原典聖書研究

ギリシャ語はギリシャ語の書庫や聖書関連記事は「無題」の書庫です。

全体表示

[ リスト ]

嘘の勧め

嘘の勧め  マタイ5章11節 

直訳・祝福されているらは あなた方はであり続けている その時 彼らが叱責した(為)あなた方を そして 彼らが追求したため そして 彼らが言った(為) 全てを 悪を 下に あなた方の 〔嘘をつくらは〕の為に 私。

今日はキリストがお弟子達に教えた山上の説教の9つの祝福の教えの最後が目に留まりました。 何が問題かと言うと最後から3つ目の「嘘をつくらは」と言う言葉です。殆どの翻訳がしている訳でいいと思うのですが、この箇所を単純に読んでみるとこうなります。 

翻訳・ あなた方は祝福されています。あなた方が批判された時、そして 迫害された時、そしてあなた方の下に全て悪と言った時、私の為に嘘をつくらは  

  となります。 もし上記の様に原文をそのままに読むなら、「私の為に嘘をつく人たちは祝福されている」と言う意味になります。どう考えてもモーセの十戒の「偽りの証言の禁止」と整合性が無くなるので。一般の邦訳は「ありもしない事(=嘘で)悪口雑言を言われる人は祝福されている」と訳出しています。 

  私は何もあえて、それに反論をしているわけではありませんがこれはこのギリシャ語のテキスト本文の解釈の一つに過ぎないと思っています。 
  
  ではもし、私が記した様に、「私の為に嘘をつく人たちは祝福されている」とすることも特に問題はないと私は思っているのです。 

  何故かと言うと、それは十戒の理解に関わっているのです。十戒が禁じているのは嘘をつく事ではなく、偽の目撃証言です。と言う事でそれは裁判の席で誰かを有罪に落とし入れるために成される偽証言の事なのです。十戒が普段私達がついている嘘を禁じているわけではないと言いたいのです。

  誤解の無い様にしてください。私は嘘を言っても良いと言っているのではありません。「モーセの十戒」が禁じているのは嘘ではなく「偽の証言」で嘘と「偽目撃証言」は本質的に異なった物だと言っているのです。

  「何が違うか」というと、全く違います。何よりも動機です。それは嘘は自分の利益、不利益に関する場合です。また人を騙したりする為の物ですが、それは騙される側にも責任の一端はあります。 

  しかし、「偽の目撃証言」は違います。何の罪も無い無実の人を犯人に仕立て上げ、多くの場合死刑の判決を導き出す手段なのです。聖書が禁じて入るのはこちらの方なのです。 

   とするともしかしたら、「神様の利益の為に嘘をつく人が祝福されている」と言う読み方も一概に否定できない物である事が分かってくるのです。

   ただ、その様な翻訳をする事は誤解が生じるので止めた方がよい事は確かです。 

この記事に


.


みんなの更新記事