原典聖書研究

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エフオーボント ガル

エフオーボント ガル 「彼らは恐れていた そして」マルコ16章8節

  マルコの福音書を今朝読み終わりました。大抵の翻訳に上記の16章8節の後に、短い末尾や長い末尾などが追加されて翻訳されていますが、ギリシャ語の原文にはその部分はありません。

  ではなぜ、そんな部分が翻訳されているのか不思議に思われるかたがおられるといけないので簡単に説明しておきます。

  マルコの福音書はイスカリオテのユダがイエスを裏切った事で有名な最後の晩餐が行われた豪壮な邸宅のお坊ちゃんであるマルコが、それから30年後にローマで使徒ペテロの口述筆記で記した物なのです。
  ローマで記されて居るのにギリシャ語であるのは不思議ですが、極当然の成り行きでした。彼らがローマでこの福音書を書いていた当時(おそらく紀元64年)にはラテン語を解するローマ人のキリスト者は本当に稀であったからです。ローマの教会に集まるのは殆どがギリシャ人だったのです。ギリシャ人達が祖国を捨てローマに流れてきた原因はギリシャの国家の滅亡でした。戦争で100年程前にローマに国家を侵略されたギリシャ人達が生活に困り食を求めて大都市になっていたローマに流れてきていたのです。彼らの身分は奴隷が圧倒的でカタコンベやスラムに暮らす難民達が当時の教会の中心メンバーでした。勿論ローマに魂を売ってお金持ちになっているギリシャ人も教会に集ってはいましたが一部でした。
  そして、この当時はあの残忍なネロ皇帝がローマ大火の火付けの嫌疑を張らす為に、クリスチャンをスケープゴートにして迫害していたのです。

  迫害当時のローマ教会の設立者とされるパウロと復活の証人として当時ローマに滞在していたペテロほぼ同時に承継されました。ペテロはキリストの受難と復活の証言の全てをこの福音書に記録し終えたのです。そして、そそっかしいペテロらしくここまで記録し終えた直後にネロ配下のローマ官憲に拘束され処刑されたのです。

  マルコが口述筆記したペテロの証言には随所に「すぐに」と言う言葉が登場します。かれのそそっかしい生活にも原因が在るでしょが、それ以上にペテロには官憲による処刑が切迫していたがゆえに「直ちに」を連発して福音書を記したと思われるのです。

  そしてペテロはローマ人に捕らえられ、伝説では逆さ十字架刑にされて刑死したと言われています。そしておそらくマルコがペテロから聞いて書き記せたのはこの16章8節でギリシャ語の原典では「エフオーボントガル」迄なのです。この部分を訳すると「彼らは恐れていた そして」でしり切れトンボなのです。

 そして、それから300年程後にローマがキリスト教国になってから、この部分の体裁を整える為に短い末尾や長い末尾やが捏造され、それが今日に至っているのです。

  ですから、マルコの福音書は16章の8節で終わりです。そこから後は聖書の本文にはありません。そして、この不自然な終わり方こそが大切なのです。何故なら、ここにこそペテロが生命を賭して記したキリストの生涯と教えと受難と復活が記されており、その事が事実であることを彼の生命と引き換えにしたことを如実に記録しているからなのです。

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先生、ここの箇所は「マルコ15章8節」ではなく、「マルコ16章8節」ではないでしょうか?教会のサイトを見ると、先生ご自身が16章まで直訳をされていますので、単なる入力間違いをされてるだけのようですね。お知らせのみさせていただきます。

2006/11/30(木) 午後 5:02 [ - ] 返信する

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dreadlocks2035様 ご指摘有り難うございました。今頃コメントに気付いて今日(2007年6月13日)に16章に訂正させていただきました。そうそう、教会でも「先生」は禁句にさせて頂いています。ここでは「セミダリオンさん」でよろしくお願い致します。感謝m(_ _)m

2007/6/13(水) 午後 1:09 [ 油食林間 ] 返信する

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