科学革命

遂に「意識―生命―物質の統一理論」の骨格が完成しました。

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合理主義の限界と方針転換
(1)はじめに
 論理と数学の限界をまざまざと認識した。今までの方針では暗黙の前提に、現代合理主義に基づいて、唯物科学を発展させ、生命、意識を解明し、神秘主義も合理主義で捉えるつもりだった。しかし、生命、意識は数学や論理では捉えられないことを認識した。論理より直観が上なのである。合理主義より神秘主義が上なのである。直観は論理を説明できる。しかし、論理は直観を説明できない。同じく神秘主義は合理主義を説明できる。しかし、合理主義は神秘主義を説明できない。
 そこで論理を前提に直観を説明しようとしていた方針を変え、直観から出発して論理を説明する方針に変える。別の表現をすれば合理主義から出発して神秘主義を説明しようとした方針から、神秘主義から出発して合理主義を説明する方針に変える。
 今後どういう記事を書くかは未定だが、オカルトになるかも知れない。
 
(2)機械論的唯物論の限界
 唯物論の限界は早くから認識していた。厳密な表現は省略し考えだけを言えば、「押されれば動く」で世界の全てを説明するという方針である。これで物質は確かに説明でき、多くの機械を産んだであろう。しかし、意志とは何かに対して複雑な機械である脳が産んでいるという間違った発想を産んで今に至っている。脳は複雑な電子回路である。電子回路が意志を産んでいるのであるというのである。しかし、脳も物であればそれを構成している原子は「押されれば動く」しかないのである。すると意志は消えてただ押されては動かされ他を動かす原子からできた機械でしかない。押されれば動くの連鎖しかない。すると、いつまでも意志は発生せず、押されては押す原子の集まりだけであり意志は錯覚となる。そういう哲学が現にあるのである。「押されれば動く」で世界の全てを説明しようとする前提が間違っているのである。
 
(3)数学の限界
 数学の限界を説明するのに高度な数学の知識は必要ない。数学の全ては112から始まる。これが成り立たなければ全ての数学は通用しない。「足すとは何か」が問題である。「リンゴ1個にもう一個のリンゴを足すと2個のリンゴになる。」が足し算である。暗黙の前提はもう1個のリンゴを足す間に最初のリンゴは消えないということである。1個のリンゴに翌日もう1個のリンゴを足す間に最初のリンゴは腐れて無くなるということもあるだろう。しかし、客観世界を考えるときさらなる保存を考える。リンゴを構成していた原子は保存していただろうというのである。このように保存するものは何かを考え追究するのが物理の基本である。物理は保存則が原理と言っても過言ではないだろう。運動量保存則、エネルギー保存則、電荷保存則等々。保存則があるから足し算が通用するのである。変化する中にあって変化しない量を発見するというのが物理学の根本指針である。この保存があるからこそ物理で数学が通用するのである。
 しかし、である、意識では保存しないのが本質なのである。保存する何かがあるかもしれない。しかし、それに執着していたら保存する何かは見つけられないのである。1個のリンゴを想起しもう1個のリンゴを想起し加える間に最初の想起していたリンゴは消えるかもしれない。記憶力が悪いだけかと思うかもしれない。しかし、それが意識の本質なのである。「意識の世界では足し算は必ずしも成り立たない。」これが数学の限界であり、直観から出発するしかないのである。
 
(4)空間の限界
 物理的世界は空間的幾何学を前提している。それは何故かというと空間は客観的に共有できるものだからである。3㎝は誰が計っても3㎝なのであり、これが物理現象の客観性のもとである。人間の間で真に客観的に保有できるものは時間・空間と数だけである。3個のリンゴは誰が見ても3個のリンゴなのである。言葉で意識を共有しているのはどういうことかはまだ分からないが厳密な客観性は無いだろう。時空と数が客観的で、色、音、味などは言葉で曖昧に共有しているだけであり、本当のところ他人と同じ意識を共有しているかは分からないのである。もちろん、数や空間を共有していると思っても、共有していると思っている私の意識だけがあるという主観的観念論も成り立つかもしれないが、それは考えないでおく。
 現代の世界観は人間同士が客観的に共有できる世界が本当の世界であるという根本前提があって、それで使えるのは時空と数だけになり、これが科学的世界観となり、唯物論的世界観に陥っている。世界とは3次元空間と時間の広がりであるという世界観は狭い世界観であり、生命も意識も説明できない。これはニュートンの呪縛である。真の世界は時空と数に束縛されない物質世界に生命と意識を含んだ世界である。これは必ずしも他人と共有できないのである。神秘主義でもこの世を超えた高次元空間というものを考えるが、空間を考えるところがまだニュートンの呪縛があると思う。
 
(5)論理の限界
 論理の限界も数学の限界と同じようなものである。
 昔プラトンだったと思うが「論理の導くところはどこまでも行こう」と言うような意味のことを読んだ記憶がある。東洋では神秘的なことは畏れ多く論理を差し挟まないが、ギリシャでは神秘的なことでも論理でどこまでも突き進んでゆく。これに私は魅了された。今思えば論理信仰である。この論理信仰が唯物科学を産み世界を席巻した。しかし、これは本当の世界ではない。学問自体が合理主義が主流である。だから学問すればするほど真理が見えなくなるのであり、今裏に置かれている神秘主義の方が高度な真理であることが分かった。しかし、神秘主義ならなんでもかんでも真理という分けにはいかないだろう。これをどうするかが課題である。
 論理の基本は「Aであると同時にAでない」は在り得ないということである。この前提で世界を分析し解釈するのが合理的世界観である。これが実は意識の世界では当てはまらないのである。この前提では生命も意識も解明できないのである。もちろん生命の一側面として肉体は論理が当てはまるし、他の生命の側面で論理が当てはまるかも知れない。しかし、それだけにたよっていてはその当てはまる側面も認識できないのである。論理以前の直観から出発するしかないのである。
 
(6)論理と直観
 真理を認識するには直観だけでも駄目だし論理だけでも駄目だと思う。両者を組み合わせるのがベストだと思う。厳密に論理だけで考える人はいないと思うが論理に強烈に執着していては何も証明できないと思う。ヘーゲルや西田の論証の不十分性は自覚していたが、私は直観で彼らの主張していることは真理だと認識した。直観だけでもなく高度な論理も含まれているので分かる人には分かるのである。論証で全て説明しようとするのが無理なのである。ヘーゲル西田の哲学は直観と論理がうまく融合されてベストだと思う。
 
(7)今後の方針
 今後はオカルトを勉強しようと思う。オカルトと言っても直観一辺倒でなく論理がある。論理と直観の関係を意識しつつ勉強し如何にして正しく真理に辿り着けるかを模索し、できれば合理主義を直観主義で吸収し、直観主義の科学で科学革命に辿り着きたい。科学革命の目標は不変である。今後厳密な論証は意図しない。哲学でもないし科学でもない。しかし科学を目指す。
意識を客観的に扱うことの難しさ
(1)はじめに
 近代科学は実証精神をもって十分成功してきた。現代では分子生物学で生命の本質に迫り、脳科学で脳の研究によって人間の本質の迫りつつあるかのように思われている。しかし、それは生物や人間を分子機械と解釈したのであり、生命や人間を原子の集まりにすぎないとしているのであり、本質は捉え損ねていると思う。生命や人間を捉えるために何が必要と思っているか、私の見解を説明しよう。
 
(2)意識の捉えがたさ
 「今現金が必要なので銀行に金をおろしに行くところである」という現象を科学的にはどう捉えるのであろうか。
 脳が何かの目的を達成する分子機械になっていると考える。脳がなぜうまい具合に分子機械になっているかというとそれな生命の自然淘汰による進化によってであり、うまい機械になっていないのは滅びて、奇跡的にうまく機械になったものだけが生き残ったのであると考える。
 脳が生活の目的を持ち、意志があるかの如き自動機械になっているのだと解釈する。しかも反省して主観的意志を語るのは科学的ではないとされる。
 
(3)科学的客観性とは何か
 科学が成功して以来、科学的なのが正しいのだとされた。その科学的とは、経験を時間空間の形式に当てはめて考えることである。存在するのは空間においてある。空間においてあるのは物質である。したがって物質のみが実在である。心は存在しない。それは物質である脳の機能である。こういう唯物論が広まった。
 「銀行に金をおろしに行くところである。」という現象を唯物論的に認識するのは極めて複雑なことである。身体という物体の動き、脳の神経回路の観察でこの人は銀行に金をおろしに行くところであると認識するのは大変なことである。しかし、直接「今どこに行くところですか。」聴いた方が容易に現実を認識できる。もちろん嘘を吐くかもしれない。それでもその人の生活具合を観察して現金が無くなり、歩いていく方向が銀行ならば、金をおろしに行くところであるという推測は出来る。
 結局何が言いたいのかというと人間が何か目的を持ち、それを行為によって実現しようとしている過程は、機械論的唯物論で認識するよりも、意識を認識するのが容易だし、意識の実在を想定する方が正しいだろうということを言いたいのである。意識は存在しない、物質のみ実在と考えるのは一つの信仰のように思える。
 
(4)意識の客観的認識は何故困難か
 意識で通常認識できるのは自分の意識であり、他人の意識は言葉や表情で間接的に認識できるだけである。他人の意識は自分の意識の動く範囲で推測される。自分の意識と相当かけ離れた意識はいくら言葉で説明されても想像は難しい。
 そこで他人の意識をどう正しく認識できるかという問題は置いておいて、自分の意識について考えよう。自分が現金が欲しいから金をおろしに行こうと思って道を歩き出す。そのとき思いが原因で歩くのは結果である。しかし、それを従来の科学的方法で認識されると脳の生理現象と解釈されるのである。外的作用因で説明されるのである。
 「アリストテレスの四原因論」で言及したように、現代科学は外的作用因と質料因で全てを説明しようとする。内的作用因は主観的なもので一次的なものではないとされる。しかし、自分の経験は思ったことを実行したのであり、思いが原因で行為は結果であるという確実な実感がある。物理的には測定できないが、「思い」が在るのは現実だと感じられる。
 
()意識は時空の形式におさまらない
 外的見方は4次元時空の形式に当てはめた見かたである。しかし、純粋な意識というものは時空の形式におさまらないものなのである。外的に意識を見ようとしても物理的に観察するならばすべて物理現象であり、声は空気の振動であり、表情は光という電磁気的現象にすぎない。それらから意識を認識するのは客観的ではなく、主観的なものであるとされるしかない。
 内省的に意識を認識するのは時空の形式を超えたものなのである。
 意識が物質にどう作用するか、そのメカニズムの解明が要求されている。意識は脳だけに作用するのか、それとも身体全体に作用するのか、あるいは全ての原子に作用しているのか、脳に作用するとしても脳のどの部分のどの原子に作用するのか、代謝はどう説明されるか、それは分からないことだらけである。
 
(6)意識の科学的認識に必要なこと
 したがって、内的現象と外的現象を統一的に捉えるためには、意識と関係づけて時空とは何かを解明する必要がある。内的現象である「思い」が原因で外的現象である「行為」は結果であるという日常の認識、主体が客観を從えたり、主観が客観を認識したりすることを客観的に捉えるためには時空を超える必要があるのである。意識と時空と物質の関係の解明が必要なのである。意識と物質を同時にとらえることのできる形式を発見する必要がある。
 現代の科学は時空の形式に当てはめて考察するという視点に縛られているが故に、意識を扱えきれなくなっているのである。意識を客観的に扱うためには時空の由来を解明する必要がある。唯物論を克服するにはそこまでやらなければならないのである。しかし、そういう時代は近づいて、準備は為されていると思う。
 
(7)ツイスター
 現代の素粒子理論で時空の何たるかを解明しようとしているのはペンローズのツイスターであると思っている。彼のツイスターは意識との関係は不明確であるが、意識とはどのようなものかを考えながら研究すると豊富な結果が得られるものと思っている。
 超弦理論は高次元時空を扱うが、思考の仕方が数学的技巧に偏り過ぎ、哲学が不足しているように思われる。しかし、それも何らかの真理を含んでいると思う。
 
(8)まとめ
 現代科学は4次元時空という形式と外的作用因という原因にあてはて全てを認識しようとするので意識を捉えきれない。意識に関係する現象は内的作用因も考慮する必要がある。
主体が客体に対して行為したという事象を科学的に扱うためには意識と関係づけて時空とは何かを解明する必要がある。意識は時空を超えるものなのである。時空の解明の端緒はペンローズのツイスターにあると思う。

ラマルク進化論の復活

ラマルク進化論の復活
(1)はじめに
 進化論と言えばダーウィンだがダーウィン以前にフランスの博物学者ラマルクが独自の進化論を唱えていた。
 ダーウィンの進化論の柱は「突然変異」と「自然淘汰」であり、一方ラマルクの進化論の柱は「用不用説」と「獲得性質の遺伝」である。
 私は、正しい進化のメカニズムを捉えているのはラマルク進化論であると思っている。そのことを説明しよう。
 
(2)進化論と創造説
 近代科学は西洋で生じたので西洋の話をしよう。
 進化論の登場以前は、生物は神が創造したものと思われていた。神が人間をはじめ牛、馬、キリン、象、キリギリス、鷹などをそれぞれ別々に創造したのだと思われていた。しかし、近代実証科学の進展とともにキリスト教の権威が弱まってきた。生物はそれぞれの種を神が別々に創造したのではなく、ある一つの種から進化して分かれてきたのではないかと思われ始めてきた。
 種の変化をはじめて主張したのがラマルクであり、そののちに登場したのがダーウィンである。現在の進化論の主流はダーウィン進化論だが、私はラマルク進化論の復活を意志している。
 進化論はキリスト教と対立して、神の存在を否定してきたが、私の提唱するNakamura宇宙模型は宇宙の進化する意志という名の神の存在を仮定し、生物の進化は宇宙の進化する意志の作用の結果起こったものとする。理論の骨格ができたばかりでまだ実現していないが、Nakamura宇宙模型には生物の進化のメカニズムを解明する義務があると思っている。この理論はラマルク進化論と相性が良いように思っている。
 
(3)ダーウィン進化論
 ダーウィン進化論の一つの前提が「突然変異」が起こり得るという仮定である。現在はダーウィンの時代と違って、遺伝のメカニズムが解明され、遺伝はDNAが担っているのは常識になっている。したがって、突然変異とはDNAが狂うことであると言える。
 もう一つが「自然淘汰」である。生存に適した個体が生き残り、不適なのは死に、生存に適したDNA が子孫に遺伝されると考えるのである。
 しかし、DNAの狂いから進化が生じるというのには無理があるように思う。突然変異というのはDNAの故障であり、故障がたまたま改良(進化)になってしまう可能性はほとんど無いのではないかという疑問は拭えない。
 
 
(4)ラマルク進化論
 ラマルクは生物には「向上性」が内在しており、それと環境との作用で進化が起こると考えた。
ラマルク進化論の柱の一つが「用不用説」である。これは例えばキリンは最初から首が長い動物として創造されたのではなく、首の短かった動物が高い木の葉っぱを食べる努力をしているうちに首が長くなったのであり、モグラは地中で目を使う必要が無かったので、使わない目が退化したと考える。つまり、よく使う器官は発達し使わない器官は退化すると考えるのである。
もう一つの柱は「獲得形質は遺伝する」という考えである。これはある生物の個体の発達した器官の変化が子に伝わるというものである。個体の努力による変化が子孫に伝わるとする考えである。キリンが高い木の葉を食べているうちに、ある個体の首が長くなり、その結果つまり後天的に獲得した形質が子に伝わるとするのである。
 
(5)機械論と目的論 
 ダーウィン進化論は機械論的であり、ラマルク進化論は目的論的である。機械論とは物理還元主義な考えであり、進化の原因を意志で説明するのではなく、外界からの物理作用にあるという考え方である。進化の原因を内在的要因にあるとするのではなく、突然変異や自然淘汰という外界の要因で説明しているのである。
 ラマルクは生物には「向上性」が内在していてこれが進化の要因と考えている。これが作用して、環境との相互作用の結果進化が起こるとしている。向上性という意志が進化の原因になったとするところが目的論的である。
 私は機械論では生物の本質は捉えられないと考えている。機械論的に生物を捉えたならば、生物は必然的に機械と捉えられるしかない。生命の本質を捉えるためには、どうしても目的論的視点が不可欠である。しかし、機械論を記述する数学はニュートン以来発展してきたが目的論を記述する数学が出来ていない。この数学を構築するのは私の課題である。
 
(6)Nkamura宇宙模型
 Nakamura宇宙模型における「宇宙の進化する意志」がラマルクの「向上性」に相当するだろう。私はあらゆる生物、例えば人間だけでなくミドリムシにしても生きるための努力をしていると考える。この努力の源泉つまり向上性は宇宙の進化する意志から来ていて、努力の結果生物は進化していると思う。個体の努力の成果として進化が生じるのではないだろうか。
現代の生物学は物理・化学的還元主義であり、分子生物学は生物を分子機械あるいは化学機械と見なしていて生命の本質である生命力を捉えきれていないと思う。生命力の本質は個体に限定されるのではなく、宇宙全体に遍満する宇宙の進化する意志にあると考えている。宇宙の基本運動は素粒子の無秩序な並進運動ではなく、潜在的なものの顕在化という運動であり、これはより高次な精神の顕在化のことであり、これが生物の進化であり、人類の文明の発展である。
 
(7)進化は偶然か必然か
 ダーウィン進化論では進化は偶然の産物と見なされている。しかし、私の考えでは進化は宇宙創造直後から宇宙全体に作用している宇宙の進化する意志の必然的産物と考える。しかし、どういう進化をするのかという細かいところまでは決定されておらず、高次な精神の出現という目的は決まっており、手足二本の人間というところまでは決まっていないと思う。地球では生物は主に炭素の化合物でできているが、炭素の少ない惑星では高度な意識を持った他の宇宙人が炭素ではなくシリコンでできた生物である可能性もあると思う。宇宙の進化する意志によって、高度の意識を顕在化させるという目的は決まっているが、どういう形態の生物かという手段は決まっていないと思う。
 
(7)これからの課題
 潜在的なものの顕在化の運動を記述する数学を構築する必要がある。この数学は日常的な人間精神の運動を記述すると共に生物の進化の過程も記述するものと思われる。新しい数学の構築と共に分子生物学の勉強をしておく必要がある。そして獲得形質の遺伝のメカニズムを解明する必要がある。
 
(9)本記事の要約 
 生物の進化の原動力はラマルクの言葉で言えば生物に内在する「向上性」であり、私の言葉で言えば「宇宙の進化する意志」である。
 獲得形質は遺伝する。
 
 
参考書:図解雑学・進化論、ナツメ社

神の発見

神の発見
(1)はじめに
 現代、神を発見したと言ったら、もう狂人扱いされ誰からも相手にされなくなるかもしれない。しかし、私は正直に言う。「神を発見した」と。私が発見した最奥の神を私は宇宙の進化する意志と名づけた。姿形を持った神ではなく、宇宙を進化させようとする、姿形の無い普遍的意志としての神のことである。この神よりも、もっと高次の神も存在するかもしれないが。神の発見を思い込みと思う人も多いかもしれない。しかし、私は神を発見する前は神なんているものかと思い込んでいたのである。そのときに心の奥から神が現われたのである。その過程を詳しく書こう。
 
(2)懐疑主義
 神を認識するためには神を信仰する必要があると思っている人が多いかもしれない。しかし、それではだめだと私は思っている。逆に懐疑主義の方が良いのではないかと思っている。神を疑って科学を信ずる、実証主義を信ずるという段階もあるだろう。神を疑って唯物論を信ずるということもあるかも知れない。しかし、神だけを疑うのではなく物が有るというのも疑う必要があるだろう。物が有ると意識に映っているだけであって、確かなのは物が有ることではなく、物が有ると意識に映っていることであり、物が有るのは確かではなく、意識体験があるということだけは疑えないのである。さらに言えば、私の意識というのも先入観である。意識の中に私というのが組み込まれているだけであって、必ずしも「私」は付着する必要はない。物が有るのは疑えて意識体験の事実だけが確実であるという心境が大切だと思う。思考が意識体験の事実に立脚できるようになると知が自立できるようになる。つまり、他人の説に振り回されることなく、自分の意識体験に基づいて思考できるようになる。一流の哲学者はそれが出来ているのである。
 
(3)価値相対主義
 私は神を発見する前は価値相対主義者だった。価値が在る無いとか言うが、あるのは欲望であり、欲望を満足させる物・事を価値が在ると言い、欲望が人それぞれであるので、価値も人それぞれである、客観的価値なんて無いのである、そう思っていた。偉い偉くないというのも本当は無いのだ。そういう考えであった。
 また、それなりの真理の探究の結果、世界には客観的意味なんてないのであると結論を下していた。宇宙は物理の法則にしたがって運動しているだけだし、生命も人間も偶然の産物に過ぎない。意味とは脳の神経の刺激にすぎない。脳の快楽神経が刺激されたとき意味を感じるのであって、世界に意味があるのではない、そう思っていた。世界には意味は無いのだ、あるのは欲望とその満足である。私は知識欲が強かったが、知的快楽を目指して生きるのみであった。科学以上の真理の探究は思い込みであり、探究不可能であると思っていた。善悪の概念も解体していた。人間の行為に客観的に善悪なんて無いのである。あるのは快楽と苦痛であり、他人を害すると反作用を受けるから他人に苦痛を与えては損だから他人を害しないだけである。そんな考えを持っていた。
 
(4)神の発見
 そういうように、懐疑主義、価値相対主義、世界には意味は無いという考えを持ちつつも知的快楽から自己認識に耽っていたら、ある日心の奥に穴が開いた。そして心が見えるようになった。思考も感情も意志も視覚的に見えるのである。驚愕の事実だった。心が見えるとは聞いたことも読んだことも思い浮かべたことさえ無い話である。そして心が私の心で閉じてはいず心の奥でどこまでも広がっているのである。心の認識はクリアーであり、今まで認識していた心は見える心のほんのわずかな部分であり、言葉で表現できるのもほんのわずかであることを知った。人間が心を持っているのではなく、普遍的心から人間の心が出来ているのである。また、無意識界も認識できるようになった。しかし、心が見えるという体験に頭はすぐにはついていかなかった。心は脳が産んでいるという先入観はなかなか取れなかった。頑固な頭だった。
 そしてしばらくして感じたのが、自分は一なる神から分かれてきたというものである。神とは自分の思考の根源であり、意志の根源である。神の意識が流入してくるがそれには高尚な感覚を感じた。そして、神から私は分かれてきたという認識である。
 こういう体験がどんどん深化して行って、心の中に宇宙を感じるようになると、宇宙の進化する意志を感じるようになった。宇宙は単に物理の法則にしたがって運動しているだけではない。意志を持って進化している。宇宙には発展の方向性があるのである。単に無意味に運動しているのではない。宇宙には客観的意味が在り、人生にも客観的意味があるのである。生命も人間も星も宇宙の進化する意志によって創られたものである。人間はさらに進化すべく方向性をもって努力するように創られているのだ。そう感じられた。ヘーゲル哲学を勉強すると、ヘーゲル自身はそう認識していなかったかもしれないが、宇宙の進化の形式が弁証法的発展であると認識された。
 現在は価値相対主義から逆転して価値観には客観的尺度があるという立場に立っているが、それは宇宙の進化する意志という神との合一の体験に基づいている。そして価値観の客観的尺度は宇宙の進化する意志にしたがってつけられるはずであると考えている。しかし、そのためには宇宙の進化する意志を深く研究しなければならないし、心の法則にも習熟しないといけないので、現段階ではそれを展開できない。内的体験を通常の意識に理解できる言葉で説明するのは難しいのである。しかし、必ずしなければならない仕事だと思っている。今後の課題である。また、内的に認識した宇宙の進化する意志と現代物理との整合性は、必ずつけなければならない課題であると思っている。Nakamura宇宙模型もその方向性で考えられたものである。
 
(5)神を認識する方法
 私自身神を信じていない時期が有ったので、神を信じない人を批判しようとは思わない。私の言うことが信じられないでも当たり前だと思っている。神を発見する以前の自分を説得できるかどうかも分からない。私は私の言うことを無批判に信じてもらおうとするのではなく、各人が自分自身の心のなかに神を発見することを望んでいるのである。宗教の教祖のように私のみが神の心を語れるのであると言って権威になろうとしているのではない。神は信仰するのではなく認識するものだというのが私の持論である。それで神の認識方法を説明するのである。
神を認識するのに最も不可欠なのは真理を求める真剣さだと思う。神を安易に信ずるのは真剣さが足りないと思う。信仰心を無条件に価値あることと思い込むのはどうかと思う。私の経験から何が神の認識に繫がったかと考えてみると、たとえ真理が自分に都合の悪いことであってもそれを受け入れる、即ち真理と思うことに忠実に生きる態度が一つであると思う。真理を自分の都合の良いように思いこまないことである。真理の探究の結果、世界に客観的意味が無いと結論されて自分に都合が悪くとも、それを受け入れて真理に忠実に生きるという態度が良かったのだと思う。もう一つは真の自己の探究を行っていたということが挙げられる。懐疑論の立場に立ち、自分の意識現象の事実のみが信じられるとして、自分という概念は如何なる意識現象であるかを探究していた。それは固定したものか、あるいは自由自在に変えられるものか、そういう実験をしていた。そのときは、自分というものは観念の束であり自由に変えられるものだと思っていた。今の認識では、自己は現状の自己を肯定してこれにさらに何かをつけ加えるか、あるいは浅い自己を否定して深い自己を顕在化させることしかできないと認識している。自己の本質は変えられないのである。
 今から振り返れば良く分かるが神を認識するには何より心を掘ることである。これに尽きている。最高に真剣に生きることである。信仰で神に近づこうとするのには、楽して成果を得ようとする不純な動機が混ざっていると思う。
 結論は神を認識するには、五感を疑って意識の事実を認識できなければならない。神の認識のためには信仰心よりも懐疑主義が適していると思っている。眼に見える物の存在を信じて、そのうえにさらに目に見えない神を信じるのではなく、目に見える物の存在を疑うのが正しい道であると思う。すると目に見えないのを信じざるを得なくなる。眼に見えなくとも論理的整合性のあるのを信ずることになる。そして懐疑主義のほかに真理に忠実に生きるという態度と真の自己を発見しようとする態度が大切であると思う。
 
(6)私にとって神とは何か
 私が経験した意識現象を神と表現する理由は次のとおりである。今、私が神と表現されているのをどう感じているかと一言でいえば、意識の源泉と感じている。思考能力も意志も心の奥から湧き出してくる。その源流が宇宙の進化する意志という神なのである。瞑想しないと神と合一できないのが宗教界の常識かもしれないが、私は四六時中合一しているのである。宇宙の進化する意志から意志が流れ込んでくると宇宙の進化に貢献したくなる。今地球人として生きているので、その束縛のもとで宇宙の進化に貢献しようとすると、個々人の精神の発展に役立つことをしたくなる。そして、文明の発展に貢献したくなる。精神の発展についていうと、各人が自分の心を深く内省し、真の自己を発見し、それを外界へと展開する自己実現を促進したくなる。文明の発展についていうと、知の最高統一を目指したくなり、その応用として宇宙の進化に適した文明設計をしたくなる。こういうことが宇宙の進化する意志が流入したときに私のしたくなることである。
 神と知の最高統一の関係について説明すると、神はあらゆる観念の源流なのであって、すべての知は一なる神から放射されたものなのである。神から発した知は体系にならざるを得ないのである。神は観念素でもあるのである。
 自己発見についていうと、真の自己発見は心の内に神を発見することである。私は出来たら万人が真の自己である神を発見できるようにしたいなと思っている。これこそ宇宙の進化への貢献である。これが人類の理想であると思う。自己実現の方法の学問化も私の重要な仕事であると思っている。
 
(7)まとめ
 神を認識するためには信仰心よりむしろ懐疑主義が適している。神の存在を疑い物の存在も疑い、意識のあるがままの現実を認識できるようになり知が自立できるからであり、またその方が心を深く掘れるからである。
私にとって神とは意識の源流である。神である宇宙の進化する意志が意識に流入すると、人々の自己実現に貢献したくなり、知の最高統一をめざしたくなり、その応用として宇宙の進化に貢献する文明設計をしたくなる。

哲学は思い込みか

哲学は思い込みか
(1)はじめに
 果たして哲学は思い込みなのだろうか。哲学の歴史である哲学史を、思い込みを時間的順序に並べたものと思い込んでいる哲学者も多いようである。
 その原因は哲学が実証できないところにあるようである。 
 Nakamura宇宙模型が哲学を実証可能にすることを説明しよう。
 
(2)科学者は形而上学をさける
 科学は実証を要求する。Aという理論とそれと異なるBという理論があったとする。Aという理論に基づいた実験結果の予測とBという理論に基づいた予測が全く同じ場合は、ABは同型な理論と見なされ、やがて数学的にも全く同型であることが証明されるであろう。量子力学のはじめに、ハイゼンベルクの行列力学とシュレディンガーの波動力学がそうだった。つまり、両者の理論は数学は全く異なったものであったが、理論からの予測は全く同一であり、しばらくしてから両者は数学的に同型であることが証明された。Aの予測とBの予測が異なることがあった場合は、実験によりABはどちらが正しいかが実証されるであろう。どちらも間違っている場合もあるが。
 科学者が求める理論は、従来の理論と異なる実験結果を予測し実験可能な理論である。そして、一般に従来の予測と異なる実験結果を予測しない理論は形而上学にすぎないとして無視されるのが普通である。理論を空想たくましくして創ろうが、実験結果を予測できない理論は一人前の理論としては認められないのである。
 
(3)例外としての超弦理論
 30年も実験結果を予測しないで世界中で研究されている物理理論がある。それは超弦理論(超ひも理論)である。しかも常識はずれの11次元時空の存在を主張する。
 物理の基本法則には電磁相互作用、重力相互作用、強い相互作用、弱い相互作用の4つがある。この理論が受け入れられている理由は、この4つの相互作用を一つの法則として統一する可能性を多くの理論家が認めているからである。
 しかし、30年も実験的に実証されない理論を数学的にあれこれ模索して結果を出せないのは不健全と思わざるを得ない。
 
(4)哲学が思い込みと思われる理由
 哲学がなにより思い込みと思われるのは実験で実証されないからである。こういう実験をしたらこういう結果が出ると理論から予測できないからである。プラトンがイデア論を主張しても、今では多くの人にはそれは非科学的な思い込みと思われているだろう。それに対して物理学は、多くの実験結果を予測し実証してきたので多くの人にその世界観が認められてきた。
 しかし、哲学は内的に厳密な認識であり、ある範囲では妥当する真理であると私は思っている。しかし、「絶対的真理である」というのは言いすぎであると思う。ニュートン力学が相対性理論や量子力学に真理の座を譲ったように、如何なる哲学と言えども限られた範囲の真理であると思う。私は哲学はその時代の最高の認識であるとしても、将来的には部分的真理であり、絶対を主張したらそれは思い込みであると思っている。
 
(5)科学の思い込み
 科学は実証的なので思い込みは無いと思いがちであるが、科学にも思い込みがある。
 最大の思い込みは「脳が意識を産む」という思い込みである。
 現代の脳科学が行っている研究は脳の状態と心の状態の対応付けであり、如何にして脳が意識を産むかは全く解明されていないのである。脳と言えども原子の集まりである。原子が集まって意識を産むというのは不可解である。脳は複雑な神経回路とされているが、そのような回路が意識を産むというのは不可解である。原子は機械論的に運動するものであるが、何をどうしたら主体が現われるというのだろうか。原子の集まりである脳が意識を産むというのは、説明しがたいものである。
 
(6)Nakamura宇宙模型の実証
 Nakamura宇宙模型の最大の壁は「4次元時空を如何にしてより根源的原理から導出するか」である。そして、意識と時空・物理現象の関係を説明することである。
例えば電磁波の波長と色の関係の導出などである。例えばなぜ0.7μmの電磁波は赤色に見えるとかいうことの説明である。電磁波というのは物理現象であるが、色というのは物理現象ではなく、意識現象なのである。もう一つ言えば、温度と冷温の関係である。なぜ0℃の水は冷たく感じるのか、なぜ90℃のお湯は熱く感じるのかという問題である。温かさや冷たさは物理現象ではなく意識現象なのである。客観的物理現象としては原子の振動の激しさの違いであり、人間はそれを主観的に冷温を感じているのである。主観の定義の方法は次の(7)で述べる。
 従来の哲学は物理を説明しきれていなかったし、従来の科学は意識と物質の関係を説明しきれていなかった。意識現象も物理現象に還元できるという立場では、生物や人間の主体ははく奪されるのではないだろうか。厳密には人間の行為も物理の法則に従うとしてしか説明できなくなるのではないだろうか。
 
(7)クォークの振る舞いの予測
 Nkamura宇宙模型では、クォーク宇宙の統一力が何段階にも分化して最終的にはクォークになって我々の宇宙に侵入してきたと説明した。そして、クォークには高次の統一力が働いていると考える。
 即ち、生命を構成するクォークは、空気を構成するクォークと違って生命の統一力が作用していると考える。その分クォークの振る舞いに違いが出てきているはずだと考える。これが主体―客体関係の説明になると思う。これを予測し観測するのがNakamura宇宙模型の実証の端緒となると思う。主観の統一状態の定義は現在では困難であるが、物理現象との対応関係で低いレベルから高いレベルまで段階的に定義できるものと思っている。こういう意識状態はこういう物理的状態が対応するという必然性をレベルの低い段階で認識した後、これを組み合わせて高いレベルの意識を説明して行くのである。意識の統一状態と物理状態の対応関係を片っ端から対応付けして行くのではなく、少ない対応関係の知識から多くの対応関係を予測して行くのである。すると理論の信憑性は高くなる。
 しかし、そのためにやらねばならないことは多くあり、観測されるクォークの振る舞いは4次元時空内に属するものであるので、意識や生命主体と4次元時空の関係は説明できていなければならないし、生物の分子生物学的説明も知っておく必要がある。
 
 
(8)まとめ
 科学者は実験結果を予測しない形而上学を認めない傾向にある。一方科学者は意識を脳の産物であると思い込んでいる。
 Nakamura宇宙模型は意識や生命の統一力があるとする形而上学であるが、その影響がクォークの振る舞いに及ぶものと考え、意識と物の関係の実証をできる実験を予測しうる可能性がある。

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