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黒澤明監督、1965年作。
途中休憩のある大作であるにもかかわらず、あっという間の3時間5分。
織り成されるいくつかのエピソードから、冒頭のひとつをご紹介します。
江戸時代の小石川養生所が舞台。
長崎で医学を学んだ青年が小石川養生所にやってくる。
貧しい庶民であふれた養生所と一方的な態度の赤ひげ先生に反感を持ち、そこから追い出されようと青年は規則破りを繰り返す。
青年の最初の患者は、いましも亡くなろうとしている老人の男。
意識なく死に向かうその姿は醜くく、奇怪な息遣いに思わず目をそむける。
そこに死の尊厳さなど全く感じられない。
赤ひげ先生は、その男は何も語らずに今に至ったことを告げる。
語ることなどできない辛苦があったのだろうと述べるだけだった。
その男の死後まもなく、三人の子連れの娘が養生所を訪れる。
娘が語った男の辛苦と家族の物語に驚く青年。
それでも尚、黙って死んでいった男の心中を思い言葉をなくす青年。
そして、青年はあの醜悪な死に向かう姿を思い出す。
そこには何の怨みつらみも語らず黙したまま死んでいった男の精神までもが映し出される。
圧倒的な尊厳さで・・・
死は死であるが故に尊厳であるのではなく、死に至るまでの生の姿に尊厳さが生まれるのだと語るかのように。
赤ひげ先生は語る。
医術の限界とその無力さを。
それでも貧乏と無知をなくすことができれば多くの命が救えるということを。
赤ひげ先生の生真面目な言葉に幾度となく笑い、光と影が織りなす映像美に言葉を失くす。そして虐げられた人々の見せるささやかな優しさ。
青年の成長物語であり、人生の滑稽さと悲惨さ、そして希望を描いた人間賛歌でもある。
そしても最も貧しい人間の姿とは精神の貧しさであることを静かに語る物語でもある。
この不寛容な時代においても、その価値は燦然と輝いている。
村上春樹氏がいうように、わたしたちはその物語の力を信じなければならない。
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