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神田明神の門前のお店には「中山道」とありました。 甘酒を頂きました。 境内には紅梅と白梅が・・・。 湯島天神に今度は行かなくちゃ。「湯島の白梅」ですから。 湯島聖堂孔子様。 聖橋から。 国道17号線、中山道でした。
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旧中山道を行く
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ちょうど1年振りになりました。 お茶ノ水駅から湯島聖堂、神田明神を訪ねました。 ここは旧中山道(国道17号線)沿いで江戸時代、大変賑わった界隈です。 さだまさしの檸檬に歌われた辺りですね。 聖橋を渡り、湯島聖堂へ。 儒学の学問所であった江戸時代の昌平講です。 この湯島聖堂と逆方向のニコライ堂の中間にあるのが「聖橋」です。 神田明神(正式にか神田神社)は江戸のまちの総社です。 2年に1度行われる神田祭りは全国版ですね。 まだ正月なのでしょうね。 銭形平次親分も神田明神下の長屋住まいでしたね。 ニコライ堂。 誰もが振り返ります。 見学時間の3時30分に間に合わず・・・涙。 また来なくては。 |
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板橋駅を下車しました。 旧中山道の最初の部分に相当するのが、現在の国道17号線です。 17号線で寸断されているのが、旧中山道。 アップしていきます。 けっこう賑やかな商店街が続きます。 今回、交番のお巡りさんが歴史に詳しくてびっくり。感動1。 ここに寄りましょう。 歴史ボランティアさんも親切でパンフをどっさりくれました。感動2。 板橋はもはや板ではありません。 本陣跡を見逃しそうでした。 高野長英さんも・・・。 板橋宿は、下宿(平尾宿)、仲宿、上宿からなっています。 下宿というのは、京都から見て一番最後ということです。(聞いた話) ガイドブックには、平尾宿とありましたけど。 旅人は、日本橋からではなく、板橋から出発したそうです。 中山道一の賑わいはそんな背景からだそうですね。 この日は時間が無くて、仲宿までしか見ていません。
縁切り榎や一里塚など・・・。 また、続きを歩きたいと思います。 |
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神田(東京都)に用事がありましたので、 ちょっと足を延ばして日本橋川にかかる「日本橋」へ。 国道1号線東海道を始め、主要道路の起点になっている地点です。 歴史好きなアニーには、五街道の起点と言ったほうがぴったり来ます。 日本橋というと、三越や高島屋、日本銀行本店とか思い浮かべます。 落語も好きなので、お江戸日本橋亭もあったっけなど・・・。 これまで、川崎市を通過する東海道とその裏街道の中原街道をブログに書きましたけど、 今回は、旧中山道にしました。 第一番目の宿は、板橋宿ですが、神田明神とか湯島聖堂、 巣鴨のとげぬき地蔵などを経て板橋宿に入ります。 アットランダムに載せます。 今現在の日本橋が伝わればと思います。 江戸時代には、ここから旅が始まりました。 道中奉行の支配下で、街道には宿場や一里塚が置かれました。 1番目の板橋から69番の大津まで、どこまで踏破できるかな? 今年の目標にします。 るりさんのガイドで、56赤坂、57垂井、58関ヶ原、59今須には、行くことが出来ましたが、 自ら踏破出来たのは、関ヶ原宿だけですので出直しです。 秩父観音霊場札所巡りと、もう一つの目標です。
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旧中山道関ヶ原宿から大垣城、奥の細道むすびの地を訪問しました。 降水確率50%にも関わらず好天に恵まれた一人旅でした。 この後、旧中山道垂井宿を訪問しました。 ここからは、旧中山道に詳しいブログ友だちのるりさんと合流しガイドをお願いしました。 垂井宿で育ったそうですが、さすがに詳しいです。 おかげさまで短い時間に効果的に周ることが出来ました。 巨大な鳥居は南宮大社のもの。 美濃一の宮ですが、金物の祭神でも有名です。 南宮山には西軍でありながら参戦しなかった毛利秀元の陣もありました。 陣跡までは徒歩1時間とありました。 拝殿は修復工事が行われていました。 ナタや鋸、鍬の刃などの実物や絵が描かれた絵馬が奉納されていました。 垂井と言えば、垂井の泉。 旅人の喉を潤したことでしょう。 垂井城跡もここにはありました。 秀吉の軍師で有名な竹中半兵衛陣屋跡です。 たくさんのエピソードを残しています。 何と、学校の通用門になっていました。 この時、雲が切れて上弦の月がはっきりと。 今年の旅は100%晴れました。
ちょっと怖い、晴れアニーです。(^^ゞ |



