原典聖書研究

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相応しい囚人

相応しい囚人 エペソ4章1節 

今日はパウロが獄中で記したと言われるエペソ人への手紙をよみました。気になったのは上記の箇所です。何時もの様に直訳をまず記します。

01 ・私は側へ呼び寄せ続けている そういうわけで あなた方を わたしが その 囚人の 中で 主 ふさわしい 歩いた事 その 呼ぶ事の 所の あなた方が呼ばれた、

翻訳にしてみます。

主にあって囚人である私パウロがあなた方にお勧めしています。 あなた方が召された神の招きに相応しく歩むことを。

 誇り高い大都市エペソの町のキリスト者達に、事も在ろうにパウロは囚人である事を自慢して、「あなた方も私の様に生活しろ」 と勧めているのです。そして、「あなた方を召された神の召し」とありますがこの招かれた方は当然、「犯罪人として十字架で処刑されたキリストの召し」となります。

 と言うことで、「聖書が勧めていることをまともに行えば、誰でも囚人になる」と言う意味になります。そして私はそれは今日でも真実で変わりは無いと思っていす。

  けれども実際、「キリスト者が牢屋にぶち込まれた。」という話しは最近聞いたことがありません。もし聖書の言葉が正しいとすると、「最近のキリスト者は召されたキリストに相応しい生活をしていない。」と言うことになります。勿論この私を含めてのお話です。

  と言うことで、聖書は基本的に反社会的な傾向の在る書物である。と言うことを考えさせられました。勿論そんな事になら無い様に、ちゃんと聖書が今の時代に受け入れられ、評価される様に翻訳されている事が今日の世間で迫害されていない教会が存在できている原因一つではないかとかねがね思っている次第です。

参考聖書箇所 マタイ10章22節、24章9節、マルコ13章13節、ルカ6章22節、21章17節、ヨハネ15章18節、25節、17章14節 などなど、聖書は教会やキリスト者が健全であれば必ず世界中で憎まれると言う事を幾度も明記しています。但しそれは犯罪行為の故ではなく、「世の中の間違いを明確に指摘する」という聖書の主張を明示した結果の必然だと言うことです。逆にいうと教会やキリスト者が世=世界から憎まれないのは、聖書が正しく訳出されてないために聖書を正しく知らない事の必然的結果なのです。もし、原典で聖書が正しく読まれたら「聖書翻訳の間違いを指摘したが故に、先ず第一にキリスト教界から憎まれ排斥される」はずです。

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