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例えば
数学の世界で言う「線」も「点」も
現実世界には翻訳不能な概念で
「線」も「点」も幅を持った時点で
それは「面」となり、
ということは
重々承知していた、
ということが
哲学というか、論理言語にも言える、
ということに
あの頃は気付けなかった、
哲学的、論理的思弁を言語に翻訳した時点で
それには数学的厳密性が失われる、
言葉の定義の問題がどこまでもつきまとう、
言語的混乱の時期、、
完全なる球体の体現、としての
完全なる球体の証明、としても
けれども
その頃に気付けたとしてもやはり
結果は同じだったろう
ということを
通勤の自転車に乗りながら思った、、
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