原典聖書研究

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ヨハネ3章16節

ヨハネ3章16節 

・ この様に そして 彼は愛した その 神は その 世を、 それは その 息子を その 一人子 彼が引き渡した、為に 全て その 信頼しているは 中へ 彼(神)無い 彼が滅びた(為) 反対に 彼が持ち続けている(為) 命を 永遠の。

翻訳・神は跡取りの一人息子と引き換えに世を愛した、この神に信頼している者は滅びない、永遠の生命を持つ。

一般の邦訳とは随分と違いますがこれがこの聖書箇所の正確な意味です。

一例にWEBを引用しておきます。
For God so loved the world, that he gave his one and only Son, that whoever believes in him should not perish, but have eternal life.

 この箇所は随分と昔から論争を引き起こしてきた箇所なのです。この論争は最初アルミニウスとテオドールベザという人たちではじめられました。
 いつ頃かというと日本では大阪夏の陣で豊臣家が滅んで徳川第二代将軍の秀忠の時代のお話です。オランダの南西部にあるドルトレヒトで開催されたドルト会議がその舞台です。1618年11月13日から翌年5月9日までかかって、当時は宗教改革の直後で改革派(プロテスタント)のオランダ国内外の教会の代表やプロテスタントの諸国から正式に国家使節として派遣された18名を加えた102名の代議員によって154回の会議が開催されました。

  アルミニウス派の5条項に対してベザに代表されるカルバン派の5主題が議論され、代議員数で圧倒的であったカルバン派の主張が採択されました。同時にアルミニウス派の5条項は異端として排斥される事が決したのです。

  お互いが論じ合った5つの問題はここでは取り上げませんが、簡単に言うと神様の救いは本人の「自覚的信仰が条件」なのかそれとも「神様に信頼している事実だけが問題」なのかといってよいでしょう。

  以前お話しした信仰か信頼かと言う議論とほぼ同じ問題であったのです。
参考URL http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/688353.html

  まあ、結論が出された物はそれで良かったのですが、問題が残りました。アルミニウス派の人々はドルト会議は不公平な多数決であり無効であるとして、一向に信仰のあり方を変える事をせず、ますます増長して自分たちの教理を布教したのです。そして此の流れの中から英国のジョンウエスレーが登場します。

 確かに、ドルト会議の進行方法には問題がありましたがやはりこの問題の解決は会議ではなく、聖書の正しい理解によって決着されるべきでした。そして、今日の冒頭の聖書箇所もやはりカルバン派の主張が正当である事を示しています。

  何故なら、救いの条件としてこの聖書箇所で聖書の原典が主張しているのは、人間が「神様の遣わしたキリストを信じる」事ではなく「神御ご自身に対する信頼の有無」を示しているからです。

 日本語に訳された一般の邦訳聖書や英訳を見るとジョンウエスレーの系統が強く、ウエスレー派やホーリネス神学や聖霊派の主張に都合良く訳出されています。しかし、問題はギリシャ語の聖書原文がなんと主張しているかが問題解決の基本原則なのです。
  
  このヨハネの福音書3章16節が明確に示している事は「キリストを信じる」とう言う行為が救いの条件だとここで言っているのではないのです。

  神に信頼している者が滅びないで生命を持つ為に「御子を世に遣わされた事実」を神の愛の具現的証拠として読者に提示しているのです。

  そして継続する18節により詳しくこの事が説明されています。そこには「神の一人息子の名前に信頼しない者は既に裁かれている」いう言葉に注目しなければ成りません。神の一人息子の名前はご存じの通り「イエス」です。そして、その言葉の意味が大切なのです。

  聖書の中で最初に「イエス」という名前が登場するのは出エジプト記の17章9節です。旧約聖書がギリシャ語に訳出された70人訳をみると、ヘブル語のヨシュアと言う名前はイエスと訳出されています。と言う事で神の一人子の名とはヨシュアを意味するのです。そしてこのヨシュアと言うヘブル語は「ヤハウエ」が「救い」と言う意味なのです。やはり、ここでも「神様の救いを信頼する事」が聖書のいう救いなのです。と言う事で人間の側の信仰が救いの条件では無い事がわかるのです。「神様の御業」に対する信頼が救いの原則である事がわかります。

 神様の救いが先行的に存在し、そのためにキリストが遣わされて十字架で処刑され贖いを完成されましたが。その神の子イエスと言う名前の持つ意味は「神が救ってくださる」という意味であることが大変重要なのです。その意味で旧約聖書が教えている救いも、新約聖書が教えている救いも全く同質の救いであることがわかります。 
  
 この箇所に例を見るまでもなく、多くの聖書箇所がキリスト教の各宗派の神学に合致するように訳出されるのは仕方が無い事かもしれません。と言う事で、出来る人はギリシャ語やヘブル語の原典で聖書を読めるようになる事は大切な事なのです。 

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