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少年について書いてみましょうか。
例えば漫画や小説の登場人物、キャラクターの設定をしっかり作っておくと時折作者の意図から離れて自由に動きだし、作者は自分の求める結論、ゴールに導くために苦心して事件の方の変更を迫られる、ことがあると聞いたことがあります。んで、私の脳内にそのような少年が棲みついているのです。折りに触れ、表に顔を出し、私のかわりに他者と会話をしていたりもするのです。ので、私の一部、ではありますが私ではないともいえる。けれども他者にとってみれば私の一部、であり私、です。いえ、多重人格という話ではありません。さいとうたかをさんの別人格がデューク東郷とはならないのです。あくまで私が生み出したキャラクター、私が漫画家や小説家だったとしたらその中に出てきていたであろうキャラクター、なのです。あいにく小説や漫画を書くような筆力を持ちあわせておりませんので脳内で飼い殺されていた少年、に場を与えてみようかと思うのです。
あぁ、やっと書き出せた。
何度も書こうとして断念してきたので差し当たりの書き出し、もしくは言い訳、が書けて一安心。
少年は人ごみが嫌い。いや、人が嫌いと言ってもいいのだが、差し当たり人ごみが嫌い。で、出来るかぎり避けてはいるのだが、たまに避けられず、、人の流れに乗って歩きながら、ここで指を鳴らせばみんな消えてなくなればいいのに、と、、で、脳内の指を鳴らしてみる。消えない。消えない。実際の人ごみは消えない、のでせめて脳内の人ごみを消してしまえ、と脳内の指を鳴らしてみる。歩きながらの遊びだ。てきめん、人ごみは消えるのだが、脳内の自分まで消えてしまう。自分もまた人ごみを構成するうちの一人である、と妙な誠実。自分も消えたことがいっそすがすがしくもあるのだがほくそ笑めないのでやりなおし。指を鳴らせば半数が消えてなくなるように、と脳内で、、で、二回に一回ほくそ笑む。実際の周囲に悟られない程度にそっとほくそ笑む。半数消えて自分は残った人ごみに。ただし半数と共に自分も消えた時は、それはそれですがすがしいのです。脳内に描かれる人ごみは自分を失い、テレビの中の普通の人ごみのように、、実際の自分がテレビを見ているように。
いえ、実際の自分なんつっても所詮私の脳内の少年、脳内の指なんて言った日には私の脳内の少年の脳内の指、なんですが、ね、、
そうそう、少年と書いていますがすでに26歳程度の、まぁ、青年です。本当は。私は三人称の彼という言葉が苦手で個人的に三人称は少年、ということにしております。だもんでおっさんでも赤ん坊でもじいさんでも少年、です。女性は少女ということになります。あしからず。
少年は出来ればひきこもりたい。したいことなど別にないけれども、したくないことはたらふく抱えている、結果、ひきこもりたい。けれども、親と暮らす、すねかじりながらやんややんや干渉されながら親元で暮らす、のもしたくないことの一つなので、四畳半風呂トイレ共同のアパートで週四日深夜のファミレスの厨房で働きながら概ねひきこもる。やむなく。んで労働以外の時間は音を消したテレビをたれ流しお気に入りの70年代フォークを流しながら本を読み漫画を読みネット上をうろつき、自分からは何も発信すること無くただ受信しつづける。恋人はいない。こんな性格の男が女性を幸せにできるなんてとても思えない、という思い、は、女性に幸せを感じさせていないのではないかとあたふたする自分を見たくない、という思い、であり、要するにめんどくさいのだ、と愛さない、愛されないことの口実を自分に与えている。
少年は完全な社会、理想的な社会を夢想する。コンバージェンス社会、なんて名前を与える程度には夢想している。
社会から犯罪を起こそうとする人がいなくなれば警察は職を失う。裁判関連の方々も。犯罪がなくなるか、、人々が満たされれば犯罪はなくなるだろうか、、、犯罪の起こしようのない何か革命的な技術の発明?猛烈な監視社会?犯罪という概念の喪失?犯罪のなくし方、はよくわからないけれどもコンバージェンス社会ではほとんどの必要な業務は自動化されているはずだ、と考える。犯罪に対する罪科も機械的に定められ、新たな法律を考える必要もなくなり、予算も自動的に振り分けられ、というか、基本的な労働はすべて無くなるので金銭も発生せず、振り分けられるのは金銭ではなくおそらくエネルギー、は自動的に振り分けられる。戦争もなくいざ、に備えて軍隊をもつ必要もない、もしくは自動での高度迎撃システムの完備。だろう、とか。
そのエネルギーは、太陽光、風力、地熱、水の分子を分解し、酸素は呼吸のために供給、水素は爆発させてそのエネルギーを、とか、なんだかよく分からないような様々な技術で得、理想的に効率的な利用で、と。永久機関の開発は不可能かもしれないが、太陽がある限り永久、な物は作れるだろう、と。地球が太陽、水金、火木土天海、月などとの様々な重力バランスでもって、人間には永久と思えるほどの長い期間公転しつづけるエネルギーがあるくらいだ。地球上のあらゆる存在、生命体に限らずあらゆる存在でもってエネルギーの均衡、円環、の術はあるはずで、それは自然状態といわれるような原始的な状態だろう。けれど英知の結集として科学技術の果てにおいても作る、高度に便利な世界でありながら高度な科学技術の果てにおいても作ることが可能である、と、信じている。
コンバージェンス社会。
その起点は共産主義的な社会、もしくは資本主義の限界まで進んだ地点で始まる、気がしている。資本論なんて読んだこともないけれど、資本主義が極限まで進めばそれは絶対王政的、もしくは社会主義的、で、共産主義的社会になるはずだ、と。まぁ、社会主義というか、会社主義なんのだが、、、たとえば一社、某自動車メーカーでもいいんだけれども個人的には流通をおさえた企業、なのではないか、と思っているんだが、一社、が徐々に経済力をつけ、周辺企業を買収する。買収されより大きくなった企業がより買収を進める。まずは特定地域に限定して進めるとしようか、って時に某自動車メーカーの方が考えやすいので某自動車メーカーをイメージしてください。その地域の市議会、県議会は彼らに抗えなくなる。んでますます大きくなる。んでその地域のあらゆるもの、農業、飲食、マスメディア、なども買収を進める。買収される側は抗いようがないやね、それ断ると大幅に客がいなくなる、から、、で、結局その地域はすべてその企業になる、と、、かの地域はすでにかなりそれに近しいのではないか、と想像するんですが、その活動を全国規模で行う、やんちゃな方々がこよなく愛する全国制覇、天下統一、なことを行う、で、成し遂げる。その結果その国はその企業とイコールであり、ライバルは海外。だけれども海外も統一してまったら、、、
正直、全世界統一は目指さないのではないか、と思うのです。その前に経済活動をやめてしまうのではないか、と想像し、また期待しているのです。
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