原典聖書研究

ギリシャ語はギリシャ語の書庫や聖書関連記事は「無題」の書庫です。2018年5月29日より新投稿不能31日回復しました。

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心の見張り


いろいろな教えの中でも特に大切です
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聖書って沢山の人に読まれいろいろ紹介されていますがやっぱりおもしろい事が言われています。きょうはその中から一つを取り出してご紹介してみましょう。こちらです。
  旧約聖書の箴言の4章23節
直訳するとこうなります。(原文のヘブル語の意味をそのまま日本語に変換?してみました)
23 ・ から全ての 見守り あなたが見張れ 心あなた その時 から出て来る彼 出て来るらの 生きる(or生涯)ら
おもしろい命令ですが、「自分の心をしっかり見守れ」というのです。
使われているヘブル語は最初の見守りはナッアールという語でキリストの育たれた町のナザレと同じ綴りの言葉です。若枝とか芽吹きという意味もありますが権威有る辞書によるとこちらはしっかりと目を離さないで注視する事だそうです。
見張れという方はヘブル語のシャマールという言葉で手出ししないでしっかりと推移を注視するとい意味です。要するにこの二つの言葉で心というものはしっかりと見張らないと何をしでかすか分からないという意味です。
  さて、では自分の心を見守っていると一体どんな事が解るでしょうか。たぶん何も分からないのではと思います。しかし、目は心の窓と申しますが逆に目で見るものは全て人間の心に影響して心が変化します。 一つの出来事を見ても人によって心の動きはまちまちです。有る場合は全く正反対に動くのが人間の心と言うものです。
  たとえば、結婚当初家内が私に何時も鮭の切り身の腹の部分をお皿にとりわけ、自分は何時も尻尾の部分を取り分けていました。 ある時夫婦喧嘩をしてその時に私は「お前は何時も鮭の良い部分を自分にとっておいしくない所を私に取り分ける。」言うと唖然としたような顔をして「え!! あなたは鮭の尻尾が好きなの。じゃあ私は頭に近い方を頂くは。」という事になり、一件落着です。実は私は魚の油の多い部分が嫌いで淡白な筋肉の部分が好きだったのです。
   私に善意をもって自分は犠牲を払ってくれていた家内の思いが、全く正反対の「ナンテ自己中心で自分勝手な人なのだろう」というふうに私の心は動いていたのです。
  要するに自分がまちがっていても人間の心は自分の思いや考えを絶対化してそれと異なる思いや心を思いやる事が出来ず、の心をそのまま相手に押しつけて人を判断してしまいやすいと言う事なのです。
  この様な心の働きを心理投影(プロジェクション)と言うようですが、人の行動や社会の動きを見た時、それをどう思うかは、実は自分の心がどんな物であるかが反映して見える物だという事なのです。
  要するに心の悪い人間には人の行為も世の中も何もかも悪くばかり見えるし、心の良い人間には人の行為も世の中も見る物全てがよく見えるという事なのです。
 もちろん世の中には常識とか良識とか法律とか言うものがあり公平で客観的な評価がなされるべきなのですがそれはあくまでも建前であり、実際には自分の心の本当の姿が人や社会や世の中に反映して見えているという事なのです。
  だから、人間は自分の心がどんなふうに働きどうな風に物事を見なしているかをしっかりと見張る事が人生ではとても大切な事だという事なのです。
 聖書によれはその結果は生命だと言うのです。 そうあなたの心から実はあなたの生涯(人生)が築かれるという事なのです。一生が良いものであるか悲惨なものであるか、それは人があなたに与えてくれたり奪ったりするものなのではなく本当はあなた自身の心が作り出す物だという事なのです。

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良い話です。

2017/11/23(木) 午後 6:14 [ amg*8*1 ] 返信する

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