原典聖書研究

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割礼禁止(ガラテヤ5章6節)

リクエストを有り難うございました。早速直訳です。

06 ・中で そして キリスト イエス 無いも 割礼が あるもの 彼が力があり続けている 無いも 包皮が、反対に 信頼は 通して 愛 自分の為に働いている。  

翻訳にしてみます。

06・キリストイエスの中では割礼はなんの力も無い。包皮も何の力も無い。逆に信頼は愛によって(自分=信頼の為に)働きつづけている。

 コメント

 ガラテヤの教会にエルサレム教会から使節がやって来ていたのです。彼らは減少し続ける聖地エルサレムへの巡礼者を新たに獲得するように祭司長たちから使命を授けられていました。

 当時のエルサレムの町は巡礼者達が逗留する宿泊費や祭壇に奉献する生贄の販売収入に依存していました。その収入で多くの神殿の聖職者達が生計を営み、町その物の財政も成り立っていたのです。

 しかし、ローマの属国となったイスラエルは国力が落ち必然的にエルサレムへに上る巡礼者は減少しつづけさらに少なくなった巡礼者のサイフの紐は堅くなり、聖職者達が贅沢に明け暮れる為には増収策が必要でした。

エルサレムの聖職者たちは増え続ける異邦人キリスト者に目をつけたのです。そして各地の異邦人キリスト教会に派遣されたのがエルサレムからの宣教師達でした。

立派な服装に良い肩書をぶら下げてエルサレムからの宣教師達はガラテヤの所教会にもやって来たのです。宣教師達が目をつけたのは、キリスト教に改宗したギリシャ人クリスチャンの富裕層でした。

  彼らは良い鴨でした。なぜなら富裕層は信仰的な犠牲や奉仕には積極的でなく、必然的に教会では信仰働きも少ない世俗的な弱い信仰者として重要視されなかったからです。 彼らに割礼を受けさせ、家族でエルサレム詣を毎年させ神殿で贅沢な犠牲を捧げ、それを霊験あらたかに教会で自慢すれば衆目を集め続々とまねをする金持ちが現れる事請け合いでした。

 羽振りの良い富裕層のギリシャ人キリスト者はエルサレムでの金離れもよくお供やお土産物等で経済効果は計り知れなかったのです。 

 そして、減少し続けるユダヤ人巡礼者の不足を補って余りある増収は、宣教師達の業績となって、彼らがエルサレムに戻ればより高い聖職者の地位を獲得出来る事請け合いでした。

 また、改宗したギリシャ人クリスチャンにしてみればエルサレム詣では大変魅力的でした。何しろ貧しいクリスチャンには望み得ない贅沢です。自分がエルサレムに行けたのは神様の特別の祝福であったと吹聴し、人々からその祝福を羨ましがられて、普段自分が金の亡者として教会で白眼視されていることの代償と成るだけではなく、人々の羨望の視線と、おもねる浅ましいキリスト者の称賛の言葉を満喫し、自己満足にどっぷりと浸る事が出来たからです。

 パウロはそんな堕落しきったエルサレム教会やユダヤ教に決別したはずの、キリスト者が、そんな騙し事に加担して割礼を受け、エルサレム詣でをする暇とお金が有ったら、むしろその暇と時間を使って周囲の貧しいキリスト者達にでも愛(愛餐や慈善)に費やすことを勧めたのです。

  以上 

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閉じる コメント(6)

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勉強になりました。
割礼は某国ではほとんどがキリスト教の信者ではなくてもしますね。
う〜ん。
ポチです。ただいま〜^^

2009/3/23(月) 午前 10:32 瑠 返信する

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Ruri様

お待ちしていました!! ご無事で復帰ですね!! ポチ感謝です!!

2009/3/23(月) 午後 1:38 [ 油食林間 ] 返信する

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合点が行きません。エルサレム教会がどうして決別したユダヤ教の祭司長とつるんで、そんな命令まで受けなければならいのでしょうか。キリスト教徒にそんな聖職者の懐を支える筋合いは無かったのではないかと思えます。

ユダヤ教の司祭達が独自に宣教師を派遣して、ギリシャ人キリスト教徒をかもにしたという話ならわかるのですが。

それで、ユダヤ教の祭司長たちとエルサレム教会の間にどんな取引が有ったのか、どんな資料を見れば確認できるか、御教示いただけないでしょうか。 削除

2009/3/23(月) 午後 2:03 [ Alexamenos ] 返信する

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Alexamenos様

このガラテヤ書の背景は使徒の15章です。そこを翻訳ではなくギリシャ語の原典でしっかり読み、ガラテヤ書のギリシャ語の原典と比較して下さればすぐに分かります。またギリシャ語のちゃんと出来る牧師さんに聞けばすぐに分かる事です。

余分ですが、 合点が行く行かないの問題ではなく、神様が紀元70年にエルサレムも教会も同時に地上から消滅することを許された点でエルサレム教会の堕落は自明ではないでしょうか。
聖書には「これら全ての呪いかあなたに望み、あなたを追いかけ、あなたに追いつき、遂にはあなたを根絶やしにする。あなたがあなたの神、主の見越えに聞き従わず、主が命じられた命令とおきてとを守らなかったからである。(申命記28章45節)モーセの預言が新約の時代のエルサレムで再び成就したのです。

2009/3/23(月) 午後 5:44 [ 油食林間 ] 返信する

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ありがとうございました。

>むしろその暇と時間を使って周囲の貧しいキリスト者達にでも愛(愛餐や慈善)に費やすことを勧めたのです。

それが
>信頼は 通して 愛 自分の為に働いている。
の中身なんでしょうね?

とすると、それまでの「大切なのは愛によって働く信仰」という
綺麗でわかりにくい翻訳よりもはるかに内容が見えてきたような気がします。

わたくしは英語のインターリニアから、「愛によってオペレーティングされてる信仰が、愛によって運転される車のように、善い働きができて、それが、貴く大切」ということかな?と思っておりました。

「信頼は愛によって働き続けている」のが「大切なことである」と加えていいかどうか悩ましいところですが、
大筋は外れていないということでしょう。


感謝します。
祝福がありますように。

2009/3/24(火) 午前 8:34 [ iid**630 ] 返信する

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iid**630様

目の前の兄弟達を愛する事を忘れて割礼を受けエルサレム詣でなどには何の価値もないのだと言う事だとおもいます。

信仰は見返りの無い愛の実際の行為によって本物である事が始めて実証されるということでいいと思いますよ!!

2009/3/24(火) 午前 11:10 [ 油食林間 ] 返信する

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