阿波 発 京都 行

各地に残るタイムカプセルの “行き当たりバッチリ” 訪問記

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近づいている勉強会のお知らせをいただきました。 
阿波国古代研究所 の笹田孝至先生による、畿内の巨大古墳群についてのお話です。
 
イメージ 2
 
裏面です:
 
イメージ 1
 
<おことわり>
オリジナルは黄色い用紙をお使いですが、このブログの背景色とだぶってきれいに映らないので白色に変更させていただきました。ご了承ください。
 
 
笹田先生は岩利大閑氏の後継者として、活動を続けておられます。
 
先生のプロフィールが少し前の新聞で紹介されていました。
転載させていただきます (赤字は管理人):
 
NPO 阿波国古代研究所 理事長 笹田 孝至さん 65 (徳島市)
 
「邪馬台国阿波説を広くPRしていきたい」と語る笹田さん (記事の写真は省略)
 
「邪馬台国は阿波にあった」。近畿説と九州説が有力な邪馬台国の所在地について、“異端”とも言える阿波説をとなえ、昨年12月に仲間15人でNPO「阿波国古代研究所」を設立した。
先月開いた記念講演会には約100人が参加。「みんな半信半疑かも知れないが、阿波を抜きに日本の古代は語れない。『これは研究に値する説だぞ』と、いつか学者や専門家たちを振り向かせたい」と意気込む。
 
徳島市出身。徳島大の工業短期大学部を卒業後、1967年に徳島市役所に就職した。
古代史とは無縁だったが、観光課に配属された79年、「おい、これを観光のネタに使えないか」と上司から1冊の本を手渡された。
 
それは、郷土史家による古代阿波研究会が当時発刊した「邪馬壱国は阿波だった」
魏志倭人伝に登場する邪馬台(壱)国の舞台は阿波で、女王・卑弥呼の墓は、徳島市国府町の八倉比売(やくらひめ)神社の奥の院、居城は神山町神領、などとする新説にのめり込んだ。
 
翌年、さっそく市の観光キャンペーンに取り入れた。モデルに卑弥呼の衣装を着せてパンフレットを作成。八倉比売神社などをめぐる観光コースも設け、観光課に席を置いた4年間で、約600人を案内して回った。
「みんな半分疑っていたかも知れないが、『そうであってほしい』という期待のようなものを肌で感じた」と振り返る。
 
その後、郷土史家の一人、岩利大閑 氏(故人)の研究書 「道は阿波より始まる」 に衝撃を受け、頼み込んで師事、勉強を重ねてきた。
2004年3月に退職すると、「先人の研究成果を受け継ぎ、記録に残したい」との思いから、NPO設立に向けて仲間に声をかけた。
 
笹田説によると、日本書紀や古事記の神話に登場する主要な神々はすべて県内の神社にまつられている上、魏志倭人伝に書かれた邪馬台国までの行程も論理的に合致。
そして最近の考古学の成果も阿波説を有力にしているという。
 
「九州は邪馬台国の時代にはすでに衰退している。奈良には箸墓古墳など巨大古墳があるが、それを支えるだけの集落跡がない」と九州説や近畿説をばっさり。
その上で、邪馬台国の所在地は鮎喰川下流の 徳島市国府町 と主張する。
一帯の矢野遺跡や名東遺跡など弥生時代の集落遺跡を合わせると全国有数の約400ヘクタールにもおよぶ。
 
また、魏志倭人伝が「その山に丹あり」と記載する赤い顔料の材料は、阿南市の 若杉山遺跡 から出土した水銀朱。列島各地の市場を監督する役職「大倭(おおやまと)」は、鳴門などに本拠を持つ海人(あま)族が担っていた――などと考える。
 
最近の県教委の調査で、鳴門市の 萩原2号墳 が奈良・ホケノ山古墳の起源とされたことから、阿波の海人族が列島全体を監督するために奈良に拠点を移し、阿波の技術を受け継いで奈良で巨大古墳を築いていったと推測する。
 
記念講演会では「疲弊している地方の観光活性化にもつながるのでは」との反応もあった。今後、勉強会を開き、調査報告書も作っていく。
「偏見を持たずに、多くの人に耳を傾けてもらいたい」と、広く訴え続けるつもりだ。 (松本航介)

(2009年3月2日  読売新聞)
 
 
笹田先生の著作として、“阿波説” のポイントの説明がぎっしり詰まった力作、 『阿波から奈良へ、いつ遷都したのか』 という地図があります。
吉野川をはさんでずらりと並ぶ古墳群の赤い印にはだれもが驚嘆。
 
阿波市周辺だけをご紹介すると (縮小しています): 
 
イメージ 3
 
記紀成立の謎から阿波が宮都であったことの説明、神話の背景、奈良への遷都の時期などについて、実際の比定地に沿って詳しく書かれています。
 
のらねこ先輩が (入手法も) 紹介しておられます:
 
阿波古代史に興味がおありなら、最初の一冊としてお勧め。
特に土地勘のない県外の方にはとてもよいガイドになると思います。
 
その笹田先生による畿内古墳の分析、期待しています。 
 
「じゃあ 仁徳天皇陵って、なに?」 と言われると明確に答えられないのは歯がゆく思ってきました。
実は明確に答えられる人はいないはずなんですけれど、ね。
 
だから、宮内庁が 「そこまで明らかにされたのなら、もういいでしょう。古墳の発掘調査を始めましょう」 と決断されるのをあと押しするのが、“阿波説”論者の使命ではないか、なんて大げさに考えています。
 
…ところが、私は長崎に配流、ではなく出張で講演会に参加できません。
残念!
 
 

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閉じる コメント(4)

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千光院在神さん、こんにちは。
邪馬台国の場所探しに興味を持っている者です。様々な邪馬台国推定地論が有り楽しく読ませていただいてます。

2013/2/17(日) 午後 3:44 [ totoro ] 返信する

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totoroさん、こんにちは。
私も論争には興味は持っていましたが、まさかノーマークの四国が名乗りを挙げるとは最近まで思ってもみませんでした。
四国説の強みのひとつは(倭人伝の通り)東、西、北の国々を制圧した、と言える立地ですね。だから、その邪馬台国が大和朝廷へとつながっていく、そのあたりの消息も阿波説では(きっと)組み立てやすいんです。
実証・傍証・反証、なんなりとご存じのことがあればお教えください。

2013/2/18(月) 午後 3:48 [ 在神居士 ] 返信する

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千光院在神さん、こんにちは。
魏志倭人伝の読み方によっては、邪馬台国阿波説も出てくるかも知れません。その場合、[邪馬壹国郡至女王國萬二千餘里]と阿波の位置説明に困難が生じる様に思います。

2013/2/19(火) 午前 10:13 [ totoro ] 返信する

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totoroさん、こんにちは。
倭人伝の12,000余里についても、単位は短里かどうか、実測値かどうかなど、諸説あるようですね。

邪馬台国はどこか…。
発掘調査で(きっと阿波から)決定的な証拠が出て終止符が打たれるまで、推理を楽しみましょう。

阿波陣営 (^^) としては、大杉 博 氏の本、お読みいただけましたか?
『邪馬台国の結論は四国山上説だ〜ドキュメント・邪馬台国論争』 (たま出版・刊)
多くの学者に文書で論戦を挑まれた、その記録です。
相手が黙るとすぐに勝ち鬨を上げられるところが痛快。
これくらいの突破力がないと権威も予算もない阿波陣営が世の中にアピールできないでしょうね。
絶版が残念。たま出版さんのお力添えを願います。
中古本しかありませんが、お勧め。

大杉氏について、のらねこ先輩が応援メッセージを書いておられますのでご参考に:
http://blogs.yahoo.co.jp/noranekoblues/43192033.html

孤軍奮闘してこられた諸先輩に呼応して、立ち上がる人が増えています。ご期待ください。

2013/2/20(水) 午後 3:53 [ 在神居士 ] 返信する

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