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子供の頃から、差別は嫌いだった。
成績は中の上ぐらいだったと思うし
悪いことなんて興味がなかった。
高校受験で公立校に落ちて
音大志望の私に私立女子高のすべり止めへの入学しか道がないと気付いた時
嫌な予感はしていた。
子供の頃から集団生活は大の苦手。
職員室で教師と延々おしゃべりをするような子供だった私は
まあ、はっきりいえば、浮いていた。
性質が悪いことに、悪いことには何度も言うが興味は無く
地元の中学校では愛嬌で済まされていた私のこの個人主義の性格が
女子高という限られたキャパのなかで規律を重んじる教育方針に
当てはまるはずも無く
若かった私の思春期特有の反発心は学校そのものに対し
ものすごい勢いで大きくなっていった。
特進クラスという50人ほどしか居ない進学クラス。
学級委員になれば皆を笑わせ議事を進めて職員室へ
「議事に白い歯は必要ありません」
高文連で吹奏楽部の助っ人、合唱部の助っ人にと音楽に夢中だった私に遠まわしに朝の会での小言
「我校の看板を背負って参加したはずの高文連で他校の男子生徒といかがわしい雰囲気で談笑した生徒がいます」
久しぶりに逢った音楽仲間と抱き合って再会を喜んだことが??
私というものを交換したい
友とも、教師とも、目を合わせてくれない先生達は
私が疎ましいのだろうか。
指定校推薦を取るためにただはみ出さないように生きる生徒達。
彼女達の夢は自分の母のように、有名女子大に入学し、北大の男と出会うこと。
自分の父のような医者の、妻になること。
私はスカートなんて短くはしない、ルーズソックスも興味ない。
そんな私には怒る理由が無い先生達
スカートを短くしている女の子達は、長くするのがダメなら長くするはず。
理由関係なく、はみ出さなければいいのか????
歌はよく学祭でも、イースターでも歌った。
感情表現が出来る、そんな女性だと褒めてくれたEATの先生と倫理の先生。
推薦で、スピーチ大会に参加しないかとデビット先生が言ってくれた。
たまに成績優秀者が、上智などに行くだけで何年間も学校には宣伝になる。
私みたいな生徒に大会の参加権を与えたくない他の教師達。
推薦者のミーティング、私だけが呼ばれなかった。
行った友が教えてくれた、デビット先生が「ミス鎌倉は?」との問いに
「あなたが推薦したのだからあなたが呼ぶと思ってました」
腹が立った。
くそだと思った。
視聴覚室で、映画を見る宗教の授業。
「今を生きる」
厳格な男子寮制の学校で抑圧された生徒達は夜中に詩を朗読する会を結成する。
文学だ、芸術だ。
それがばれ厳しく処罰され
一人の男子生徒が自殺する。
それをあおったと、本当の教育を与える唯一の先生も学校から追い出される。
最後の授業、他の先生の制止の声に逆らい生徒達は机の上に立ち上がる
涙が溢れた。
他のクラスメイト達も異常に泣いていた。
感想文に殴り書きをしてやった。
「この学校でよくもこんなものを平気で見せることが出来たもんだ、確かにいい映画だったけれど
みんなの涙は異常だ、心の叫びだ」
なにが宗教だ、私はサラリーマンの家庭で、皆のように東京の私大に夢をかけること一つ出来ないというのに
思春期ですねぇ。
今思えばなにも長いものに巻かれていれば良かったのかもしれない。
今頃、私は母子家庭ではなく、娘にもっと自由な未来をプレゼントできたのかもしれないのに
どうしても、反抗することしか出来なかった。
成績的には問題は無いしと
退学を止める先生達に
「宗教と女子だけのこの学校の特性が嫌です」
そう言って私は逃げた。
皆に挨拶をさせてくれと言って
「私は頑張れなかったけど、皆は頑張って」
と笑顔で話した。
名前をサインのように書いて教科書を配った。
マリア像を真っ黒に塗りつぶしてやりたかった。
今、娘に伝えたいこと。
忘れずに居たい事。
そして自分に足りなかったもの。
抱きしめている27歳です。
進んでいかなくっちゃ。
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