因幡の黒兎

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萬蔵稲荷神社 御由緒

御由緒

歴代神仏に仕える熊谷家(当社宮司)十一代目羽黒派修験者
大阿闍梨金剛院祐観(ダイアジャリコンゴウインユウカン)の勧請(天明年間、当時馬子にて萬蔵と名乗る)に
なる稲荷神社にして、初め奥州山中七ヶ宿街道の此処の地名をとり
賀良明喜稲荷(ガラミキイナリ)と称した。

萬蔵若かりし頃、小坂峠付近にて、稲荷大神の化身に会い手厚く処遇し、
褒詞と論し並に資力を拝受した。萬蔵は、以来信仰の道に没入し稲荷大神示現の地に
祠を建立し宮司としての生活に入った(天明年間1785年頃)。
信仰一途の歳月は流れ、その間、春夏秋冬、通行人等の人助けを続け、更には、
弘法大師の開祖と伝えられる三丈滝不動尊堂に参籠すること再三ならず。
長くは三ヵ年間火食を断って苦行を重ねるなど、修験者としての修行と業績は、
出羽三山の認めるところとなり、大阿闍梨金剛院祐観の称号を授与されることとなった。
神仏の信奉生活と社会への奉仕に明け暮れ、穀断ち、禊を日常とする祐観にも
現世の終わりが来た。維持弘化四年(1847年)6月27日、81歳の高齢であった。
遺言により3年3月後墓は開かれた。その時神秘的な即神即仏(ミイラ)の姿で再現なされたのである。
爾来、金剛院祐観の御高徳を尊び慕う村人、信者達は、萬蔵の信仰をし守りつづけた
賀良明喜稲荷様を、いつしか、萬蔵を含め萬蔵稲荷様(萬蔵様)とあがめ称えるようになった。

お稲荷様は、衣・食・住すなわち人間の生活基本に亘って御神徳をお授け下さる神様である。
特に萬蔵様は商売繁盛、農産豊盛、良縁子授けの御霊験が顕著である。

明治時代に入り萬蔵稲荷神社と改称、村社と成り現在に至る。

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