原典聖書研究

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信仰の初歩の放置

信仰の初歩の放置 ヘブル人への手紙 6章1節から3節

今日はヘブル人べき手紙の前半を読みました。記されている内容は結構難しいのですが、分法的にはかなり簡単な語法が使われていて、旧約聖書の70人訳の単語に慣れていると簡単に読み進める聖書箇所です。

さて何時もの様に、まず上記の箇所の直訳を記しましょう。

06 01 ・この故に 放置したらは そのを その 最初 その キリストの 言葉を 上に その 完成物を 私達は運び続けている(為)、無い 再び 基礎の 下に投げたらは 思考交換を から 死人らの 働きらの、そして 信頼の 上に 神、
02 ・浸すらの 教えの、置く事の も 手らの、再び立つの も 死者らの、そして 裁きの 永遠の。
03 ・そして この事 私達は確かに行う もしほんとに 彼が上に回転する(許す)(為) その 神が。

問題に思うのは一番最初の「放置したらは」と言う言葉です。この言葉は一般に罪の「赦し」と訳されるアフイエーミと言うギリシャ語なのです。しかし、そのように訳出するとこの文脈でも話が通じなくなるのです。そう、「放置する」と正しく訳出すると前後関係と上手く意味が通じます。

  と言うことで、他の箇所もじつは「放置」と訳出する事が必要なのです。聖書に記されている罪の「赦し」はじつは赦しと言う意味ではなく、「放置」=「そのまま残しておく。」と言うことなのです。それが聖書が言っている救いの意味なのです。

  そういうときっと「では一体何が救いなのか?」とお叱り受ける方が在りそうなので、もう少し説明しておきます。そう、聖書は神様による罪の刑罰からの救いを教えているのですが、罪を処理すると刑罰を与えなければならなくなります。だから、人間の罪をキリストの十字架の刑に免じて、そのまま放置しておいて下さるのです。

  これが聖書の教える救いなのです。人間の犯した罪が消えるなどと言うことはあり得ない非現実だと聖書は教えているのです。しかし、神様はその罰を与えることを避けるためにあえて人間の罪を放置していて下さるのです。これが聖書の教える本当の罪の刑罰の永遠の滅びからの救いの意味なのです。

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