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記憶力には全く自信を持てないが
その限られた記憶をたどってみても
少なくとも
小学生の頃にはもう
へそまがりだった
友人にも
知り合いのおばちゃんにも
親にも
そう呼ばれていた
自分でもそう思っていたし
むしろちょっとばかり誇らしかった
それは今でも変わっていない
けれど
今日
風呂に入ろうとしてて
服を脱いで
貧弱な自分の身体を眺めていて気付いた
私は本当に
へそまがりだったのです
へそが
身体の中心より
1cmほど右を向いていたのです
完全なる「ハッピーエンド」なんてありえない、と
思っているのです
ハッピーな所で物語が終わらされただけで
後日談では云々
なんてことではありません
ハッピーなだけのエンドなんてありえない、と
恥ずかしながら私
大好きな小説家がおりまして
藤原伊織さんなんですが
恥ずかしいってのは
藤原伊織さんだからってことじゃなくて
誰かを好きだと表明する行為で
裸をさらすような感覚
一目置く
様な表現はすごく守備力高いやね
批判を受けりゃ
あぁそういう部分もあるやねって
受け流し
知的なニュアンスを残す
好き
ってのは言わばノーガード
稚拙なニュアンスを残す
なんて駄洒落た表現をするのも
なんか恥ずかしいけれども
思い付いたもんはしょうがない
んで
その藤原伊織さんの物語ですが
その登場人物がどんな状態で物語のエンドを迎えようと
物語が終わるという事実に
私は猛烈な寂しさを感じるのです
人は死んで仏になるとか
天に召されて天国に行くとか
って心の底から信じていたとしても
たとえそれが
大往生と言われるような死に方であっても
好きな人が死ぬ際には
寂しかったり
哀しかったり
するように
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