原典聖書研究

ギリシャ語はギリシャ語の書庫や聖書関連記事は「無題」の書庫です。2018年5月29日より新投稿不能31日回復しました。

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神さまのステレオ

神さまのステレオ

  今日はアラムに包囲されたイスラエルの首都サマリヤの解放の箇所でした。敵に包囲されて絶体絶命の都が、ある日突然に包囲していたアラムの大軍隊が兵営をそのままにして忽然と消えてしまったのです。早速気になる箇所の直訳です。直訳に興味のない方は★印に進んで下さい。

旧約聖書 ヘブル語原典 列王記 第二 7章6節7節 直訳 

06・そして主ら 彼が聴従さした を 野営の アラム 声の 戦車 声の 馬 声の 力 巨大 そして彼らは言った 男 に 兄弟彼 見よ 彼が賃金した 上私たち 王の イスラエル を 王らの そのヒッテイーら そしてを 王らの エジプト に来る事の 上私たち
07・そして私たちは立った そして私たちは避けた 中でその黄昏(or黎明) そして彼らは置き去りにした を 天幕ら彼ら そしてを馬ら彼ら そしてを 雄驢馬ら彼ら その野営 として所の 彼女 そして彼らは避けた に 生活ら彼ら  

旧約聖書 70人訳ギリシャ語原典 列王記 第二 7章6節7節 直訳 

06 ・ そして 主は 聞こえを 彼が作った その 宿営を スリヤの 声を 戦車の そして 声を 馬の そして 声を 力あるの 巨大の、そして 彼は言った 男 方に 兄弟 彼の 今 彼が自分の為に賃金した 上に 私たち 王は イスラエル その 王らを その ケタイらを そして その 王うらを エジプトの その 来ること 上に 私たち。
07 ・ そして 彼らは上に立った そして 彼らは離れ走った 中で その 闇 そして 彼らは中で下に残した その 天幕らを 彼らの そして その 馬らを 彼らの そして その 驢馬らを 彼らの 中で その 宿営 様に 彼が存在し続けている そして 彼らが逃れた 方に その 生活を 自分自身らの。

旧約聖書 ヘブル語原典 列王記 第二 7章6節7節 意訳 

06・そして主である神が聞かしたのです。 アラムの陣営に 戦車や馬に加えて大軍勢の時の声を。そして陣営の兵士達は言った。「あの音は何だ! きっとイスラエルの王かヒッタイトの精鋭とエジプトの大軍団を傭兵したに違いない。今私たちに攻めてきたんだ。」
07・そう思い込んだ私たちはあわてて立ち上がって明け方に、テントや馬も驢馬も置き去りにして私たちは命からがら逃げたのです。

 ★お分かりでしょうか? この部分4箇所が一人称複数で語られているのです。おかしいですね。イスラエルの人々にとって攻撃を仕掛けてきた人達はアラム人ですから三人称複数「彼らは」と記されていなければなりません。しかしヘブル語原典の記録は「一人称複数」なのです。 

  ちょっと変ですが、考えてみるとここに記されている事は当事者=逃げたアラムの兵士以外には分かりえない秘密の筈です。だから、このアラムの兵営が空っぽの段階では、イスラエルの誰にも「何故アラムの兵士が居なくなったのか」は分からない筈なのです。

  おそらくこの出来事が落ち着いて数日後に、逃げ後れたアラムの兵士の負傷者か病人の誰かを捕捉して、尋問して、彼が真相を話して初めて「この出来事の真実が判明した」のでは無いでしょうか? だらか、原文の通り「その現場に居て実際に神さまが起こした夜明けの馬、戦車、陣営の雄叫び」をその耳で聞いた人以外には分からないし証言しえない真実ナノです。

  「この音をその耳で聞いた人の証言」を聖書が記録しているのだからヘブル語原典のこの部分は「1人称複数(6、7節)」となっているのではないでしょうか? 考えてみればあたり前の事です。しかし、折角のこの原典の記述も翻訳は何れも何の断りもなく、3人称に改竄したり無視しています。確かに6節に3人称複数が一カ所だけ有り、1人称複数部分を直接話法と取ることも妥当です。しかし、それでもやはり「その音を聞いた当事者」以外の者は語りえない言葉であると言うことは変わりません。

  まあ翻訳者にそこまでの正確な翻訳を要求するのは無理な相談ナノかもしれませんネ! そして、音響装置(ステレオ)に大変興味のある私にとっては、「神さまは一体どんな仕組、また現象でこの音をアラムの兵士達に聞かせたのか」が大変気になります。陣営が夜明け前に安心して寝入っている所に「全く本物の大軍団と聞き違える突然の大音響が聞こえた」と言うのです。ですから、もしこれを今の音響装置で再現するとすると、かなりの高性能の音響装置とそれを駆動する電源が必要だと思わされます。もちろんそんな物紀元前800年の時代には存在しなかったでしょう。

 まあ、現実にはこのバレスチナの山岳地方はヨルダン地溝帯で地震の頻発地域です。ですから突然の「地鳴り」と考えるのが一番合理的かと思います。原典で聖書に登場する地名を見ると振動山なんていう奇妙な名前(ヨシュア19章13節ネア=震えなど) をいくつか見かけます。思うに、きっとその山は群発地震の起きる山だと思われます。当然地鳴りも起きたでしょう。

参考:奇跡は自然現象http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/2982415.html

そこに進軍してきた、アラムの平野に育った人々には夢想だに出来ない現象だったのでは無いでしょうか? 源平の富士川の合戦で、平氏が水鳥の音に怯えて敗走した故事を想像するのですが、まあ真実定かではありませんが、アラムの陣営の人々には、「戦線を放棄し敵前逃亡するに足る、十分な音」が聞こえたと言う事なのです。

  と言うことで今日は聖書の記述が非常に厳密な物である事を例証するけれども、一見不思議でおかしい「一人称複数」の聖書の記録のご紹介でした。

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先年急逝された三橋萬利牧師の教会ですね! 確か御教会は独立系でしたね! 私はアライアンス系に分類される教団に所属していますが、いわゆる「聖書主義」と自認しています。一番、感化を受けたのはムーディバイブルインストチュートの聖書に対する立場で、いまもそれを尊重しています。すこし(相当)偏屈と思われている様ですがそれもまた名誉な事と自惚れています。宜しく!

2007/11/8(木) 午前 9:54 [ 油食林間 ] 返信する

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2010年 明けましておめでとうございます。

先生は、ヘブライ語聖書の校訂原文は何をお使いなのでしょうか?
わたしの手元の聖書はBHSではありませんが(The Stone Edition TANACH)、王ニ 7:7の冒頭の二つの動詞は、三人称複数未完了のwaw consecutive です。

ויקומו וינוסו בנשף

wayaqumu wayyanusu bhan-nesheph

タアメ・ハ・ミクラは次のようです:
way(zarqa')aqum(zarqa')u wayan(munach)usu bhan-n(seghol)esheph(seghol)

このブログのポイントが、一人称なのか、三人称なのか、という違いなので、先生の使っておられる校訂原文が、どんなものなのか、興味を持ちました。
よろしくお願いいたします。

joshyam アットマーク netvigatorドット com

2010/1/3(日) 午前 3:21 [ joshyamyahoojapan ] 返信する

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