原典聖書研究

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奇跡は自然現象

奇跡は自然現象 ヨシュア記3章16節
意訳 「流れ下るヨルダン川の水は遠くの土の突端の場所で堰止られ(原文は周囲壁=城塞)、大草原の在る塩の海に流れなくなったので、イスラエルの民はエリコに面する場所で渡河を完了した。」

  始めて聖書を読まれた方が、「こんな不思議な事は信じられない。」というお話を良く耳にします。詳しく聞いてみると大抵「奇跡」が信じられないというのです。今日紹介する場所もその様な箇所の一つです。

  前後関係は以下のリンクを参照下さい。 http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/1944624.html

  簡単に前後関係を説明しておきます。これは紀元前1400年の旧暦4月9日の出来事です。モーセによってエジプトから引き出されたイスラエルの民は、先祖アブラハムが住んでいたパレスチナに帰還します。しかし、イスラエル民族が飢饉でエジプトに避難しその後400年の後には多くの民族がそこに城塞都市を築いていました。最初南から先住民を追放しようとしますが果たせず。40年の間荒野を放浪する結果となります。高齢となったモーセは死の直前に継者をヨシュア(ギリシャ語に音訳するとイエス)にパレスチナ(当時はカナンの地と呼んだ)攻略の方策を授けます。それは南端からの進んで全パレスチナ連合軍その総力戦を回避し、遠くアラビヤ(大草原の意味)を迂回してパレスチナ中央部に進出しパレスチナの中央部分に軍隊を進め、敵勢力を南北に分断し、強力な南部連合軍をまず掃討し、その後に北部戦線を展開することでした。

  そして、今日紹介するのはそのパレスチナ分断戦略の橋頭堡となる、ヨルダン渡河の事なのです。今日のヨルダン川は水量も少ない小河川ですので簡単に渡河できると考えられます。しかし、今から3400年前は全く様相が違いました。今日のヨルダン川の水量は表流水の殆どは上流で農業、上水、工業等の用水として取水されています。しかし、ヨルダン川流域総流量年間10億㎥と言われます。(シリアに源流を持つバニ川は1億4000万㎥、ゴラン高原に源流ダン川は2億5000万㎥、バニアス川は1億2000万㎥。ティベリア湖よりも下流でヨルダン川に流れ込むヤムルーク川4億2000万㎥。それ以外にかなりの表流水やワジがありますので約年間10億㎥は控えめな数字です。)そして、これらのの殆どは初冬の11月から3月にかけての雨季に集中します。と言う事でヨシュアに率いられたイスラエル軍団がヨルダン川を渡河した季節は洪水期で渡河など不可能に近い状態でした。

  さて、その様な状態で歴史はイスラエル軍団がヨルダンを渡河しエリコを攻略出来た事が分かっています。そのヨルダン渡河の聖書の記録です。以下は直訳です。

直訳・ そして彼らは自立した その水ら その 下るらは から に 上部へ 彼らは立った 積み重ね 一 遠くさした事 非常に 中でアダム(人=地面) その 城塞 所は 脇(横面)の ツアレタン(尖った) そしてその下ったらは 上 の 神 その アラバ(大草原) 海の その塩 彼らが完全に満たした 彼らが断ち切ら(契約をむすば)れた  そしてその民 彼らは越えた 対面して イエリコ 
ここで聖書が記しているのは、ヨシュアに率いられたイスラエル軍団が増水したヨルダン川を渡河したした事実です。その場所は世界最古の都市エリコに面したヨルダン川の死海河口近く(当時)の事です。ここで注意して頂くのはヨルダン川の水が止められた場所を示す「アダム」と言う地名です。これは最初の人間「アダム」と同じ言葉で「土」あるいは「地面」その物を意味するヘブル語です。そして、ツアレタンと言う言葉にも注意して頂きたいのです。「尖った」と言う意味の言葉です。この場所はイスラエルが渡河した場所から約30匸緡の渓谷部を指す言葉なのです。そして、この場所はヨルダン川の蛇行部分で、今日でも増水した川の水によって地面が大きくえぐられ、その先端がヨルダン川に崩落し土塁を築いて一時的にヨルダン川を堰止めることがあります。と言う事で聖書の原文はその様な自然現象がイスラエル軍団の渡河と同時に始まり、終了と共に終わったことを記しています。

  と言う事でこの出来事は何の不可思議さもない当たり前の出来事と見る事が妥当です。そして不思議なのはそのタイミング丈の問題です。その様な、あまりにイスラエルに都合良く自然現象が起きたタイミングはどうしても説明不可能です。しかも、その正確な時間まで秒単位で察知してヨシュアが軍を進めることは今日の近代土木工学や河川工学を駆使しても不可能でしょう。合理的な結論は一つ。「神様がおられてその様な自然現象をイスラエルに都合良く起こされた。」という事ではないのでしょうか? と言う事は神を信じている人には「不思議な神の業」ですが、神様を信じていない人には「自然現象が只の偶然で都合良く起こった」と言うだけの事なのです。そして、聖書が記している他の全ての奇跡も同様です。病気が直る人、死人が蘇生する事、そして昨日のエリコの巨大な城壁がくずれた事も同様です。神さまがそれをされたとする人には明らかに「奇跡」ですが、神様を信じない人には、すべてなんの不思議も無い普通の偶然の自然現象がたまたまその瞬間に発生した丈の事なのです。

と言う事で結論です。神様が存在しなのであれば、聖書に記された「奇跡は自然現象」です。そしてもし、神様が存在すれば「自然現象は全て奇跡」となるのです。何故なら、「奇跡が全て自然現象」であると言う事実は、そのままで「自然現象は全て奇跡」であるという事実の証明ともなるのです。

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