原典聖書研究

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モアブ独立戦争

モアブ独立戦争

今日は、北王国イスラエルと南王国ユダにエドム王国の三国同盟軍が、属領と化していたモアブ王国の独立を阻止しようとして起こした戦争を記録した箇所でした。早速直訳です。 

旧約聖書 ヘブル語原典 列王記第二3章25節 直訳

25 ・ そしてその城塞ら 彼らは陥落さした そして全ての 所領地 良い 彼らは投げさした 男 石彼 そして彼らは徹底的に満たした彼女 そして全ての 湧水源の 水ら 彼らは閉じた そして全ての 木 良い 彼らは落ちさした まで 彼が留まらさした 石ら彼女 中でそのキル(壁) ハラシエト(敗北?)そして彼らは周囲した その振り投げ(or投石機)ら そして彼らは撃ち殺さした彼女  

旧約聖書 70に訳ギリシャ語原典 列王記第二3章25節 直訳 

25 ・ そして その 町らを 彼らは下に取った そして 全てを 割り当てを 善を 彼らは投げた 男その 石を そして 彼らは中で満たした 彼女を そして 全てを 泉を 水の 彼らは中で囲いした そして 全て 木を 善い 彼らは下に投げた 迄 その 下に残す事 その 石らを その 壁の 下に荒廃させられたらを、そして 彼らは周囲していた その 投石機らは そして 彼らは打った 彼女を。
  
旧約聖書 ヘブル語原典 列王記第二3章25節 意訳

25・三国連合軍はモアブの要塞都市を次々に陥落させた。そして畑には兵達を動員して石を投げ込み、井戸と言う井戸を埋め戻し、果樹と言う果樹を根こぎにし 敗北した町々の城壁の石を崩してそれらに活用した。その為に投石機を城塞都市の周囲に配置してモアブを破壊し尽くした。

  ★攻める側にとっては勇ましい勝利の記録ですが、無残に敗北させられたモアブの人々にとっては絶え難い破壊の記録です。この戦争の発端は北王国イスラエルがモアブに課していた、年間20万頭分の羊毛という貢の滞納でした。武力に物をいわせて燐国に途方もない年貢を要求し、それが滞ればたちまち属国を従えて制裁の加えるなど、本当に心が痛むイスラエル王国の横暴です。しかも、その紛争に南王国ユダも加担しているのを見ると心が締めつけられる思いです。 

  しかも、その戦争は嫌がらせその物でした。耕作地を大変な労力を使って使用不能にし、命の次に大切な深い井戸を口まで石で塞ぎ、葡萄やイチジクを初めとするあらゆる果樹を切り倒す等、まるで悪魔の仕業です。 そして、理解出来ないのはこの様な戦争に対して神の預言者エリシャが加担して、勝利に決定的な助言を行っているのです。(15節から19節)

 モアブの人々にとっては圧政を欲しいままにするイスラエルやユダから独立する為の正義の戦争でしたが、彼らは三国同盟軍に破れ果てたのです。その様に自分達が敗北するのを見かねたモアブの王は王子を城壁の上にしつらえた祭壇で生贄として神さまに献げるという非常手段に訴えました。その結果漸く、自分達の行った兄弟の国であるモアブ侵略が、彼らにとってどの様な大変な犠牲であったのかを悟った三国同盟のイスラエルとユダとエドムの人々は剣を収め帰国の途についたと言うのです。

  本来モアブはイスラエル民族の祖アブラハムの甥で申命記2章9節にイスラエルが敵対する事を禁じられた民族でした。様々な不幸な出来事で両国の関係は悪化し、強く成ったダビデ王朝以来モアブは200年近く隷属させられていたのです。そして、この戦争でモアブは厖大な犠牲と引き換えに、漸くかろうじて主権を回復出来たと言うわけです。

  一件不可解な戦争の記録ですか、国家も企業も個人も弱くなるとどんな目に会うか分からないという人間の住む地上の世界の歴史の教訓のご紹介でした。

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>モアブの人々にとっては圧政を欲しいままにす るイスラエルやユダから独立する為の正義の戦 争でしたが----
確かにモアブにとっては解放と自由の正義の戦だったのでしょうが、神様の目には許されない存在?だったのでしょうか。
旧約の神はサウルにアマレク人を「人も家畜もすべて滅ぼし尽くせ」と命じられたように、現在の我々から見ると考えられないような厳しい命令を出され、それに従う様に要求されていますね。
その中にあって追いつめられたモアブの王が跡取り息子を燔祭の供え物としてささげた。それを見た三国連合の王達が引き上げたというわけですか。
息子の供え物が敵国の王にそれだけの意味を与えると言うことを初めて知りました。
神が最も忌み嫌う偶像崇拝者の人身御供の行為と考えていた私にとって、三国同盟王の帰還は意外な反応でした。

2007/11/1(木) 午後 0:14 [ n77ichiro ] 返信する

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聖書は本当に分からない書物ですね? 人身御供だけを考えても、あのアブラハムがイサクを全焼犠牲に献げようとしたのも人身御供ですし、士師のエフタが娘を全焼犠牲にしたのも人身御供です。ダニエルの友人達も助けられはしましたが人身御供でした。もちろんイエスキリストの十字架刑も人身御供の一種だと思うのです。違いは偶像に献げるか真の神さまかという点にあるのでしょうが? そして初代教会の多くの殉教者は偶像に献げられた人身御供という一面も有るかと思います。

2007/11/1(木) 午後 11:36 [ 油食林間 ] 返信する

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殉教者を偶像に捧げられた人身御供という考えは面白いですね。
確かに民衆への見せしめと同時に自分の神への供え物と考えると少し違ったものが見えるような気がします。 ところで
兼ねてから私に理解できないでいるものに、偶像崇拝というのがあります。性的な快楽に埋没していく姿勢というなら理解できますが、神に直接導かれた
モーセに率いられた民も偶像崇拝に陥った。
どんな魅力があるのか、何が彼らの心を捕えたのか?
彼らも純粋に偶像を私たちが考える創造主、贖い主という対象として信仰していたのかでしょうか?
メールででも教えて頂けると有難いです。
seinakamoto@yahoo.co.jp

2007/11/2(金) 午前 9:49 [ n77ichiro ] 返信する

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了解です!

2007/11/2(金) 午後 11:46 [ 油食林間 ] 返信する

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