原典聖書研究

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翻訳と解釈

  「翻訳と解釈」とは、また随分と大上段に構えた題です。今日は、そのことを考えてみましょう。この題で一番最初に頭に浮かぶのは、新約聖書ローマ人への手紙の16章です。
  ギリシャ語の原文でこの箇所を読んでみると、ασπασαθε(アスパサスセ)と言う単語が連続しているのです。3節、5節、6節、7節、8節、9節、10節(2回)、11節(2回)、12節(2回)、13節、14節、15節、16節にあり5節以外は節の冒頭に位置しています。同じ単語が16回も連続するのは異例中の異例です。しかも、ギリシャ語には英語の様な語順は無い為冒頭にある単語は強調を意味しているのです。 
  この、ギリシャ語 アスパサスセ の基本原形 は ασπαζω=私は挨拶する(安否を問う)と言う意味で、全く解釈不要のごく一般的な単語なのです。そして問題は何かと言うと、これらの16回が全て二人称複数の命令形なのです。しかも、アオリスト(不定過去)と言う時制なのです。この語を日本語に訳すと「あなた方は挨拶しろ」となるのです。しかも、ギリシャ語のアオリスト時制は非常に強い意味があり、その上に命令形で冒頭ですから三重に強調されています。
  ローマの教会のメッセージを記した手紙の最後に最も大切な事として著者パウロが非常に重要な、言葉として、16回も連続して使用しているのです。考え得る限りの非常に重要な意味をパウロがこの語に置いている事は否めません。
  強い語調で幾度も繰り返して、大きな声で強く「あなた方は挨拶しろ」と言うこの言葉には、重大なメッセージが間違いようも無く、明白に記されているのです。
 最近は日本でも職場や学校、地域などで挨拶の励行が奨励されていますが、「挨拶しろ」などと言う命令をしたなんて話はあまり聞きません。
  しかし、聖書のこの箇所は明確に強い命令形です。当然この部分を英語や日本語に訳した翻訳は命令形になっているだろうと思って調べてみると、いずれも原文とは全く異なった文章に訳しています。全ての翻訳が「よろしく」なのです。しかも、パウロがそのようにローマの人々に依頼しているかのように訳出しています。

  原文からはどんなに複雑で高度なギリシャ語の高等文法を適用しても不可能な訳文になっています。

  何故でしょうか? 原因は明白です。以下の様な物でしょう。

  全世界そして、ヨーロッパキリスト教世界そして、ローマンカソリック教会の源流たる初代ローマ教会において、キリストの使徒にして初代ローマ宣教者であるパウロが、「挨拶しろ」などという人間の基本的素養に関して命令される様な失態は存在してはならない。

 と言う事ではないでしょうか。そうして、このような「よろしく」と訳している全世界の殆どのキリスト教会も同様の意見なのです。

  キリストとその使徒達によって形成された初代教会は神の愛とキリストの聖なる贖いによって、地上に出現した理想郷であり、完全無欠でなければならない。その様なキリスト者の理想たる初代教会に、使徒パウロが事もあろうに、「お前らは挨拶しろ」などと「どぎつい命令」をしなければならない様な不和や無視が教会内に存在するはずが無い。故に、これはアオリスト形の二人称の命令形ではあるが、そのまま訳すのは適切ではない。「よろしく」と意訳する以外に解釈の可能性は存在しえない。
  以上が、パウロが記したこのローマ教会の手紙の末尾のασπασαθε(アスパサスセ)という厳しいパウロの命令をそのまま訳出しない根拠です。

  それで、良いのでしょうか? 

  判断は、ローマ教会の信徒が「挨拶する様に命令されている対象の名前」を詳しく見てみると、真実が見えてきます。そうなのです。「挨拶しろ」と言われている人々の名はいずれも「奴隷名」「黒人名」「貧困者名」などて殆どがローマ人ではなく敗戦国のギリシャ人や被支配民族名なのです。

  とすれば素直に、ローマ教会では最初から「貧民や民族に対する根深い差別があり、キリスト教会内で挨拶もされない被差別階級が存在していた」と言えるのではないでしょうか。しかも、その差別され挨拶されていない人々はパウロの息のかかった、信仰的に優れた人たちでした。彼らには残念な事に世の人々が評価する様な家柄や地位に加えて教養や財産というローマの人々から評価(認められ=挨拶)される為に必要な資質を持ち合わせていなかったのです。
  そのことを考慮して、「世界の首都に集まるエリート集団やローマ貴族の富裕層にありがちな根深い差別がローマ教会内に根深く存在した」と認めれば、なにも無理して厳しい命令を「よろしく」などとでたらめに訳出する必要は無いのです。

  それに、他の聖書の箇所を見てもこの箇所の異常性は顕著です。新約聖書にはこの「ασπαζω=私は挨拶する(安否を問う)」という言葉は60回使われています。そのうち命令形はローマ人への手紙の末尾の16回以外ではパウロ書簡などに6回を散見するのみです。
  それらの書簡も内容と比較するとローマ人への手紙と同様の問題=「差別あるいは無視」がローマ教会外の初代教会内に存在していたと見られます。

  たかが挨拶の問題なのですが、これは単に此処だけの問題ではありません。聖書全体を翻訳する時に全く同じ前提 = (完全無欠の理想たる初代教会願望=信仰?)がキリスト教界全体に暗黙の了解として存在しているのです。その結果、聖書が明確に記している初代教会の不祥事やあるまじき堕落の実体が、聖書翻訳の所々で明確に記されているのに、それらが全て曖昧に訳出される結果をもたらしているのです。

  そして、その様な「キリスト教会理想郷願望=信仰」は現実のキリスト教会の内部の腐敗や堕落から目をそらせる結果を招いているのです。その妄信の帰結として、現実の世界の殆どのキリスト教会内部の問題は看過され、潜在化して偽善となり慢性化して末期的な犯罪となって顕在化し醜聞(=摂理や京都聖神中央教会などの不道徳犯罪を蔓延させ、それを筆頭に各個教会内部の欺瞞や教団教派宣教団体に加えて米国ネオコンや韓国与党に見られる宗教と政治の癒着など)を世界中で引き起こしているのです。

   初代教会も現代教会もそこに集うのは人間です。たとい、キリストの救済に与っていたとしても所詮罪人の集団です。世の常識が支配する地上の世界です。唯一の相違点はローマで処刑されたことで著名な使徒ペテロが言う様に「彼(=パウロ)は、どの手紙にもこれらのことを述べている。その手紙の中には、ところどころ、わかりにくい箇所もあって、無学で心の定まらない者たちは、ほかの聖書についてもしているように、無理な解釈をほどこして、自分の滅亡を招いている。(汽撻謄蹌馨16節)」か、初代ローマ教会が成した様に、「この聖書の言葉を曲解せず、また個人的な批判とせず、神の言葉として受け入れ、問題の人に改善か追放の選択を余儀なくさせた」かの相違なのです。
 
  このローマ人への手紙の16章に名が残されている人々が中心となって、堕落した初代ローマ教会を改革しパウロの手紙を神の言葉として後世に伝えたのです。

  今日は翻訳と解釈と言う題でしたが、聖書を原典で読む事は様々な人間の営みを排除して真実を見抜く目を養う事になります。そしてローマ教会の最初から現在の全てのキリスト教会全体の内部に厳然として存在している根深い差別や偽善体質に光を当て、聖書の真実な主張を知る第一歩の学びでした。

  参考の為に、以下に出来るだけ原典に忠実で在ろうと努力している翻訳(WEB)へのリンクと、今日の箇所の英訳部分を参考の為張りつけておきます。

(The World English Bibleはパブリックドメインです。)http://www.ebible.org/bible/web/Romans.htm#C16V1
16:3 Greet Prisca and Aquila, my fellow workers in Christ Jesus, 16:4 who for my life, laid down their own necks; to whom not only I give thanks, but also all the assemblies of the Gentiles. 16:5 Greet the assembly that is in their house. Greet Epaenetus, my beloved, who is the first fruits of Achaia to Christ. 16:6 Greet Mary, who labored much for us. 16:7 Greet Andronicus and Junia, my relatives and my fellow prisoners, who are notable among the apostles, who also were in Christ before me. 16:8 Greet Amplias, my beloved in the Lord. 16:9 Greet Urbanus, our fellow worker in Christ, and Stachys, my beloved. 16:10 Greet Apelles, the approved in Christ. Greet those who are of the household of Aristobulus. 16:11 Greet Herodion, my kinsman. Greet them of the household of Narcissus, who are in the Lord. 16:12 Greet Tryphaena and Tryphosa, who labor in the Lord. Greet Persis, the beloved, who labored much in the Lord. 16:13 Greet Rufus, the chosen in the Lord, and his mother and mine. 16:14 Greet Asyncritus, Phlegon, Hermes, Patrobas, Hermas, and the brothers who are with them. 16:15 Greet Philologus and Julia, Nereus and his sister, and Olympas, and all the saints who are with them. 16:16 Greet one another with a holy kiss. The assemblies of Christ greet you.

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ありがとうございました

2006/9/26(火) 午後 5:23 [ 山崎 浩 ] 返信する

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