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認識の変換理論
(1)はじめに
哲学においては、同一の事物を認識して、異なる個人が同一の認識に到達することをどう保証するかは深刻な問題となっている。果たして万人に共通の真理があるのかどうかという問題である。
それに対して、相対性理論は物理的認識に限定するが、ある座標系で自分が認識した事象が、異なる座標系で同一の事象を他人が認識した場合どう映るのかという理論が出来ている。例えば、それには特殊相対性理論におけるローレンツ変換がある。これを例に認識の変換理論を考えてみたい。そして、物理と意識の両者を認識の変換理論という枠組みで統一的に捉えてみたい。
(2)座標系の導入
先ずは上の図のように座標系Kを取る。横にx軸、縦にy軸を取る。この座標系にx座標x0、y座標yの点Pを取る。
物理の法則という真理は人間がどのような座標系を取るかには関わらないものである。つまり、物理の法則は座標系をどう選ぶかに無関係に立てられなければならない。しかし、人間の経験と対応付けるには必ずある特定の座標を取らなければならない。確かに、座標系を取るということは真理の本質では無く、人為的なものであると思われる。というのは座標系を取るということは、ある認識主観を設定するということであり、その認識主観である人間は神のごとく経験を超越して真理を捉えることはできず、必ず身体を持って物差しを用いて位置を測定することで経験を整理するしかないという意味である。要するに物理の法則自体は座標系をどう取るかには無関係であるのだが、経験と照らし合わすためには特定の座標系を取らなければならないということである。したがって、物理学では座標系を取ることは不可欠なことなのである。
これを形而上学との比較で言えば、物理学は形而上学とは違って、頭の中で観念的に真理を追究するだけでなく、感性の世界を即物的に思考もして、五感の経験と頭の中の観念を整合的に捉えるという課題を持っているのである。それがあるからこそ、科学は哲学から分化し、元の哲学の勢力をはるかに超えて、現実世界に威力を持っているのである。
(3)座標変換
今度は上の図の通りに、二つの座標系KとLを導入する。
ここで系Lの原点は系Kの座標(p,q)に位置する。点Pは系Kでは(x0,y0)
であり。系Lでは(x0’,y0’)となっている。この両者の座標の変換式は直観的には、
x0’=x0−p
y0’=y0−q
となると考えられる。しかし、それは自明なことではない。これは実際には、系Kに対して系Lがある速度で運動しているときには上の変換式は成り立たない。それは単なる頭の中だけの話ではなく、実験で証明された事実である。
(4)ローレンツ変換
次は系Kに対して系Kがx軸方向に速度vで運動している場合を考える。上の図では系Lの原点の座標が(vt,q)になっていると考える。ここでtは時刻であり、t=0のときx軸の原点とx’軸の原点は一致するとする。
そこでアインシュタインは、特殊相対性原理と光速度不変の原理からローレンツ変換を導いた。
特殊相対性原理とは、「すべての物理法則は、如何なる慣性系を基準にとっても
、全く同じ形式で表現される。」という主張であり、光速度普遍の原理とは、「真空中の光の速さは、光源の運動状態とは無関係である。」という主張である。
この二つの原理をもとに、ある事象が系Kで時刻t、座標xであり、同一の事象が系Lで時刻t’、座標x’となったとき両者の関係を表すローレンツ変換を導いた。ローレンツ変換は次の通りである。
x’=(x-vt)/(1-v2/c2)1/2
t’=(t-(v/c2)x)/(1-v2/c2)1/2
ここでcは光速度である。この式は日常生活の常識をコケにしている。例えばKからLの原点を見ると(xt,t)であるが、それを上のx’,t’の式に代入すると、x’=0,t’=(1-v2/c2)1/2tとなる。つまり、K系で時間t経過したときL系では時間(1-v2/c2)1/2tしか経過しておらず、時間の進み方が遅いのである。L系の速度が早ければ早いほどL系の時間の進み方は遅くなる。特殊相対性理論が登場する以前はどう運動しようが時間の進み方というものは一定であるというのが常識だったのである。特殊相対性理論はその常識をコケにしているのである。
特殊相対性理論の登場で時間空間は客観的であるという常識は覆された。時間空間を認識する観測者の運動によって、時間空間は異なって捉えられるということが明らかになった。しかも、時間空間が観測者によって延び縮するという定性的発言だけでなく、観測者の運動にしたがって定量的に予言できるようになった。観測者の運動関係にしたがって両者の時間・空間認識の変換関係が明らかになった。それが、ローレンツ変換である。
(5)科学的客観性とは何か
普通は科学的客観性が本当の客観性だと思われている。それは事物を感情を交えず、原子の位置と運動で物理現象を認識するという態度である。これが医学に浸透すると、患者の感情は本質では無いので無視して、血液検査やエコーの検査などの客観データのみに基づいて診断するという態度になる。客観的世界とは原子の運動する世界であり、人間も原子の集まりでできた機械であり、機械の故障が病気であり、その機械の機能具合の測定が検査であり、治療とは機械の修理というのである。
科学は人間の主観は本質では無いと無視して、物理的現実のみを認識しているのだが、物理的現実を組み合わせて主観を説明できると勘違いしている。主観を正しく認識するには、今まで本質でないとされた主観をそのまま認識すべきなのであるが、主観を無視しつつも物理を通して主観を認識しようとしている。これはおかしな態度である。
(6)主観をどう捉えるか
人間が同一な事物を認識しても人によって異なって認識されるのは良く知られている。代表が芸術であり、例えば音楽にしてもロックが好きな人には、ロックのリズムは心地良く感じられるが、その場合にはクラシックは退屈な音にしか聞こえないだろうし、クラシックが好きな人には、クラシックのメロディーは心地良く感じられ、逆にロックは騒音としか聞かれないだろう。好みは人それぞれであり、同一の音楽を聴いても異なって認識されるのである。また同一の個人でも好みは気分によって変化することもある。
それを認識主観の立場が異なるので、同一のものが異なって認識されるという、物理で言うローレンツ変換などの座標変換の形式に相当するものを考えられないかと、私は期待しているのである。例えば先に説明した、系によって時間の進み方が異なるように、音楽の聴こえ方も認識主観によって異なるのではないか、その感じ方もローレンツ変換のように変換形式を考えることが出来るのではないかと考えているのである。
意識が物理現象と異なる最大な特徴は意識に深さがあることである。物理現象は平板なのである。心が複雑に見えるのは、同一のものを浅いところと深いところで同時に認識して、ああも思えるがこうも思えるという心境になったりすることにある。例えばこの一年は長かったとも思えるし、短かったとも思えることは良くあると思う。これは深いところの自分の不動の心境から見れば短く感じるし、表面的に変動する自分から見れば変化が激しいので長く感じるということである。この視点の変換も認識の変換理論の課題となる。
ともかく物理学におけるローレンツ変換に代表される認識の変換理論をそういう視点から研究し、意識の変換理論を構築してみたい。
(7)これからの課題
ローレンツ変換は認識の変換理論の一つであるが、それを非慣性系に拡張したのが一般相対性理論である。それと電磁相互作用に代表される物理の基本相互作用の理論であるゲージ理論も認識の変換理論である。ゲージ理論も同一のものを異なった視点から見ると異なって見えるという理論である。ゲージ理論もそうなのである。それらを認識の変換理論という視点から研究しつつ、意識の変換理論を考えてみたい。
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力学
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