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東海道本線関ヶ原駅です。 ここからスタートしました。 今日の関ヶ原は曇りがちでしたが、 歩いていると汗ばんで来ました。 先日降った大量の雪はほとんど解けていました。 こんな雪だまりが数か所ありました。 石田三成陣跡、笹尾山からの景色です。 アニーがその生き方に共鳴する二人の武将がいます。 嶋左近勝猛と大谷刑部吉継です。 嶋左近陣跡は三成陣跡下にあります。 大谷吉継の墓所と陣跡を見学し、旧中山道目指して下山すると・・・。 道が消え、東海道線の線路でした。 参道が線路をまたいでいました。 常盤御前の墓。義経の母で義朝の側室です。 旧中山道沿いにあります。 牛若丸を追って、ここで盗賊に殺されたそうです。 旧家の家並みに、旧街道宿場町の名残りを感じます。 中山道もほとんどは自動車道になっていますが・・・。 午前中いっぱい歩きました。 関ヶ原の土産は・・・。
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美濃国(みのむし会)
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月日は百代の過客にして・・・。 学校で教わった奥の細道の出だしです。 ・・・・馬の口をとらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす・・・。 子どものころ、芭蕉の年齢は70歳くらいだと思いました。 旅の最中も持病で辛かったとのこと。 どんな持病だったのだろうと真剣に考えました。 老いはともかく、日々旅にして旅を栖(すみか)にとか、漂泊の思いとか。 旅好き、人情話好きなアニーに言ってくれているようで。(*^_^*) 芭蕉庵のあった江東区深川の芭蕉翁の碑と銅像です。 こちらは奥の細道を結んだ岐阜県大垣市の碑と銅像です。 この水門川から船で伊勢神宮に向かい、旅を締めくくります。 蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ。 そうでした。 この銅像の芭蕉は46歳です。 春に芭蕉庵をたたみ、大垣に秋に着きます。 持病が辛かったでしょう。 ひどい痔だったようです。 最後の症状からは違うような気もしますけど。 芭蕉は51歳で旅立ちますけど、 アニーは51歳の時生死を彷徨いますけど、 芭蕉の枯野の夢は見なくて助かりました。 芭蕉は参勤交代で江戸に詰めている武士に俳句を教えていたので、 多くの藩に弟子がいたようです。 だから、日本中を周れたのですね。 これが人徳なんでしょうね。 そんなことを考えた今日のアニーでした。
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今回の関ヶ原で一番の目当てが、 西軍から東軍に寝返った小早川秀秋の陣跡がある松尾山からの眺望でした。 秀秋には戦況がどう映ったのだろうか。 そしてこの松尾山という山城(天主閣や堀のある城に対して)にも関心がありました。 山には、土塁や空堀、曲輪の残象が見られました。 大感激でした。 鉄砲や大砲が使われた戦国時代には、 深い堀や高い天主閣のある城が作られますが、 中世の山城跡を陣に利用したことになります。 石田三成の陣のある笹尾山が見えます。 9月には、笹尾山から関ヶ原を眺望しました。 ここ、松尾山からは、 西軍の動きをしっかり見えていたと思います。 息吹山が見えました。 今年の関ヶ原の締めくくりになりました。
るりさんありがとございました。 |
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みのむしの会(書庫)を作っています。 美濃と武蔵を短縮してミノムシです。 宮崎からの帰路、セントレア経由で関ヶ原に向かいました。 今回は、東軍の陣跡を中心に回りました。 前回回った西軍の史跡は比較的分かりやすかったのですが、 東軍の方は、分かりにくいのです。 そこで、ブログ友だちのるりさんにガイドを御願いしました。 戦国時代には、戦後処理として首を改めました。 2つの首塚を回りました。(胴塚とありますが) そのうちの1つから 敗れた武将の悔しさは、400年経って・・・。 首塚の前にホトトギスが・・・。 ホトトギス(鳥)にかかわる3人の武将の俳句がありますね。 鳴かずんば・・・。 無線も携帯もない時代には狼煙が大きな役割わ果たしました。 ここからは東軍の有力武将の陣跡です。 西軍から東軍に寝返った武将の陣跡もあります。 全部は載せられませんでした。 9月の黄金の稲穂のあとには、刈ったあとに緑のひこばえが・・・。 今日は、旧暦の9月14日でした。 関ヶ原の戦いがあった15日の1日前です。 当時も、稲刈りが終わったころだったのでしょうか。
合戦は収穫の時期を避けるという暗黙の了解があったと思います。 そんなことも考えました。 |
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西軍の武将の陣所跡、墓所などを撮りまくりました。 西軍最大の大名、宇喜多秀家の陣跡です。 八丈島に流され83歳の人生を終えます。 大谷吉継。 大谷刑部で名が通っています。病気で身体の自由もきかず、視力も失いながら、 板輿に乗り陣頭指揮を取っていましたが、 小早川他4大名の東軍への寝返りがあり敗れます。 三成との友情は有名。家臣の湯浅五助は吉継の首を陣羽織にくるみ、東軍に奪われないように、 密かに埋めた場所だと言われています。 さて、関ヶ原の役は9月15日ですが、新暦なら10月半ば過ぎ。 戦の前に稲刈りをする様子も出て来ます。 その当時も同じだったのでしょうか。 黄金の稲穂が。 いつもながら、お土産は、ご当地ファイルに手ぬぐい。 直江状の手ぬぐいは、山形の米沢で無かったので聞きましたら、 京都の業者が作って、ここに納めたとのこと。なるほどね。 戦の陣所のあった丘を眺めながら、この地を去りました。 何故か?山羊がいました。 まだ、半分も回っていません。 次回はいつにしようか日程を調整しています。 |





