原典聖書研究

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3つの良い

3つの良い

 今日はギリシャ語の形容詞を覚えていただく3日目です。今までの名詞の男性、女性、中性の変化を合わせただけで何一つ新しい点はありません。そして、これに続く冠詞の変化や、代名詞の変化もほぼ同様なのです。

  簡単な変化に時間をかける理由はこの変化形の登場頻度が極端に多いと幾度も申しました。

  簡単と軽んじないでしっかりとこの変化に親しんでいただくか否かがギリシャ語上達の鍵と思います。

さて、そのようなわけで今日はまた同意語を一つご紹介する事にいたします。

ギリシャ語で「良い」と言う意味の3つの言葉(形容詞)です。

 第一はαγαθοs(アガソス)で本質的善を現します。

 第二はκαλοs(カロス)で表面的美しさを現します。

 第三はχρηστοs(クレーストス)使いやすい=有用と言う意味のよさを現します。

聖書などでよい人と訳出されていてもχρηστοsが使われていれば役に立つ人間と言うことですし、 καλοs(カロス)と言う言葉が使われていれば見かけは良い人だが内心は何を考えているのか分からないと言うことになります。 そして αγαθοs(アガソス)がつわかれていれば道徳的に善い事をするという意味です。

 これらの言葉は全て「よい人」を形容する言葉ですが本質は全く異なるのです。 例えばκαλοs(カロス)を使って人を誉めれば見かけは良いが中身が..と暗に示唆する結果となります。また χρηστοs(クレーストス)を使えばあいつは使いやすい便利なやつだと人を見下した使い方になるのです。 ギリシャ語を読み解くには大抵の言葉がこの様に異なった意味でありながら翻訳にはいずれも同じ言葉になってしまう問題が頻発してしまうのです。

  だから、どうしても原典で読まないと、聖書の言っている事は理解が困難になってしまう事が多いと言うことなので。

そして、このほとんどの言葉に存在するこの同義語の理解の有無がギリシャ語が分かるか否かの別れ道となっています。
  

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セミさん>
( ∂−∂)ノ(* ∂。∂)ノこんばんわぁ♪

「牧師さま」ではなく,このようにお呼びすればいいでしょうか。

ギリシャ語において,「同義語」の区別ってのは,ほんと大事ですよね。

ところで,「カロス」というギリシャ語に関して,「見かけは良いが中身が..と暗に示唆する結果となります」という説明に関してですが,そうすると,主イエスが,ヨハネ10章14節において,

「エゴー・エイミ(I AM)・ホ・ポイメーン・ホ・カロス」

と言われたことも,「中身が・・・」となってしまうので,それほど単純でもないように個人的には感じます。「カロス」には,「もっと深い意味」も込められてるんじゃないんでしょうか。 削除

2008/1/7(月) 午後 9:42 [ possible ] 返信する

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セミです。「良い羊飼い」がもしαγαθοs(アガソス)だとどうなるでしょうね? 「善なる羊飼い」となり羊飼いに道徳判断は無意味です。「カロス=上手な」と言う意味でないでしょうか。特にこのカロスは70人訳で創世記の1章にふんだんに登場します。やはり「神の作られた自然は美しかった=外見が良かった」で良いのではないでしょうか。要するに自然や職業に本質的善悪の判断を下すのは不釣り合いかと思います。

2008/1/7(月) 午後 10:58 [ 油食林間 ] 返信する

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ここではギリシャ語を検証されていますが、
こうした同義語の深い意味の違いについては、
日本語にもたくさん見かけられますね。
それを外国語と照らし合わせながら意味を考えるのは、
物事の本質を見極める上で、とても大切なことだと思います。
「よい」は日本語でも、良い、善い、佳い、好い、とあって、
それぞれ微妙に意味も違っているのを、
この記事とコメントを読んでいて思い出しました。

2008/1/7(月) 午後 11:32 イソップ 返信する

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イソップさん今晩は! 言われている様に、もともと、日本語はかなり正確な言葉なのでしょうね。昔の文語訳聖書をみると「良い 善い 好い」等と訳語が微妙に変えられていてそれで原典のニュアンスを表現する努力がなされていました。しかし、戦後GHQの下請けの様な何処かの国の国語審議会とか何とか言う諮問機関が簡略表記と言う改悪を強力に進めた結果なのでしょうか? 出版社や教育機関が無比半にすっかり言語統制に迎合してしまった結果の様に思え、今の聖書は全て「良い」に統一されてしまっています。残念な事だと思います。

2008/1/8(火) 午前 0:00 [ 油食林間 ] 返信する

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セミさん>
( ∂−∂)ノ(* ∂。∂)ノこんばんわぁ♪

> やはり「神の作られた自然は美しかった=外見が良かった」で良い
> のではないでしょうか。

そうですね。

なお,ルカ8章15節において,カロスは「心」に関しても用いられています。これもまた,カロスが,単に「外見が」美しいというだけの意味ではないことを示唆していると私は思います。

特に,セミさんが,本文の中でおっしゃってる「見かけは良い人だが内心は何を考えているのか分からない」という説明だけでは表現しきれないものを含んでると思います。 削除

2008/1/8(火) 午後 8:12 [ possible ] 返信する

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possibleさんへ 確かにカロスに本質的良さが含まれる事は確かです。しかしこの語が持つ意味の中心は明白に「表面的な外見の良さ」のみです。良い辞書(織田さんのギリシャ語小辞典P286)の説明を見てもそれは自明です。悪い辞書は見ない方が良いかと思います。ご指摘のルカ8章15節はたしかに地はκαληで表面的良さを示しています。しかしその後の「心」には καλη丈ではなくその直後を見て頂くと、もう一つの本質的善を表す形容詞のαγθοsが使われています。と言う事でご指摘の箇所こそ、καληは表面的良さを表す事を教えています。だからそのあとにだめ押しで αγθοsを使って本質的良さが強調されています。と言う事です。

2008/1/8(火) 午後 8:54 [ 油食林間 ] 返信する

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セミさん>
( ∂−∂)ノ(* ∂。∂)ノこんばんわぁ♪

いろいろ教えてくださり,ありがとうございます。勉強になります。

この「カロス」に関しては,特に「表面的な」美しさを示唆することは分かってますが,ただ,外見「だけ」が美しくて,内面は・・・というような言い方をすると,「語弊」があるんだと思います。私が言いたいのは,そういうことですね。

主イエスの言葉に関しては,「だめ押し」というよりも,「カロスの地」というのが,「外見だけ美しい」という意味ではない,誤解をしないように,という意味で付け加えてるのではないかと感じます。 削除

2008/1/8(火) 午後 9:56 [ possible ] 返信する

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確かにおっしゃりたい事はよく分かります。しかし、折角ギリシャ語をするならこの語の基本的理解はギリシャ語習得に決定的影響を与えます。何故なら新約聖書で使徒達が教会やキリスト者に使っている言葉が全てこのカロスなのです。彼らは教会を手放しで褒め称えたのか? かあるいは、「★厳しく批判的に苦言を記したのか★」が決定的に別れてしまうのです。結論は明確。使徒達は現実の初代教会に対して見かけばかりで中身が無いと叱責した事が自明と成るのです。もし、ギリシャ語を学ぶなら此の点を外してしまっては何の意味も無い学びで徒労です。

2008/1/8(火) 午後 10:20 [ 油食林間 ] 返信する

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私も,常に「ギリシャ語の原文」から答えてますので,「根拠のない」説明ではないと思ってます。この点に関しては,お互いの「意見の相違」ということになるだろうと思います。

単純に,「良い」というのは,「良い」という意味であって,「悪い」という意味ではないです。もし,苦言を呈したり批判をしたいのであれば,その種の言葉を使うはず,と思います。 削除

2008/1/8(火) 午後 11:26 [ possible ] 返信する

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そのところが見解の相違のポイントですね! 私は「聖書は常にひっくり返して逆様にして裏側から読みましょう。特に書いてある事ではなく平行記事等と詳しく比較して書かれていない事や抜けている事に注目して下さい。」なぜなら「聖書のそこにこそ神様のメッセージが在ります。」とギリシャ語やヘブル語の恩師から教えられ、また自らもその事を見いだし、またそこを強調して語ってきました。

2008/1/8(火) 午後 11:39 [ 油食林間 ] 返信する

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