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●写真は、「こんばんは、毛利小平太です。−霊談忠臣蔵−」のとびらの絵
◆◆☆★☆★☆★☆(^_-)v◆◆ 「こんばんは、毛利小平太です。 −霊談忠臣蔵−」 ◆◆★☆★☆★☆★☆★☆◆◆ 2016/12/06号 ◆討ち入りは「仇討ちかいくさか」
「こんばんは、毛利小平太です。−霊談忠臣蔵−」 千住宿・池田玄鶴先生の武士道の話から◆ 毎年、12月になると、忠臣蔵について話題になります。特にテレビ番組では、いろいろな場面を設定して、その「真実」を披露してくれます。しかし、それが本当に正しいことなのでしょうか。
わたしの小説「こんばんは、毛利小平太です。−霊談忠臣蔵−」に登場する医師、池田玄鶴先生は、討ち入り直前に迷ってしまった毛利小平太に、真の武士道について話しました。それは、「討ち入りは仇討ちなのか、それともいくさなのか」という問題です。
赤穂浪士たちは、当然仇討ちだと思っています。毛利小平太もそうです。亡き殿さま浅野内匠頭が、勅使接待役の肝いりである吉良上野介義央のいじわるに腹を立て、江戸城内で切りつけたため、殿さまは切腹、赤穂浅野家は断絶、300人の家臣は失業してしまいました。一方の吉良義央はおとがめなしの裁定に、「殿さまの仇を討とう」としたのです。
しかし、池田玄鶴先生は「あなたたち、赤穂の浪士がしようとしていることは、仇討ちでなく、いくさだ」というのです。なぜなら、仇討ちは、憎い相手だけを殺すが、吉良邸に侵入したら、吉良義央だけを殺すのでなく、憎くもない家臣たちも殺すことになる。浪士が徒党を組んで、吉良邸に突入したら、家臣たちは当然戦うでしょう。その家臣たちに、浪士は恨みがないのに、殺すことになる。それは、殺人というよりも、いくさだ。いくさは、敵国の兵士なら、個人的な恨みはなくても殺してしまう。
あなたたち、浪士がいま、しようとしていることは、単なる仇討ちではない。それに、仇討ちとは、本来、幕府の役人が殺人犯を逮捕して、裁判し、処罰するべきことを、役人はなにもしないで、被害者に犯人を殺させるという野蛮な刑罰です。「仇討ち許可書」を役人にもらって、犯人を追いかけて、場合によっては、返り討ちで殺されることもある。なぜ、幕府の役人は、それを見て見ないふりをするのです。
江戸の街中で仇討ちが始まれば、江戸っ子たちは、「仇討ちだ、仇討ちだ」といって、それを取り囲み、まるで芝居でも見るように楽しんでいる。役人たちは、それを知っても、手出しをしようとしない。いつものように、お城の中の机に向かって、そろばんをはじいている。どっちが殺されても、役人は知らん顔です。そんなことで許されるでしょうか。
玄鶴先生は、武士道、日本人の心では当たり前になっている考えが間違いであることを、毛利小平太に話します。「では、先生、真の武士道とはなんですか」と小平太が問うと、玄鶴先生は、本当の武士道について話始めたのです。さて、どんな話になるのでしょうか。それは、本を読んでのお楽しみということでお許しを……。
◎ 線香のけむり懐かし泉岳寺(駿星)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ …………………………………………………………………… ◆「こんばんは、毛利小平太です。−霊談忠臣蔵−」
殿岡駿星著・46判上製・360頁。 忠臣蔵、最後の脱盟者毛利小平太の言い分とは? 小平太「討ち入りせず」に真の武士道を見た。 ◇全国書店で発売中 定価 2000円(税別) 「勝どき書房」の直売申し込みはメールで
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