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●写真は、「こんばんは、毛利小平太です。−霊談忠臣蔵−」の表紙
◆◆☆★☆★☆★☆(^_-)v◆◆ 「こんばんは、毛利小平太です。 −霊談忠臣蔵−」 ◆◆★☆★☆★☆★☆★☆◆◆ 2016/10/31 「自然真営道」を書いた安藤昌益と 毛利小平太に脱盟を勧めた池田玄鶴との 思想の違いについて 赤穂浪士の一人、毛利小平太は討ち入り4日前に脱盟しています。
いわゆる最後の脱盟者といわれています。 120人もいた同士は次々脱盟し、最後に残ったのは48人でした。 毛利小平太は迷ってしまったのです
討ち入りに参加すべきか、脱盟するべきか 離縁した妻子が住む千住宿に来た小平太は
医師池田玄鶴に相談したのです。 池田玄鶴は安藤昌益をモデルにしています
安藤昌益は、1703年(元禄16年)生まれ、 1762年(宝暦12年10月14日)に亡くなっています。 討ち入りは、1702年(元禄15年12月14日)ですから、 昌益はまだ生まれていません。 しかし、昌益は、命を大切にする哲学です。
「仇討ち」「敵討ち」は忠義・正義に見えても、 実は暴力、殺人の応酬、連鎖を招き、平和は訪れない という考え方です。 まさに、その思想は、小平太の脱盟につながるのでは ないか、と考えました。 そこで、小平太が討ち入りに備えて離縁した妻の実家 千住宿の穀物問屋「石黒屋」の隣の町医師、池田玄鶴 に会って相談します。 玄鶴は、士農工商の身分制度、武士による政治の誤りを指摘し、 仇討ちの参加は間違いだと指摘します。 真の武士道は、むやみに人を殺さない、という寛容の道であり、
そもそも仇討ちは幕府官僚が捜査、裁判を拒否し、 被害者に報復させるという野蛮な方法です。 家康の遺訓にある「怒りは敵」孔子の「許す」思想、 キリストの「愛」などを例に説明します。 ただ、物語を書いているうちに、玄鶴の思想が、
安藤昌益と似ているようで少し違ってきました。 昌益は、士農工商などの身分制度をなくし、 武士やミカドによる支配をなくし、 すべての民が帰農して、田畑を耕し仲 よく平和に暮らせる ようになる、という考えです。 しかし、玄鶴はそれを否定します。
その理由は、人は群れを作って暮らす動物だからです。 ミツバチやアリのように、群れを作って暮らす動物は、 必ず「王様」を作ってしまう。 猿山のボスのように、本能的に群れの頭を誕生させる。
そこに、封建的な身分制度が生まれる。 すべての民が帰農して、農業だけの国になっても、 平和な国にはならず、「王様」が誕生してしまう。 そこで、玄鶴先生は、当時のオランダの共和制を例に、
入札(選挙)による大統領制度、議会制度こそ理想的な 国作りだというのです。 オランダを理想的な国だというのは昌益も同じですが、 玄鶴は農業を中心とした無階級社会を理想とするのは 難しいという結論です。 この考 え方は、マルクスのいう「原始時代はだれもが平等 で搾取がなかった」という考えもおかしいことになります。 人は群れを作って暮らす動物ですから、
そこには指導者がいて、無階級はあり得ない、というのです。 どうしても群れを指導する「王様」を誕生させ、 その王様に従う「貴族」というか、官僚の身分も必要となるでしょう。 だれもが、鍬や鋤を手にして、畑を耕し、狩猟をするだけの 「無政府」の社会は不可能ということになります。 安藤昌益とは違う池田玄鶴という架空の医師の思想を書くことで、
逆に現代日本が抱えている政治的な問題点を見つけることができ たような気がしました。 結論的には、民主主義とはなにか、ということなのです。 だれもが、実現を求めている民主主義は、 言葉では簡単にいえても、 実は本当に難しいことです。 …………………………………………………………………… ◆「こんばんは、毛利小平太です。−霊談忠臣蔵−」 殿岡駿星著・46判上製・360頁。 忠臣蔵、最後の脱盟者毛利小平太の言い分とは? 小平太「討ち入りせず」に真の武士道を見た。 ◇全国書店で発売中 定価 2000円(税別) 郵便振替 00120-9- 538001 資)勝どき書房 …………………………………………………………………… |
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