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実相経済学における歴史観の比較考察
(1)はじめに
実相経済学は、人類の未来を切り開くための理論であるが、それは歴史とは何かという問題意識も含み持っている。それについては、歴史の究極目的は何かという問題意識と、歴史の主体は何かという問題意識が重要である。その二点について、機械的唯物論、ヘーゲル歴史哲学、マルクスの唯物史観、実相経済学のそれぞれについて説明しよう。
(2)機械的唯物論
機械的唯物論では、歴史には目的はなく、人間といえども物体としての原子の集まりに過ぎなく、自由意志は錯覚であり、人間の意志も物理の法則に基づく、機械的因果で決定するのであり、生命の進化は目的ではなく、結果であり、物体が引力に引かれて落下した現象と本質的違いはないと考える。すべては物理の法則に従って、機械的因果で運動していくだけである。
歴史の主体は物理の法則である。これが未来を決定する。
(3)ヘーゲル歴史哲学
ヘーゲルの歴史哲学では、歴史の究極目的は自由の実現である。ここで、ヘーゲルのいう自由は、生理的欲求に束縛される自由ではない。生理的欲求を克服して高度に観念的になるのが自由である。ヘーゲルは宇宙の理性を神だと思っているので、理性が地上に出現して、人間が理性的になるのを歴史の発展だと考えている。つまり、歴史は理性の自己実現である。この理性の自己実現の形式が弁証法的発展なのである。
では人間の努力の余地はあるのかというと、ヘーゲルは、人間は理性という神に操られていると考える決定論である。世界史に登場した偉大な思想家や政治家、発明家は、主観的には努力したのであろうが、客観的には宇宙の理性に操られたにすぎず、歴史は最初から決定していたと考える。つまり、ヘーゲルの歴史哲学では歴史の主体は宇宙の理性である。
そうだからこそ、ヘーゲルの歴史哲学は理性という神がいかに自由を実現したかを解釈するだけで、未来を切り開く現実変革の理論にはならなかった点、マルクスに批判されたのである。
(4)マルクスの唯物史観
唯物史観では、歴史を決定づけるのは生産手段と考える。狩猟・採取が生産手段の時は階級はなかったが、農業が生産手段になると階級ができた。マルクスは歴史とは階級闘争の歴史であると規定して、人類前史の歴史の目的は階級の解消であると考えた。その後が理想の無階級で平等な共産社会である。
唯物史観では、哲学・思想も生産手段が何であるかによって決定されると考え、そこには自由な思考があるとは考えない。
そして、個人には歴史の方向を変える余地はあるかというと、共産制の実現は歴史的必然であり、歴史の英雄とは自力で歴史を左右した人物ではなく、歴史の進歩方向を見抜いてその実現を促した人であると考える。歴史の流れに逆行する人を反動と呼ぶ。唯物史観もヘーゲルと同じく決定論で個人の努力は重視しない。
(5)実相経済学
実相経済学における歴史の究極目的は、和の理念の完全な実現である。和の理念とは万人が万人の思考を理解し合って思考の対立がなく、万人が万人を許し受容し合い、愛し合い、万人に欲求に対立がなく生かし合うという状態である。これは和の理念という実相が顕現しようと個人に圧力をかけ、歴史はその実相顕現の過程であると考える。
歴史の究極主体は神である実相であり、和の理念であるが、それを地上でどれだけキャッチできるかは個人の努力に依存する。歴史を決定的と考えるのではなく、個人の努力によって左右されると考える。個人の努力とは、思考においてはより客観的に考えようとする努力であり、感情においては、他人を許し受容し愛しようとする努力であり、欲求においては、他人との欲求を対立しなくなるように、自分のより深い欲求を発見する努力であり、総じて我執を離れる努力である。そして人類をどうしたらよくできるかという思想や、人間関係、社会制度などは実相をより多く受け取れれば、良いものができてくると考える。物質経済も実相の量が多ければより発展すると考える。
(6)実相経済学の問題意識
実相経済学を案出するにあたって、人間とは何か、心とは何かを非常に深く考えてきた。そしてどういうときに人間は幸福なのかというと、我執を離れて、より客観的に考えることができ、多くの人の幸福を願っているときであり、つまりより実相を多く受け取ったときであると結論した。自分さえよければ他人はどうでもよいというエゴがあるときは、不幸なのである。不幸な時は他人を不幸にしたくなり、不幸の拡大再生産が生じる。
しかし、近代資本主義は、金銭的富を増やすのが目的になっていて、いくら金持ちになっても心は空虚であるという状態になっている。そもそも儲けることばかりを考えて、人間とはそもそも何かを客観的に考えず、自分の儲けのことばかりを考えて隣人や社会や人類のために何をしようかとも考えない人が多すぎる。つまり知恵や愛や生命の供給が欠乏している状態であり、心が満たされることがない。
つまり、実相経済学の目的は人類を経済奴隷から解放することであり、心豊かに生きれるようにすることである。その問題意識はある程度マルクス主義と同じである。マルクス主義も労働者を資本家の搾取体制からの解放を目指した。しかし、その手段は怒りであり、闘争であるので、それはエゴであり、実相の供給が阻害されるので、建設的で創造的アイデアは湧いてこなくなるので結果としては破壊で終わるし、歴史的にもそれは実証されている。
実相経済学は人類を経済奴隷から解放を目的とするのであるが、その手段は闘争ではなく、創造的知識と愛と奉仕の精神を以てである。
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