因幡の黒兎

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神社(仙台市)

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櫻岡大神宮
仙台市青葉区桜ヶ岡公園1−1

御祭神
天照皇大神・豊受大神・ほか十六柱

御由緒
元和7年(1621、江戸)仙台藩祖伊達政宗公が伊勢両宮の分霊を府内荒巻村の勝地に勧請した。
別当寺を祓山神宮寺(妙海法印開山、今の北山町伊勢堂山)という。
天和2年4代綱村公伊勢堂山の規模を拡張、社殿を改築して社領二貫文の地(加美郡色麻村)を
寄進した。累代藩主継嗣の時必ず参詣するを例とした。
維新の際神宮寺を廃し、明治2年村社に列せられ荒巻神明社と改称、
同5年仙台大町の商人佐藤助五郎等の協力により元柳町に遷す。
同8年5月県社に列格、社号を現在名に改めた。後、社殿が甚しく腐朽したので
大正15年氏子総代八木久兵衛等の主唱で社地を更え社殿を造営して10月遷座式を行う。
これより先、明治41年中の町の住吉神社を合祀し、
同45年には榴ケ岡の村社神明社及び洲崎神社、大正2年には花壇の住吉の各社を合せ祀る。

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宮城縣護國神社
宮城県仙台市青葉区川内天守台

御祭神
護国の英霊五万六千余柱

境内社
別宮「浦安宮」
右宮は天照坐皇御神ほか三柱
左宮は白水稲荷大神と伊達政宗公

本日、願解き お礼参り完了

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大崎八幡宮
宮城県仙台市青葉区八幡4丁目6-1

御祭神
応神天皇・仲哀天皇・神功皇后

総黒漆塗に極彩色の彫刻や金彩文様が施された国宝の社殿は立派です

本日、願解き お礼参り完了

御由緒
大崎八幡宮がこの地に勧請された経緯には2つの系譜があり、
1つは福島伊達時代に始まる成島八幡が米沢へ遷り、更に仙台に遷されたというものである。
もう1つは葛西大崎地方で篤く崇敬されていた大崎八幡の系統で、中世以来、
水沢-田尻という線で結ばれ、米沢以後の居城である岩出山に仮宮を設けたものである。
現在でも、田尻・岩出山の両地に大崎八幡神社が鎮座している。
こうした流れを集結させたのが大崎八幡宮であり、仙台開府後直ちに
仙台城の乾(北西)にあたる現在の地に御社殿を造営、慶長12年(1607)8月12日に
遷座祭が齋行された。伊達家創始以来の伝統と信仰を基盤として、
新たに町を開き時代を拓くに当り、城下の人々の平穏を導く「仙台総鎮守」としての
役割を加えて創建されたものである。このような仙台勧請までの様子については、
5代藩主伊達吉村公の命により制作された『大崎八幡来由記』に絵巻として残されている。
仙台の地はもとは「千代」と呼称されていたが、開府に当り「仙台」へと改称されている。
慶長13年(1608)頃に政宗公が詠んだ
「入そめて 国ゆたかなる みぎりとや 千代とかぎらじ せんだいの松」という和歌は、
「千代」と「せんだい」の語が織り込まれ地名の改称を暗示するとともに、
新たな町の末永い繁栄への祈念が表現されたと解されている。
「仙台」の語は中国唐代の詩人、韓翃の「同題仙遊観」作中の「仙台初見五城楼」、
崔曙の「九日登仙台呈劉明府」、陳子昂の「登金華観」作中の「白玉仙台古」にみられ、
各々、この世のものとは思えない理想の場の例え、仙人の住む高台、等と解されていることから、
政宗公の壮大な理想が表現されていると推測される。
御創建以来、藩政時代を通じ仙台藩62万石の総鎮守として重んじられ、
明治以降は大崎八幡神社と称するも、平成9年6月、藩祖公御創建以来の歴史的経緯を
考慮し社名を「大崎八幡宮」に復し、現在に至っている。
例大祭は9月14、15日両日に行われ、14日は夕刻より長床西側の神楽殿にて能神楽が奉奏される。
15日は神幸祭神輿渡御があり、氏子区域内を3行路に分けて年毎に巡幸する。
還御の後、馬場にて御創建以来の由緒を持つ流鏑馬神事が齋行される。
御鎮座以来、仙台総鎮守として藩祖伊達政宗公はじめ歴代藩侯はもとより、
仙台城下の人々に至るまで広く厄除・除災招福や必勝・安産の神として篤く尊崇され、
また仙台における卦体神という十二支の神を信仰する習俗においては乾(戌亥)の守り神とされ、
戌歳・亥歳生れの人々からは格別の崇敬を受けている。
こうした歴史的背景から、現代においても仙台市民をはじめとする数多くの
崇敬者より心のよりどころとして仰がれている。

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仙台東照宮
宮城県仙台市青葉区東照宮一丁目6番1号

御祭神 徳川家康公

承応3年 (1654年) に伊達忠宗が創建し、東照大権現 (徳川家康) を祀る。

本日、願解き お礼参り完了

御由緒
2代藩主伊達忠宗公は、東照大権現を伊達家の守護神としてお祀りするため、
慶安2年(1649)5月に東照宮造営を3代将軍徳川家光公に願い出て許しを得同年8月普請始を行い、
本殿、唐門、透塀、幣拝殿、本地堂、御供所、御厩、鐘楼、随身門、石鳥居、別当寺仙岳院、
御旅宮等が完成したのは、着工以来5年後の承応3年(1654)3月である。
社地玉手崎の丘は天正19年徳川家康公が葛西大崎一揆の視察を終えて帰途のおり、
当時天神社の境内であったこの地で、藩祖伊達政宗公と休息された故事により社地に選ばれたという。
造営に携った総人数は834,835人、総工費小判22,443両を要した。
仙台藩総力をあげての大事業であり、伊達文化の粋を結集したものである。
以後伊達家の守護神として歴代藩主に崇敬され、旧時は9月17日を祭礼日とし
藩主在国の年には城下の町々に命じて神輿渡御の先駆として山車をくりだした領内最大の祭りで、
これを仙台祭りと称し、江戸時代末期まで盛大に行われた。
明治維新後、藩の保護を離れたため境内は一時荒廃したが、
氏子の尽力により整備され明治12年郷社に列し、祭典日も4月17日に改められ、
大正14年には県社に昇格した。昭和10年8月不慮の火災により幣拝殿、神饌所が焼失したが、
昭和39年原形に復興される。
昭和28年3月、本殿、唐門、透塀、石鳥居が国の重要文化財に指定される。
(随身門は昭和55年3月追加指定)
昭和52年3月には唐門、透塀の大修理が、54年には本殿の修理工事が行われ、
創建当初の荘厳華麗な姿に修復された。
平成3年秋には御大典記念事業として、表参道整備工事、車道舗装工事を実施。
平成15年には御遷座350年奉祝記念事業として行なわれた参集殿、
社務所改築工事が竣功し、境内は尊厳と安らぎのある神域として整備された。

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宮城縣護國神社
宮城県仙台市青葉区川内天守台

御祭神
護国の英霊五万六千余柱

御本殿は、伊勢神宮の外宮「風宮」の旧御正殿
伊勢神宮よりそのまま御移築したもので、
宮城県、仙台市の最も誇りとする建物とのこと

境内社
別宮「浦安宮」(写真下)
右宮は天照坐皇御神ほか三柱
左宮は当地に古くから鎮座する白水稲荷大神と仙台藩藩祖の伊達政宗公

前回「浦安宮」参拝しなかったため本日再度参拝
本日も駐車場は有料400円
平日なのに乗用車から大型バスも参拝に来ています
参拝者も多いです

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