科学革命

遂に「意識―生命―物質の統一理論」の骨格が完成しました。

文明論

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近代から超近代へ

近代から超近代へ
(1)はじめに
 西ヨーロッパ発の近代が、ここ数百年間世界を席巻してきたが、現在はそれが終焉へと向かっている。これから近代の終わりを迎えて激動の時代が始まり、それを乗り越えて近代を超克した文明が始まろうとしているが、その文明を私は超近代文明と呼んでいる。つまり、現代は古代→中世→近代と進んできた文明が、さらに近代→超近代へと進む時代の変わり目に来ているのである。だからこそ今は激動の時代へと突入しているのである。近代の後に戦後の時代を現代と名付ける考えもあるが、現代の文明の特徴は近代の特徴と同じ原理にあると考えて、現代という言葉を使わないで現在も近代の内に含める。
 近代文明の特徴は何で、それが崩壊した後に来る超近代文明の特徴はなんであるかということを本記事で説明したい。
 
(2)近代の特徴
 近代の原理は世界観としては機械論的世界観であり、それはニュートンによって確立された。近代の人間観は個人主義であるが、それはジョン・ロックにより確立された。
 ニュートンはニュートン力学を構築し、全ての物体はニュートンの運動方程式に従うとして、作用した力に応じて運動は受動的に決定するとしたが、それが機械論的世界観である。それが生命や人間にも適用されて生命も人間も機械であるとする生命観・人間観が近代原理の世界観である。
 近代の人間観はロックによって、社会は個人から出発し、個人が集まって社会ができるとした。原子論的社会観である。これが近代民主主義の土台となっている。通常は民主主義は常識と思われているが、民主主義はロックから始まっているのであり、近代以前の中世には民主主義という発想はないのである。
 もう一つ近代の特徴そして近代資本主義がある。資本家が、株式会社に資本を投資して、経営者と労働者を雇って利潤を得て、資本が自己増殖するのが、資本主義の経済原理である。
 したがって、近代の特徴は①機械論的世界観、②原子論的人間観、③近代資本主義で特徴づけられるので、それぞれについて超近代はそれをどう超克していくかを説明しよう。
 
(3)機械論的世界観の超克
 機械論的世界観は、宇宙の全てがゼンマイ仕掛けの時計のように、作用した力に応じて受動的に運動が決定するという世界観である。それに対して私の提唱する宇宙観は、宇宙は進化しているものとする。宇宙の進化とは、異次元にある「意識宇宙」の意識がより高次なものへと段階的に、通常は普通に宇宙と呼ばれている物質宇宙に出現することである。それが単細胞生物から多細胞生物への進化でもあるし、両生類から爬虫類へ、爬虫類から哺乳類への進化であるし、また哺乳類から人間が出現し、人間の意識はどんどん向上し、さらには文明が発展してきている。人類の意識は次第に高次なものとなっていくというように、人類の魂は進化している。
 したがって、宇宙自体が進化を目指しているし、人類は宇宙の進化に貢献すべく存在している。宇宙の進化に最高度に貢献する文明をユートピア〔理想郷〕文明と私は読んでいるが、人類の究極目的はユートピア文明の建設であるとする。
 したがって超近代文明における世界観は、宇宙は進化という目的を持っているという目的論的世界観である。
 
(4)原子論的人間観の超克
 近代的人間観は、個人個人は分離しばらばらであるとする原子論的人間観である。しかし、私の人間観はそうではない。人間の意識は無意識でつながっている。個人の持つ意志は普遍的意識が分化したものであり、この普遍的意識は神とも呼べるが、神の一つの目的がその手段に分化して個人の意志となっているのであるから、個人は神の目的の一つの手段を担っているのである。つまり、個人は神の一部である。
 確かに人間を肉体として見れば、個々ばらばらであるが、意識として見た場合は、個人の意識は普遍的意識が分化したものであり、重要なポイントは、意識は脳が産んでいるのではなく、脳は意識の受信機に過ぎないということである。
したがって、超近代の人間観は、「すべての人間は、宇宙の根源主体である一者が分化したものである」という人間観である。
この一者の理論から、民主主義に代わってどういう政治制度になるかはまだ分かっていない。今後の課題である。
 
(5)資本主義の超克
 資本主義の経済制度の中では、誰もが金儲けのために活動しなければならない。しかし、資本主義というとそれを意味するだけでなく、経済活動の原理は、株式会社に資本を投資して、資本を増殖させることが第一目的なのであり、経営者と労働者は資本家に雇われているに過ぎない。資本主義の主人公は資本家なのである。
 資本の自己増殖を第一目的とする近代資本主義社会に対して、超近代の経済活動の第一目的は何なのかというと、「魂の進化」であり、魂の進化とは、心が深くなることであるが、それはどういうことかというと自己認識が深まり、意志が深くなるということである。それをもっと具体的に言うと、自分の本当にしたいことを発見することであり、これを私は「自己発見」と呼んでいる。これがある程度深くなると「使命の発見」ともいうべき、一生をかけてなすべく目的が見つかるのである。さらにこれが深くなると、宇宙の意志(=神)との合一に至る。そして自己発見したなら、その目的を実現するのであるが、それを私は「自己実現」と呼んでいる。
 つまり、超近代の経済活動の目的は魂の進化を促進することであるが、それは「自己発見―自己実現」の促進であるということである。
 
(6)超近代文明の特徴
 まとめると、超近代文明の特徴は、
 宇宙は進化という目的を持っているという目的論、
 人間は宇宙の根源意志である一者が分化してきたものであるという人間観、
 魂の進化を第一目的とする経済原理、それは自己発見―自己実現の促進でもある
 3つである。
理念の統合機能と発展機能
(1)はじめに
 前回の記事で国家に「統合理念」と「発展理念」があると言ったが、それは間違っていて、同一の理念が「統合」として機能する場合と「発展」として機能する場合があることに気付いた。それを詳しく説明しよう。
 
(2)個人のケース
 前回と同じく個人のケースから考察しよう。
 信仰の場合を考えよう。そのときは先ず愛の人となるという理想を抱き始める。それは現状の自分は愛の人ではなく煩悩にまみれているのだが、理想の自分として愛の思いに満たされている人を描き、自分の行動・思いを煩悩から愛に切り替える努力をしてゆく。煩悩を打ち消して愛の思いを出す努力をするのである。これは「愛」が理念であり、自分の心を愛で満たそうとしている状態である。すなわち「愛」は「統合理念」として機能しているのである。
 この努力が進んでゆくと、心を愛で満たすのは容易になって、次の段階として愛の具体化がメインの課題となる。例えば隣人愛の実践として会社を経営して社会に奉仕しようと様々な活動を行う。このとき会社経営は愛の発展であり、隣人の幸福の増進に貢献しようと意図することである。即ち「愛」は「発展理念」として機能している。「愛」という理念がありそれを具体化しようとしているのである。
 前回の記事の修正点は、発展理念と統合理念は別々であるかのように書いたが、それらは必ずしも別の理念ではなく、今の場合「愛」という一つの理念が「統合理念」として機能したり「発展理念」として機能したりするということである。
 もちろん「統合機能」と「発展機能」は完全に別々のときに機能するのではなく、同時にあるウエイトで機能するが、おおざっぱに見ると「統合機能」がメインの場合と「発展機能」がメインの場合があると言っているわけである。
 
(3)国家のケース
 国家の場合も同様である。国民が全くバラバラな目的を持つと国家の体を為さなくなるので、ある程度意志を統一しなければならない。国民の意志を統一しようとある理念をあげる場合はその理念は「統合理念」として機能しているのである。そして国民がその理念に意志を従えるのが容易になると国家全体としてその理念を具体化する努力がメインとなる。このときはその理念は「発展理念」として機能しているのである。
 私の脈動理論は理念が統合理念として働いたり発展理念として働いたり交互に入れ替わるとしたが、こう考えると、先ず立てられた理念は統合理念として働き、それが浸透し、次に発展理念として働く。そしてその次には同じ理念が統合理念に戻るのではなく新しい統合理念を立てるのだということが分かる。しかし、国家理念というものは人為的に立てるものではなく、ある国家の国民が無自覚に所有しているものを深い洞察によって言葉にすることでそれを理念として表明し、それが現実に力を持つようになるのである。国民の深い内面を無視した理念は空念仏に終わってしまうので、国家理念は国民の内面を洞察したものでなければならない。
 
(4)政治と経済
 私は、政治は主に理念の統合機能に関わり経済は理念の発展機能に関わるのではないかと考えている。
 政治の本来の目的は国家が一つにまとまっている状態を維持することである。これが中心目的である。しかし、戦後の日本はその時代が発展理念の時代であるせいか、あるいは戦争で負けて日本人本来の精神を失ったせいか、国民の統合理念をあげることさえも軍国主義として否定される傾向にある。そして統合理念を失って、低い次元の理念で以て発展一辺倒に偏っている。
 発展とは理念を具体化して行くことである。それを効率良く行おうとするのが科学と経済である。科学と経済をまとめて理念を効率よく具体化する意志と言う意味で広義の経済と呼ぼう。
 現在の経済学は金中心の視点であり、その目的はGDPの最大化である。しかし、これは人間が本当に幸福になったかどうかの客観的基準にはならない。理念がどれだけ具体化したかが、国民の自己実現の達成度の尺度となり、これこそが幸福の尺度となる。この尺度を客観的に扱う方法の開発は私の研究課題の一つである「論理学の数学化」の成果で期待される。
 即ち政治とはある理念を立て国民の意志を統合して行く営みであり、経済とは理念をいかに効率よく具体化して行くかを考える営みであり、そういう営みとして政治と経済を定義できるのではないかと考えている。
 
(5)近代とは何か
 私の脈動理論から見ると近代は西洋発の大発展の時代であると見ることができる。思っている目的をいかに効率よく実現できるかが精神の根本的営みとなっている。その代り、人間はそもそも何を目的とすべきかなどと考えることは背後に回されそういうことを考えるのは良くないこととされている。そういうのは文明の表ではなく裏側の営みになっているのである。
 近代の常識的価値観は唯物科学、民主主義、資本主義が柱であり、これらは西洋に発し世界中に伝播する強制力を持った精神である。これを私は理念の発展機能を中心とした精神ではないかと考えている。
 近代とは何であるかをこれから深く研究して行きたい。
 
(6)超近代はどういう時代か
 私はこれから日本を中心に近代を超える超近代の時代が来て世界中に拡がるのではないかと去年の初めから考え始めている。それを脈動理論に基づいて考えると、近代の大発展の時代が終わって超近代の大統合の時代が来るのではないか、つまり超近代は地球を大統合する、大統合の時代なのではないかと最近思い始めている。近代は「思ったことをいかに効率よく実現するか」が精神の中心的営みとなっていた時代であったが、超近代は「そもそも人間は何を目的とすべきか」を理念に照らし合わせて修正することが精神的努力の中心となる時代なのではないか、理念による目的や意志の制御が中心となり、しかも個人個人がバラバラになるのではなく理念の共有で一体化して行く時代、そして究極には地球全体が理念を共有して一つになって行く時代、しかもそれは画一化ではなく個性を尊重したままの統合である、こう言う時代が今後数百年間の超近代の時代になるのではないかそう思い始めている。
 つまり、思っている目的を効率よく実現することが精神活動の中心となっていた近代を超えた超近代とは、理念を共有することによって国民がそして人類が統合して行く努力が人間の活動の中心となって行く時代ではないか、私はそう思い始めている。
 
(7)まとめ
 国家理念に別々の「統合理念」と「発展理念」があるのではなく、一つの理念が「統合理念」として機能したり「発展理念」として機能したりする。
 政治は理念の「統合機能」に関わり経済は理念の「発展機能」に関わる。
 これからは、思っている目的を効率よく実現することが主眼であった近代から、理念を共有することによって国民がそして人類が統合されていくことを精神的努力の主眼とする超近代の時代が来るのではないかと私は思っている。
歴史の認識の形式−脈動−
(1)はじめに
 私は歴史の研究・学習の目的の主眼は、現在の時代認識であり、これまでの歴史の意義とこれからどこへ向かえば良いのかを認識することだと思っている。その点ヘーゲルの歴史哲学は歴史の主体として世界精神なるものを考え、これの意志の展開として歴史の意義を解釈した。しかし、ヘーゲルは人類はこれからどこへ向かえば良いのかは指示さなかった。現在において歴史はどこへ向かえば良いのかを指示したのはマルクスである。私はマルクスは精神の主体性を軽く見た点で間違っていると思うが、人間が肉体を持った存在であることを力点を持って認識したことは正しいと思っている。マルクスは唯物史観で歴史を解釈し、未来への展望を示した。それは「資本主義は内部矛盾により自己崩壊し、必然的に共産主義世界がやってくる」という展望である。しかし、これは歴史的実証により間違っていることはほとんど実証されたと思う。
 それで私はヘーゲルとマルクスから両者の短所を除外し長所を取り入れ新しい歴史哲学を構築しようと思っている。そのためにはヘーゲルの歴史哲学とマルクスの資本論などを研究しないといけないのであるが、正直、研究はあまり進んでいない。どうしても納得いくまで考えないと身に付かないたちなので、ゆっくりとしか研究は進まないのである。
 しかし、歴史の主体、ヘーゲルの言う世界史の主体である世界精神の運動というものを感じるようになった。これは「世界精神の脈動」と呼んでおこう。世界史そうして国家は脈動しながら発展して行くのである。そういう描像を説明したいと思う。
 
(2)世界精神の認識
 世界精神の認識の説明の前に、精神の認識とは何かを考えてみよう。
朝、道を歩くと、大勢の人がぞろぞろ歩いていくのを見かける。他人が何のため歩いているかを私は自分の心と照らし合わせて認識できる。ある人のこれまでの行動を知覚して、これからの行動を予測できる。つまり、この人は通勤のため駅へ向かって歩いているのだなと意図を認識出来、その結果この人の肉体はこれから駅へ向かって運動して行くのだなと肉体という物体の運動を予測できる。
しかし、これを厳密に物理的に認識しようとするならば、この人を肉体を構成している原子の結合具合を調べ、精密な化学機械としての肉体を解明し、数兆個の細胞の結合、さらにはそれを構成する原子の連立方程式を立て、それだけでなく外界との物理的相互作用を考慮することによって、この人の肉体の運動の解を計算で導出しなければならない。それを厳密に解くことは現在のスーパーコンピュータでも全く歯が立たない。人間の肉体という物体の運動を予測することは、物理的に認識することによってでなく、意図を認識した方が簡単である。先ずはこのことを肝に銘じておこう。
世界精神の認識もこれと同じである。世界精神を認識するためには常識はずれなほど心を深く認識しなければならない。それによって歴史の未来を予測できるのである。私はそういう認識が可能であることを証明しなければならないと思っているが、そのためには、心の深いところでは人類の心はつながっているのであり、それらは全て歴史の主体の支配下にあるのであることを証明しなければならない。それは今後の課題である。
言いたいのは、人間の肉体の運動は、肉体を構成している原子の運動を認識することによってでなく、意図を読み取ることで予測できるように、歴史というものも個々の事件をかき集めることによってでなく、歴史の主体である世界精神を認識することによって解釈できそして未来を予測できるということである。
従って、科学的証明ということで、物理主義に陥ったら、人間の存在さえ証明できないことは知っておくべきである。現状では科学的という言葉は唯物的を意味するが、唯物論の限界は知っておいた方が良い。意図を認識するという方法で人の振る舞いを予測するのは、唯物科学的ではないのである。そして私は、何をもって証明とするかをもっと考えなければならない。
 
(3)精神の基本運動としての脈動
 精神の基本機能は「統合」と「分化」である。これが交互に脈動しているのである。あるときは「統合」機能が主流になり、他のときは「分化」機能が主流になる。
 「統合」とはあらゆる意識をひとつの理念の支配下に収めようとする意識の運動である。分かりやすい例を挙げれば「信仰」によって、自己の精神の運動を統御しようとするようなものである。あるいは宗教的に信仰しなくても「自分はこれを為すことに人生を掛ける」というように、人生の目的をひとつに集約し、それでもって意識の全てを統御しようとする場合である。通常の表現を使えばそれは人格の統合である。全ての精神活動に一つの筋を通す場合のその筋を統合理念と呼べるだろう。
 もう一つは「分化」である。それは一つの目的から次々と手段が分化し精神活動が多様化して行くことである。先の例で言えば自分の人生の目的はこれであるという一つの思いから色々な活動に次々と手段が分化して行き、精神活動が多様化して行くことである。
 したがって完全にどっちか片方であるということは言えなくても、人間の精神活動は「統合」が主になったり「分化」が主になったりしながら交互に脈動しているのである。
 
(4)国家の精神の運動
 先に述べた個人の精神の運動は国家の場合もあてはまる。
 国家には「統合理念」と「発展理念」の二つがある。例えば日本の場合は自覚がなくとも日本人ならばこうであるべきという「日本人の統合理念」があり、日本人全体の意識を統御し日本人を一つにまとめる力が働いている。戦後の憲法でも「天皇は日本国民統合の象徴である」というのは統合理念に当たる。
発展理念は日本の戦後は経済成長に当たるだろう。経済成長を至上目的として日本人の精神活動が営まれているのである。経済的発展という目的のために意識が多様に分化しているのである。
 「統合理念」と「発展理念」のバランスをどう取るのが正しいかの判定は難しいが、戦後の日本は「発展理念」に偏り「統合理念」は軽視されているように思う。逆に戦争中は「統合理念」が強かったのではないか。いずれにせよ両者が同等な時代というのは無くどっちかに偏っているのが普通だと思う。しかし極端に偏りすぎるのは不幸である。統合理念が強くなりすぎると自由が無くなり極端な場合は独裁であるが、統合理念が弱くなり発展理念ばかりになると無規範になりアノミーになる。そして通常は国家や世界史は「統合理念」に偏ったり「発展理念」偏ったりして、交互に行ったり来たりしながら発展して行くのである。私はこの運動を精神の脈動と呼びたい。
 私がこれから考えようと思っているのは将来の日本の発展に向けて、日本の「統合理念」と「発展理念」は何にしなければならないかである。そのため、日本を含めた世界史を研究し、これまでの世界史の意義を解明してヘーゲルやマルクスに代わって新しい歴史哲学を構築したいと思っている。
 
(5)大和民族と琉球民族
 国家の精神の運動として大和民族と琉球民族を位置づけるならば、一つの縄文人(民族)の意志が、かなり深い部分で同一の発展理念に基づいて分化しそれぞれ固有の文化を構成したのが大和民族と琉球民族であると言えるだろう。それぞれがある程度発展した後に「統合」の時代が来たのであろう。それが薩摩の琉球侵攻であり琉球処分である。そして問題とすべきは大和民族と琉球民族の両者を統合する統合理念は何であるか。それを発見しなければならないと思っている。
 
(6)沖縄人の精神の運動
 沖縄人にはそれぞれの個人に日本民族の統合理念と発展理念が強弱を持って作用しているようである。「沖縄人は本来日本人である」という日本民族の統合理念を強く持っている人もいれば、「沖縄人は本土の人と違う独自の民族である」という分化の理念、発展の理念を強く持っている人もいるようである。沖縄は本来大和人と一体であるというのも一面的真理であるが、沖縄人は大和人とは異なるというのも一面的真理である。そして高次の真理は両者を含む立体的真理である。それをもう少し正確に言えば、「大和民族と琉球民族は浅いところでは異なるが深いところでは同一である」と言うのが高次の真理である。
 まだ歴史的には発見も解明もされていないが、沖縄民族の産んだ民族精神の中に、全日本的価値があり、日本精神を飛躍的に発展させる精神的価値が隠れているのではないか、それが縄文人が大和民族と琉球民族に分かれた意義があるのではないか、私はそう予測している。
 
(7)まとめ
 国家の精神的運動には「統合理念」が強く働く「統合」の時代と「発展理念」が強く働く「分化発展」の時代があり、交互に脈動する。したがって歴史は「脈動」という認識の形式で捉えられると考えている。
 日本において大和民族と琉球民族は「分化発展」の時代に縄文人から分かれ、そして近代・現代は「統合」の時代が来て統合されつつあると解釈される。したがって、日本における大和民族と琉球民族の分化・統合も日本の歴史における一つの脈動である。

思想運動の欠点

思想運動の欠点
(1)はじめに
 通常は世のなかが良くならないのは、人々が善を為すより、悪を為すのが多いからで、すべての人々が悪を捨て善を為せば世の中は良くなるはずだと思っているようである。世の中が良くならないのは人間の本能に悪を為す傾向が在るからであると考えているのである。
 しかし、実際には何が善で何が悪かは簡単には決められないので、人間の精神活動を振り返って、善悪とは何かを明らかにし、思想運動の在るべき姿を考えよう。
 
(2)目的意志
 人間は生きている限り、何かを目的にしその実現を意志している。誰でも食べることを意志している。それを妨げられると苦痛を感じる。人びとはそれぞれ何かを意志し、協力し合ったり対立し合ったりしながらそれを実現して行く。
 目的意志を実現するのは快感であり、妨げられるのは苦痛である。目的意志の実現というのは今無いことを現実にしようとする意志である。目的はあるがそれが現実には無いという状態を「矛盾のある状態」と呼ぼう。そして、今の現実には無かったものを意志によって現実にしたことを「矛盾の解消」と呼ぼう。
 
(3)善悪とは何か
 通常は他人を害して利己的に振る舞うのが悪とみなされている。そして自分の利害にとらわれず、利他的行為をするのが善と見なされている。
 つまり、自分の矛盾の解消のため他人に矛盾を引き起こすのが悪なのである。例えば腹が減ったので何かを食べたいという欲求が生じたとき、万引きして何かを食べると、空腹という自己の矛盾を解消するために、経済活動で利益を得ようとしている商売人に矛盾を生じさせているので悪なのである。
 また例えばパソコンをもっと簡単に使えるようにすること、多くの人々にもっと簡単にパソコンを使えるようにしてあげること、これは利他的行為であるが、そのためにスティーブ・ジョブスがiPadの開発を率いたように、苦しい努力をして、iPadによってもっと便利な状態になるという矛盾の解消を実現したので、それは善と見なされている。もちろん、iPad依存症を生じるとか、iPadを頻繁に使うと電力を多く消費し二酸化炭素による温室効果が大きくなるという副作用もある。しかし、一般的には副作用として生じた矛盾よりも、iPadにより解消された矛盾の方が大きいと見なされている。
 
(4)愛や利他の独善性
 宗教的あるいは道徳的には愛や利他は善であると見なされている。しかし、人のために何かをしてあげるというのは何らかの世界観や価値観がその前提にある。それに基づいて利他的行為をするのである。世界観や価値観の異なる人に対して利他的行為をするのは価値観の押し付けになることが多い。こういうのが思想の独善性である。
 愛や利他は小さな人間関係では良いことのように思えるが、社会的思想運動となると価値観の押し付けになり対立が生じて、その思想が単純に善とは言えなくなる。
 例えばキリスト教は愛の思想を述べるがその実は宗教戦争の歴史を持っている。共産主義は労働者の解放を唱えたが、その実は共産党による思想の自由を認めない絶対的独裁になってしまった。その原因は思想が間違っていて、もし正しい思想が広まればそうはならないと思う人も多いかもしれないが、私は思想運動一般の本質が不幸な結果を産んだと考えている。善の思想運動は独善に陥るというのが本質だと思う。したがって、善を遂行したはずなのにその結果が大きな悪になったことは深く反省し教訓を学ぶべきであると思う。
 
(5)絶対善の幻想
 歴史的に悲惨な悪は強烈な善意によってなされたというのが事実であると思う。私心という小さな悪意では大きな不幸は引き起こせない。自分は絶対に正しいという確信があって大きな悪を為すことができるのである。キリスト教と共産主義がそうであると思う。
 日本でも右翼と左翼があるが、どちらも自分は絶対に正しいと確信しているようである。右翼は右翼で天皇の権威が高まれば高まるほど、日本は素晴らしい国になると思い込んでいる。日本人ならば天皇を崇敬すべきでそうしない人は日本人でないし、したがって日本から出ていくべきであると言って、思想の自由は認めず価値観の押し付けをするのである。左翼は唯物史観という歴史観で以て、共産革命は歴史的必然である、革命が起ると素晴らしいユートピアが出来ると思い込んでいる。人類の幸福のためと言って、暴力革命を引き起こし結果は多くの不幸を産んでいるのである。
 右翼も左翼も共に自分は真理を知ったのであると確信して、自分の思想運動による負の側面を無視している。自分は絶対善と確信すればするほどその思想は害悪をまき散らすのである。
 
(6)思想には副作用が必ず伴う
 思想は矛盾の解消を促進するものとして登場してくる。こういうことをすれば人間は幸福になるのだというビジョンを持って登場するのである。思想には価値観が伴って、これをこうすればするほど優れているのであるという方向性を与える。しかし、普通は見落とされているが思想は矛盾を解消するだけでなく矛盾の生成もするのである。思想はある価値観を提示するがその価値観によって人間に上下を付け差別が生じる。そして劣ったものを見下すという不幸の源泉を生じさせる。
 日本人の価値観の主流は学歴社会かも知れない。学歴が無いといい職にはつけないというのである。しかし、人間の経済活動にとって学歴よりも人間関係の方が重要かもしれない。学歴が無くても経済界で活躍している人は大勢いる。経歴よりも実力がものを言うだろう。さらに言えば経済的に優れている人が客観的に優れているという価値観も一面的である。個人として絵画を趣味に持ってその精神的満足に価値を見出している人もいるかもしれない。経済的には質素だがそれに満足しうるのである。経済的豊かさだけが真の豊かさではないのは真理だろう。
価値観は人それぞれで多様であるのが現実であろう。しかし、思想運動の多くはある価値観を押し付け、他の価値観を排除して虐げるという副作用を持っている。思想というものは、ある価値を強調し他の価値を軽視するという側面を持っている。すなわち、軽視された価値観を持っている人を否定するのである。これが思想の副作用を産むのである。思想の副作用を自覚しそれへの応対を配慮するのが思想運動にとって重要だと思う。何か正しい真理がありそれが広まりさえすれば人類は幸福になるという思想は必然的に独善なのである。こういう思想は地域的に幸福を産んだ側面があるが、全人類的には思想の対立で多くの不幸を産んでいるのである。
 
(7)まとめ
 思想運動はある価値を重視し他の価値を軽視することによって必然的に矛盾を生成する。即ち副作用を産む。これが善の思想運動が大悪を産む原因である。自分の思想が正しいと確信すればするほど多くの不幸を生成するのである。したがって自分の思想が不幸の生成という副作用を産んでいることを自覚し対処することが思想運動に不可欠なことである。

西洋文明と日本文明

西洋文明と日本文明
(1)はじめに
 日本は黒船以降西洋文明に直面し、西洋文明の価値を認めざるを得なくなった。従来の日本文明とは異なる西洋文明を、日本と異なるから価値は無いと無視はできず、その科学、経済、芸術等々を普遍的価値のあるものと認めざるを得なかった。
 しかし、その受入れ態度は「和魂洋才」であり、西洋文明の表面的形だけを受け入れ、その精神は十分消化されていないように思える。
 そこでその現状と私の考える理想の応対を提案しよう。
 
(2)和魂洋才
 日本の西洋文明の受け入れ方は和魂洋才と言われている。つまり、精神は日本人の精神でありながら西洋の文明の表面的技術を受け入れようというのである。
 しかし、科学をする精神態度、政治の精神態度、芸術の精神態度は魂を持ったものである。人権思想にしてもその起源はキリスト教に遡る。人間の自由はなぜ認めなければならないかは、今の日本ではその根拠は考えず、なぜか知らないがそうなんだということで思考停止している。日本の民主主義は精神が浅いのである。
 科学にしても唯一の自然法則があるはずだと考えたのはやはり西洋の一神教に遡る。科学にしても、政治にしても、芸術にしてもそれを技術としてのみ受け入れるのでは、日本人の精神が首尾一貫したものとはならない。精神の接ぎ木でしかない。西洋文化を取り入れるがそれが日本人の魂としっくりいった関係になっていない。それは精神的に不健全である。
 文化の創造活動は魂で行った方が盛んになる。表面的技術では独創的な深い創造活動はできない。日本の文化が輸入ばかりして発信が少ないのにはここに原因があると思う。
 
(3)自虐史観と愛国心
 今、自虐史観はけしからん、日本人はもっと愛国心を持つべきとか、日本人は戦中悪いことをやったから反省すべきだとかいわれているが、それは、私には両方とも一面的に見える。
 人間の理想的態度とはどのようなものだろうか。私は悪い人間ですと認めていじけてばかりいるのは良くないのは分かるだろう。一方私は偉いのであると、自分の欠点を認めず威張り散らすのも良くないだろう。つまり、自虐史観という自己卑下も良くないし、愛国心という傲慢も良くないと思う。
 理想的態度は、現状の欠点を素直に認めそれをいかに修正して行くかと考える態度である。自分の悪いのは悪いと認め、自分を良くしていくことに努力するのである。日本の過去の過ちを認めだからと言って自己卑下にはならず、日本の長所も認め、日本を理想に近づけるためにはどうするかを考える態度である。
 左翼は自己卑下型であり、右翼が傲慢型に見える。どちらも一面的であるように見える。
 
(4)理想的態度
 日本文化の西洋文明に対する理想的態度は、西洋の文化をその精神を消化し、その普遍性を素直に認め、また日本文化の長所と短所を素直に認識し日本文化の普遍性と西洋文化の普遍性を統合する態度である。
 そのためには日本の精神史を深く研究し、西洋の精神史も深く研究し両者を統合するより深い精神を発見する必要があると思う。これができれば日本は普遍的精神を世界に発信することができると思う。
 私は、現状では西洋文明が世界を支配しているようだが、やがて西洋文明の限界が顕になり、西洋文明によって洗練された東洋文明あるいは西洋文明と東洋文明を止揚した文明が現われると思っている。
 
(5)急進派と伝統派
 国家は如何にあるべきかについて理想像を描き、こうあるべきだからこうしようとするのには無理がある。数学で小学生に微分・積分を教えるのには無理があるように現実の国家・国民の状態を考慮に入れ、理想の実現はどこまでが可能かを認識する必要がある。理想の実現には段階があるのである。急進派というのは現状を認識せずいきなり理想を実現しようとする態度であろう。これは危険である。
 一方伝統主義あるいは保守主義というものもある。日本は古来からこうであったから未来もこうあるべきであるという考えである。しかし、現実は科学技術が発達し、文化も変貌して行くだろう。これでは国家が現実に適応できなくなる。
 好ましいのは理想を描き、現状を認識し、理想実現のために現状に適した革新を行って行くことである。

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