原典聖書研究

ギリシャ語はギリシャ語の書庫や聖書関連記事は「無題」の書庫です。

全体表示

[ リスト ]

原典通読完了

原典通読完了 新約聖書 黙示録22章21節  新訳聖書2度目の読了

 昔は毎日、日本語に翻訳された聖書を通読していました。新旧訳聖書の通読回数が100回を越えたあたりで読んでも殆ど新しい発見が無くなってしまったので、最近は翻訳を読むのを止めてギリシャ語や70人訳とヘブル語の原典を通読しています。日毎に2章ていどを原文で読むのです。新約聖書なら殆ど辞書が不要なのでどうしても新約聖の通読に傾きがちで、今朝ようやく、今年になって二度目の新約聖書原典通読を終えました。
 聖書の最後の言葉を今日はご紹介する事に致しましょう。  
  
 直訳・その 恵み その 主の イエスの 共に 全てら。

  翻訳すると 主イエスキリストの恵みが 全てらに。と成るのですがこの箇所には写本の本文に様々な異同が在るのです。それを、まずご紹介しましょう。

  最後の部分が問題なのです。 

  先ず古代のコプト語訳聖書にはこの21節が全て除外されていて、20節で聖書が終わっています。
フアミリー46と言われる小文字写本群には 「主のイエス キリストの」 とキリストが追加されています。 
  ブルガタ訳やシリヤ語訳等の古代訳には 「私たちの主 イエス キリストの 」と私たちが追加されています。
  シナイ写本と云う定評在る写本には最後に「共に 全てらの 聖らの アーメン 」と恵みの範囲が聖徒=信者に限定される言葉とアーメンと云う言葉が追加されています。

  さて、以上の事を踏まえて、使徒ヨハネが書いた最初の黙示録の原典はどうなっていたのかを考えてみる事しましょう。

 わかる事ですが、シナイ写本に追加されている「言葉は明らかに教会の都合の良い言葉」ですから、後代の追加として原典にはなかったと言えるでしょう。

 そして、当然「私たちの」と云う ブルガタ訳やシリヤ語訳の翻訳は教会の意向に合わせた翻訳者のスタンドプレーと思われます。 

と言うことで結論は 「主イエスの恵みが全てと共に。」だろうと言うことになります。 

  そして問題はこの文章には動詞が無いと言うことなのです。主動詞が無い文章はそれを補わないと翻訳に成りません。 一番考えられる言葉は存在し続けている。と言う ギリシャ語のBe動詞です。

  とすると 「主イエスの恵みが全てと共にあり続けている。」となります。

  次に考えられるのは、祈願文として翻訳することです。 更に考えられるのは 場合で翻訳は 「主イエスキリストの恵みが全てと共にあれ! 」となります。

そして更なる問題は 「共に」と訳出している前置詞「メタ」の翻訳です。この言葉には

「真ん中に」「共に」「に対して」 「によって」と言う4種類の意味があります。 どの意味に訳すかはむつかしいところです。

  最も普通にこの箇所を翻訳すると 「主イエスキリストの恵みが全てらの真っ只中に存在し続けている」となります。

  わかりますか、翻訳すると言うことは原文が持っているこれだけ多様な意味合いのほんの一部分しか表せないのです。 だから原典で聖書を読むと非常に新鮮で、常に新しいことを見いだす発見が尽きないのです。

この記事に


.


みんなの更新記事