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白井聡「永続敗戦論」感想・考察
(1)はじめに
若手政治学者、白井聡氏の著書「永続敗戦論」を読んで、極めて鋭い分析で、戦後日本の国家体制を言い当てているなと納得した。
そこで、自分の住んでいる沖縄の問題と絡めて、そのエッセンスと感想・考察を述べたいと思う。ところどころ、白井氏の主張ではなく、私の見解も混ぜるが、いちいち断らない。白井氏の主張だけを知りたい方は、この著書を読んでください。
(2)戦後日本の国体は対米従属
通常の国家は、自分の国をこうしたいという目的をもって国家を運営するのであるが、戦後日本はそうではなく、対米従属が自己目的していると白井氏は言う。確かにまさにその通りだと思う。
安倍総理のトランプ大統領に対する卑屈な態度、そして日米同盟は堅固になったというが、日本の側に主体的な目的はないので、日米安保体制や安保法制は、自衛隊が米軍の指揮下で戦争するための約束でしかないだろう。まさにすべての発想は属国的である。
後で詳しく述べるが、戦後日本の国家体制の原理のひとつが、日米安保体制、あるいは日米同盟であり、その現実は沖縄の軍事要塞化であり、沖縄の基地がなければ日本国家の統合はあり得ない、つまり、沖縄の犠牲の上に戦後の日本国家は成り立っているのである。
つまり、沖縄の基地問題を本当に解決するためには、日本の国家を成り立たせている原理を根本から組み替えなければならないということである。すると、それは一見不可能に思えるが、実はそうではなく、現在は戦後日本の国家を成立させている原理が国際情勢の変化により、現実に適応できなくなってきているので、国家の統合自体がぐらついている。すると、それを見越したうえで、新たな国家原理を組み立てさえすれば、沖縄の未来に希望が持てるというのが、この書を読んだうえでの最大の収穫である。
そして私の希望は、明治維新を成し遂げた薩長土佐の武士たちが明治国家を建設したように、戦前・戦中・戦後の日本の国家矛盾を熟知した沖縄知識人が総力で、現国家体制の崩壊を見越して、新生日本の国家を設計することである。
それは、ホッブス、ロック、ルソーが近代国家を構想したのに匹敵する仕事である。私は、そこに沖縄と日本の希望を抱いている。先ずは理論構築から始めなければならないと思っている。
(3)戦前の国体
白井氏は独特の国体論を主張しているが、それは戦前の国体だけでなく、戦後にも国体があると考え、戦後の国体はこうであると主張している。
戦前の国体は模範的に言えば「万世一系の皇統」、「天壌無窮の神勅に代表される神代の伝統」、「国民の天皇に対する忠」であるが、そういう視点でなく、「天皇は神聖にして犯すべからず」という、天皇の一般国民に対する、神格の面である顕教と、明治の元勲たちが、天皇に実権を持たせず、立憲君主国家として明治国家を運用した、天皇機関説という政府にだけ知られる密教の面である。
それは、明治時代、大正時代は十分に機能した。
(4)戦前体制の崩壊
しかし、満州事変における関東軍の暴走や、日中戦争への突入の時期には、国家を運営する政府までもが、国体の密教の教義を放棄して、顕教に侵食されてしまった。つまり、国家を運営するトップ自体が、合理的国家運営を放棄し、盲目的天皇への忠を実行し、自分で考えることのない、無責任国家になってしまったのである。つまり、戦争目的を曖昧にしたまま戦争を続ける体制に突入したのである。
その結果が、特攻や玉砕の戦術であり、悲惨な沖縄戦と、二個の原爆投下であり、そしてポツダム宣言である。
(5)戦後の国体
戦後の国体を白井氏は一言で「永続敗戦」と言っているが、それは、アメリカの属国としての対米従属のことである。それには三つの原理があり、象徴天皇制と、平和憲法と、日米安保体制であり、その帰結としての沖縄の軍事要塞化である。
その論理は、まずは日本を効率よくする占領する手段として、天皇制は残した方がよいだろうという、マッカーサーの打算的判断の結果の象徴天皇制である。しかし、通常は戦犯として死刑にしなければならない天皇を生かしておくからには、戦勝国を納得させるには、日本を徹底的に戦争できない国にしなければならず、その結果が交戦権を認めない平和憲法である。しかし、日本を共産圏から守るには、米軍が必要ということであり、先ずは、日本から分離された沖縄を軍事要塞化し、そして安保条約の締結である。
その後、沖縄は基地のない日本復帰を求めたが、結果は巨大な基地を残したままの、復帰であった。それは、軍事要塞としての沖縄が、日本の国体として不可欠であり、沖縄の基地がなくなれば、日本は崩壊するので当然の結果である。
(6)戦後の国体のひび割れ
戦後の国体は、すでにひびが入っている。高度成長期までは、対米服従の姿勢をとることによって、米国の庇護を受け恩恵を得ることができた。しかし、冷戦を終え、新自由主義の時代となり、米国は日本の庇護をする必然はなくなり、日米間は経済戦争の関係になり、現在日本は合法的に搾取される一方である。つまり、規制緩和の名のもとに、日本の法律を米国に都合の良いよぅに一方的に変えられ、外資が日本に参入し、日本人の働いたお金は米国に吸い上げられている。郵政民営化や金融ビッグバンは米国の罠だったことは、現在はよく知られていることである。
つまり、対米服従を国体としている限り、政府は日本国民のための政治は不可能なのである。それが、現在の安倍政権である。
国体の三つの原理のうち、沖縄の反辺野古運動は、日米安保体制にひびが入っていることを示している。1995年に「米兵少女暴行事件」をきっかけに沖縄の過重な基地負担に対して、沖縄県民の反基地感情、反米感情が爆発し、県民8万5千人県民集会が催された。そして、1996年に普天間基地の返還と移設が、橋本竜太郎とビル・クリントンの間で合意された。そして鳩山総理のごたごたを経て、現在の辺野古移設の問題となっているのである。
それは、日本の安全保障のために、沖縄に米軍基地を過重負担させながら、本土側は安保ただ乗りで、経済が発展していることに沖縄県民が自覚し始めたことによる、日米安保のひび割れである。沖縄を軍事要塞化することによってはじめて成り立っているという国家が日本であるという自覚を、全国民が持たない限り、日本は崩壊するであろう。
また、平和憲法に基づくと軍隊は持っていけないのだが、自衛隊が創設され、安倍政権になっては安保法制が制定され、平和憲法が形がい化しているが、それは日本が自主的に日本を守れる軍隊を持てたことになるのではなく、米軍の指揮下に自衛隊が駒として動かされる、あくまでも対米服従の軍隊となったのである。それも対米服従が日本経済のメリットになる時代から、逆に搾取される時代になったのと同じく、日米安保によって日本がメリットを得る時代は終わって、逆に日米安保が日本の負担になる時代になったのである。つまり、日米安保によって平和のただ乗りができる時代ではなくなって、日米安保によって米国の手先となって戦争をさせられる時代になったのである。
(7)戦前のパブリックマインド
そもそも明治時代以前はは、日本人は日本人という意識はなく、小さな村落共同体の一員としての自覚しかなかっただろう。あるいはより大きくても藩に属する一員としての自覚しかなかっただろう。したがって、日本国家に対する愛国心というものも当然なく、小さな内輪の論理しかなかったはずである。
そこへ明治政府は日本国民を統一するために、天皇を引っ張り出してきた。そして、義務教育を開始して、教育勅語や明治天皇の御真影を通して、日本人に皇民化教育をして、愛国心、広く言えばパブリックマインドを植え付けた。日本人に日本国民としての自覚を植え付けることが、天皇を神格化することによって、実現できたのである。
私はパブリックマインドは本来自発性を尊重し内発的に出てくるように育てるのがよいと思っているのだが、明治政府は上からの押し付けで、国民にパブリックマインドを植え付けた。そのパブリックマインドによって日本は近代化に成功したのであるが、それはある程度偽物だったので、近代的自我の形成には不十分だったように思う。それは単に権力に服従するだけの権威主義的パブリックマインドであり、自分で責任を持って考え行為し結果を出すという合理的態度ではなかったように思う。それが、戦争末期の不合理な精神主義に陥った原因だと思う。日本が敗戦から学ぶべきは、主体的で合理的な国家運営の精神である。
(8)戦後のパブリックマインド
戦後の日本に対するGHQの占領は、戦前の日本のパブリックマインドを解体することに主眼があったように思う。その結果、戦前と全く反対に自分の利益のみを追求する生き方が良しとされ、国家のためという発想をするのを軍国主義的とされ否定された。精神的なものは否定され、物質的なものだけが追求され、経済的には繁栄したが精神的には相当貧しくなった。
戦前は日本のために天皇のために死ねるというパブリックマインドを国民が受け入れていたのに対して、現在では日本のため公のために死ねるという人はほとんどいなくなった。
その結果戦後の日本も、戦前と同じく無責任国家になったようだ。政治家も官僚も国家のためではなく、対米服従によるおこぼれを得ることが目的になってしまったようだ。日本のために死ねるという人が、国家のトップにいるのだろうか。
戦前の日本は目的のはっきりしない無責任な戦争に突っ走ったように、現在の日本は目的のない対米服従路線に突っ走っているようである。日本が何か目的をもってその手段として対米服従するのではなく、対米服従が絶対目的なのである。それが日本の国体がそうであるから、そうであるしかありえないのである。対米服従によって日本が何らメリットを得ることはなく、逆にデメリットばかりであるのにもかかわらず、対米服従路線をやめられないのが今の日本である。現在はまさに戦前のポツダム宣言直前の状態ではないか。戦前は盲目的戦争に突っ走って、日本が破滅を迎えたように、現在は、対米服従路線に盲目的に突っ走って、日本が破滅する寸前なのではないか。
(9)新生日本のパブリックマインドのありかた
明治国家は下からの民主化ではなく、上からのお仕着せの民主化であった。だから。パブリックマインドも内発的ではなく、権威主義的服従の姿勢の愛国心であった。
戦後の国体が崩壊しつつある今、戦前とは違って内発的なパブリックマインドが要求されている。上からのお仕着せではなく、人間として生きる上において、自分としては譲れない、このためには死ねるというパブリックマインドを各自が自ら内に見出すことが全日本国民に要求されている。そして、戦前のように上からのお仕着せを守るためではなく、ひとりひとりの国民が生きるために譲れないもの全体を守るシステムとしての日本国家を構想する必要がある。そうしないと、現在の無責任国家のままだと日本は滅びてしまうであろう。
そうすることにって、日本は本当の民主主義国家になることができるであろう。
その方法を考えるのは、私だけがすることではなく、全日本国民の課題であると思う。
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