色んな人がいましたわ

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不思議なふたり ケータイ投稿記事

子供の頃から

高校を卒業するまで

傍にいてくれた幼なじみの男の子ふたり。

お祭りも映画も勉強も花火もコンサートも

いつも三人でいた。

優等生風で優しい彼と

なんだかふわふわ不思議な彼

甘やかされて

私が初めて恋をした相手はひとまわりも歳の離れた大人の駄目な男で

高校生で色気づいた私と彼らの三人のバランスは

微妙に変わり

私が高校を辞めてからは

三人で時間を過ごすことはなくなった。

二十歳になって遊び歩いた頃

バンドを通じて出会ったのは

十近く歳が離れたふたりの男性で

彼らのお陰で私はうたを歌い

無茶な恋にも思う存分突っ走った。
出産し、旦那をもったことで彼らと三人で過ごすことはなくなった。
離婚してから出会ったふたりの彼は

家庭をもちながら

どうしようもない男の感性や狂気を私に見せつけながら

不器用に私を守ってくれた。

私が離婚という人生の選択に対してきちんと向かえ合えた時

彼らとの縁は切れた。



いつもなぜか私の周りには

微妙なバランスと距離で私を支えてくれる男性が

ふたりいる気がする。

もちろん、女友達や先輩にも沢山助けてもらっているけれど


なんだかカルマ的に思い返すと不思議な気持ち。

今はまた沢山の兄貴に支えられて

バンドを楽しんでいる。

ふたりって限定したら叱られちゃうよね(笑)


もちろん同じバランスで皆が支え合い、力を出しあうのがバンドなんだろうけど

私の右側に、炎みたいに光るあなたがいるからこそ

私の左側に静かに体を揺らすあなたがいるからこそ

私の後ろ側に暖かく笑うあなたがいるからこそ

勇気が出ます。


そして私は意地悪に笑いながらクールに刻む彼の目を見て

魔法みたいに踊る彼の指を見て

力をもらって

きっと

うたうんだろうと、思います。


ふふふ。

みんなラブ。

先日妹と呑んでるときに

「中学校時代は全てにイライラしてた、家でも、学校でも。授業中ずっと窓の外を見てた」

そう言われた時

そんなこと、知らなかったから

っていうか

私は何かにイライラして窓の外を見るなんて事

なかったし

それは漫画の中の世界で 笑


すれてて、妹の高校時代の同級生に聞いても

霞は変わったって


全然気付いてあげれなくて




恋も仕事もタイプの違う彼女をずっと見てきたつもりだったのに

ここ最近私は姉という気負いをなくし彼女に語りかけることができるようになって初めて

等身大の彼女に触れることが出来るようになった。


そのきっかけになったのは

私が借金をつくり

家族がもめたときで


私の借金の原因は


偏った恋と
寂しく傷ついた心が

全てのバランスを崩し

造ってしまったもので

両親は100万ほどの借金で自己破産を勧め

私は迷っていた

両親は

肩代わりが出来ないわけじゃない、でも

それを証明するかのように私に車を新しく買い与え

自己破産の罰で私を縛って

当面同じような心配をする必要のないようにと

そう考えた。

妹はそのとき初めて

「退職近い両親が本当にかわいそうだ」

と私に社会人として意見した。


妹は温泉旅行を両親にプレゼントして

母は泣いた

私は正直すごく情けなくて



借金は結局私で何とか少しづつ返す事が出来るような形に収まり

自己破産はしなくて済んだものの

私も色々考えるきっかけになったこの事件は(ま、私が起こした事件なんですがね 笑)

妹との距離に大きく変化を起こす事になった。

弱音を吐いた

本当は不安で仕方ない

でもただ子供を育てることだけに集中することなど

両親の思うようになど

生きてはいけない


私は私だから




その理由は

両親が言うように

私が楽をしたいからではなく

私が子供を産んだことが間違っていたのでもなく

したいことを我慢できない夢見がちな性格なのでもなく



私はずっと同じものを大事にしてきているからで

それはうまくはいえないけれど

私自身の何かであって

でも何を話しても


両親は自意識過剰だと

何かになりたがっていると

何かになりたいわけじゃない




そういうんじゃない



妹は最近、私がもっと伸ばせるものがあったと

伸びるべき感性を伸ばせてこれなかった人だと

そう言ってくれた


それは本当に嬉しい言葉で


家庭に安心して自分を認めてもらうことの喜びを

初めて知った



世界が少し変わった、私をわかってくれる人が居る


ありがとう、ほんとうにありがとう


貴女が幸せになるために


偏った私が出来ることは限られているけれど


精一杯何かをしてあげたい


ありがとう

私を認めてくれる貴女

今日は毎日のように電話で連絡を取り合っているけど実は車で10分もかからないところに住んでいる

我が妹について書いてみます

昭和55年に私が生まれ

妹は58年

結婚8年で出来ないと思って二世帯住宅を祖父の退職を機に建てたばかりで生まれた私を

父は異常に可愛がり

男の子が欲しかった夢を

なぞるように

私は頭を短く刈られていた3歳の初夏に妹が生まれました。

お人形みたいに白い肌とぱっちりおめめで細い体の妹は

保育園でも話題になるほどで

私は本の虫で太っていたので

いつも妹にはすごくコンプレックスを持っていたように思います。

小学校に入学したときも
「お前は失敗作だな」とからかわれたり

勉強だけは負けるわけにはいかないと

そう思っていました。

運動神経が抜群で本当に真逆な妹体育会系の父の気持を独り占めしてしまうような気がして

怖かったのを覚えています。

でもそれは私の記憶だけで

我が家は正直父が私に肩入れしすぎていた家庭で

母はいつも

お姉ちゃんばかりと愚痴をこぼしていたのを最近思い出しました。

晩酌のたびに父は私に難しい質問をします
それは社説からだったり
私が書いた作文からだったり

そして父は私が知的好奇心を持つことをいつも満足そうに喜ぶのです。

でもそれはいつまでもは続きませんでした。

私は芸術や精神世界や哲学に夢中になり

父はそれをもてあますようになっていったように思います。

音楽を始めてから私が宗教的なことを言うようになったと父が怪訝な顔をしたとき

私の胸は少し傷つきました。

母はいつもその話を迷惑そうに聞いては

家庭の中に妹を入れることを望んでいたのですが

歳の差もあり

特に妹はクールで表現下手なところがあったので

私のように父と妹が話すのを聞いた記憶が私にはないのです。

そんなこんなで私は高校受験に失敗し

我が家庭は嵐のように私が無謀な行動をすることに過剰なまでに巻き込まれ

楽しい父との会話も

泥仕合のようなののしりあいに変化していきました。

丁度その頃妹は中学生で

でも私はそんな妹を気にはかけてやりたくても

そんな余裕などありませんでした。





彼女にとって大切な時期を私が奪ったのではないかと


そんな風に思うことがあるのです


何時間も続く話し合い

私は高校入学してから2回自主退学騒動をおこし

3回目の3年の春にやめ

社会に出てからも多大な迷惑と心配を親にかけ続けて

落ち着いた矢先妊娠

結婚生活も2年もたずに


今に至るわけですから



長いので続きは次回

家族の間で揺れる他人

長女で初孫のうちの親

彼の家族との大きなズレは

挨拶のときからひどくて

彼はいつもイライラしていた。

彼の父にお腹の子供のことを隠してほしいといわれたこと

数え切れないことがあった、沢山のズレが。

でも、私が何より辛かったのは

私の両親が私に気を使い、口をつぐんだことだった。

友にも同じだった、結婚のお祝いパーティでも彼は不機嫌で

祝福される私にいつも

お前は甘やかされている と嫌味を言うようになっていった。

友が気を遣う
親が気を遣う

地獄みたいに孤独で

でも笑わないといけないと必死になった。

彼は彼女は大切に出来ても 家族をどうしたら大切に出来るかを、知らない人だった。

彼のストレスは私への嫉妬に変わり

そう、私は嫉妬されていた。

お金のことでもめた夜、私は泣いていたら彼は言った。

「お前なんて誰かに媚を売るのも甘えるのも大得意じゃないか、そんなにイヤなら他の男のところに行け、どうせ受け入れてくれる男がいるに決まってる」

死のうと思った、子供をおろす事が出来ないからもう、子供と死のうと

そう思った。

夕食を作り待った、いつも待った。

彼の顔色を窺い

手紙を30通近く書いた、

天使が生まれるよ、私たちももっとわかりあいたい


この時期に起きた出来事はあまり思い出したくないことばかりで



別れを決めたとき、彼は嫌だと籍を抜いてくれなかったので
調停をした。

そのときに11枚の文書を書いた、彼に気持がなくなった理由を。

彼は別れるなら死ぬと言った、お前に金を残すと

もう駄目だなと思った瞬間だった。


愛されている実感がほしかった、彼が不器用でも、×イチでも

子供を産んで少し軽減されていた彼のイライラをぬぐうことが出来なかったのは

死にたいとまで追い詰められた妊婦のときの私の傷ついた心だった。

朝まで呑んで帰らない彼

産気づいてもタクシーで病院へ行ったことを彼の母は仕事が次の日ある男は当たり前だと言った。

彼は朝、飲酒運転で帰ってくるのに、私は働きたくない女だと、だからだと、






今私が彼に養育費を貰わない訳は

彼が一日も早く再婚して

私の娘が成人して会いたいと言った時に

恥ずかしくない人生を送ってもらう為だ。



すれちがいもあった、私も世間を知らない娘だった、でも


問題は、愛でした。

人を人生の足手まといと感じたのはコレが最初で最後。


私は今、なぞっている、どこまで許せるかあの人に、セナの父ではないあの人に

果たせなかった愛を

自分の出産の無責任な若さを


失くしたものが 私のチカラになりますように。

そしてそれが時を越えて

セナのチカラになりますように。


あまり言葉が紡げない、まだチカラが足りない、強くならなくちゃね。


自分自身のために。

宿った後の自分の弱さ

病院で妊娠がわかったとき、彼とすぐ食事しながら話し合いをすることになって

向かい合ったとき、彼は意外な言葉を口にした。

「今回は諦められないか?」

驚いた、何のための同棲か、あんなに話し合ってきたのは、一緒になるためだったのに

お金でゆがんでいく何かなんて22の私には想像すら出来なかった。

彼が居て、子供が居て、未来があれば、怖いものなんて何もないと思った。

「今の金じゃ無理だ、やっていけないよ」

「お金って、養育費のこと??ならあなたの娘が成人する、あと13年後まで、私はあなたとは絶対子供は作らない」

今まで我慢してきた、前の嫁さんに対するいろんな気持ちが溢れ出た。
関係ないと感じながらも、嫉妬だってないわけじゃなかった。
9年も一緒にいた当時のことを彼は悪びれず話す人だったし
養育費が原因でもし彼が自立できないなら支えると努力してきた、でも、子供を諦めるまではできない、そんなのは、ひどいと思った。

「お前、あと13年経ったら俺幾つになると思ってるんだ、そんなの・・・・」

「だってそういうことでしょう??お金が原因で諦めなくてはならないのなら、筋を通すためにもそうするから、絶対」

「別れるしかないって事を言ってるのか??」

「そうなっても仕方ないんじゃない??」

彼は少し黙って、

「わかった、産んでもいい、結婚しよう」

その足で私の母に相談に行った。
私は加速していった、もう、お腹に子供がいるというだけで、天にも昇りそうに嬉しかった。


私に子供が宿ったその瞬間から、強くなったと勘違いしていたけれど

私はきっと弱くなっていたのだと今は思う。

でももしあの時彼が初めて子供が宿った喜びを、もうすこし、酌んでくれていたなら
共有してくれていたなら

私の妊婦の記憶はこんなに黒いものではなかったのにと、彼にそれだけは言いたい。

私は嬉しかった、幸せだった、ただでさえこんな感傷的な私が

全ての感性を、感動を幸福を希望を未来を

出産になぞり

でもそれも、彼を愛していたからだったのに。

彼と私は結婚を決めてからは

一度も心が通うことはなかったように思う。

出産してから子供が1歳になる手前まで一緒にいたけれど

いつも私は泣いていたから。

彼は怒っていたしね。

今では少し、彼が私を誰よりも愛していたことは判る。
私は失う痛みも
歪んでいるけど本当に人を愛するということも
負い目や過去に引きずられる大半の大人の仲間入りを

あなたと別れた後に経験したから。

今ならあなたを、優しく包み、支えることも出来るとは思うのだけれども
もう愛していないし
あなたを許すことは、もうできないです。

ごめんね、あのときの私は子供じみた愛でした。


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