原典聖書研究

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聖書誤認の基本

聖書誤認の基本 ヨハネの第3の手紙5節、6節 

聖書を原文で読んでいると考えさせられる事は尽きません。今日も、一カ所面白い聖書の箇所をご紹介することにします。それは新約聖書のヨハネ第3の手紙5節です。

先ずいつもの様に直訳をご紹介しましょう。

05節 ・愛されているよ、信頼を あなたが行い続けている 所は もし あなたが働いた(為) 中へ その 兄弟ら そして これが 外国らを、

06節・その 彼らが目撃証言した あなたの その 愛に 面前で 教会の、これを 良い あなたが行い続けている 方に遣わしたは ふさわしい その 神の。

さて、この箇所で注目するのは 「もし」と言う仮定をあらわす言葉です。この言葉は接続法を伴って用いられ 条件文で、5節は「もし○○したならば」となります。す。そして続く6節には帰結文となり「成るであろう」 と言う事なのです。 このギリシャ語の基本的な文法に従ってこの聖書箇所を翻訳してみましょう。 

5節(条件文・もし行ったならば)→・ 愛されている人よ。する所はあなたがもし行い続けている信頼(の業を)兄弟や滞在者におこなったならば。
6節・(帰結文・したでしょうに)→・教会の真ん中であなたが行った愛餐の食事は、神の価値ある使者達に良い業を行い続けていると目撃証言したでしょうに。

と言う事になります。と言う事はこのヨハネの第三の手紙の著者は、この手紙の受取人に対して、「あなたは良い事を行った」と誉めているのでは無いのです。

 原文が行っているのは。条件文ですから、「もしあなたが良い事を行っていたなら」つづく帰結文では「それを見た人々がそれを目撃証言したでしょうに」「本当に...残念でしたね」と言う事なのです。

  面白いですね。「批判の文面」がどういうわけか「称賛の文面」に誤訳?それとも改竄されてしまっているのです。

  問題は間違いがここだけならば良いのですが、どうも、聖書の翻訳はどこも彼処もこのようなボタンのかけ違いの連続です。 

  原文を読む限り初代教会はさして誉める所の無い教会であった事は自明なのです。まして今日の教会は尚更堕落して誉めるどころかしっかりと聖書を学んで叱責を受け取らないと堕落は際限の無いものとなってしまいそうです。 
  今日は、翻訳されている聖書の所々に見られる、誤訳の基本。叱責を全て称賛と取っているボタンのかけ違いのご紹介でした。

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