も可能ですが、そうすると37名の数の方は上手く説明出来ますが、30名の勇士が32名に成ってしまうのです。

  まあ、これらは「細かい名前の数の問題で、聖書の信憑性や霊感と言う問題に影響は無い」という結構乱暴な判断もあながち無視する分けにも行かないのですが、やはりすっきりしないのが実際です。

  また実際に、最後に記されたウリヤの名はやはり不自然で、聖書の記録者が何らかの意図があって、あえてことさらに「ソロモン王の母バテシエバの元夫」である事を強調したという観点が有った様に見受けられます。もしかしたら、後代の書記か学者が「ダビテ王朝の最大の汚点であるウリヤの名がこの名簿に欠如しているので加筆した」という考え方もかなり妥当と言わざるを得ないでしょう。 

  まあ結論は出せませんが、分からないがこの名37名のリストだと言う事です。書かれた聖書原本が伝えられ多種多様な写本が流布する中長い歴史の中で何らかの不都合や、その時代の必要から聖書の写本に加筆や抹消されたりまた汚濁や虫食いなどの欠損部分が生じた結果この様な不自然な状態が現在に伝えられている様に思われます。

 というわけで、現在伝えられている聖書の原典は処々に不完全な所が有り、最初に記された状態とは無視出来ない程に異なってしまっている事は否定出来ない真実なのです。 

 ですから、「今私たちが見る事の出来る聖書原典や、それらが翻訳された聖書が完全であると言うのは原典や厳密な聖書の研究をまともにした事の無い方だけが自信を持って主張出来る妄言だ」と言う事なのです。

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