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左翼、保守、右翼の定義(片山杜秀)
(1)はじめに
 「近代日本の右翼思想」(片山杜秀著、講談社選書メチエ)に、「左翼」、「保守」、「右翼」の納得のいく分かりやすい定義があった。
    左翼:過去や現在に基づかず、未来に期待する。
    保守:現在を尊重しながら、過去と未来をそこそこ斟酌し、ゆっくりと前進する。
    右翼:失われた過去に立脚して現在に異議を申し立てる。
 
 この発想を歴史に基づいて説明しよう。
 
(2)フランス革命
 人類が初めて思想で立ったのが、フランス革命である。過去や現在に基づかず思想に従って現実を築き上げようとしたのである。その思想的背景はヴォルテールやルソーたちの啓蒙思想である。
 「右翼と左翼という言葉の起源は、フランス革命期の立法議会」(1791101 - 179295)において、右側に立憲君主派であるフイヤン派が陣取ったのに対して、左側に共和派世俗主義などの急進派(ジャコバン派)が陣取ったことに由来する」(ウィキ)。
 フランス革命は、啓蒙主義者の理想的観念に基づいて、世界人類にあまねく自由と平等と友愛をもたらすという旗印を挙げて開始された。この理想は、頭で立っていて、過去の事実や現在の現実に基づかず、未来に向かって、現実を理性に従わせようという発想である。この未来にひた走ろうとしたのが共和派、ジャコバン派である。これたちが左翼という言葉の起源である。
 それに対して、過去に実現されたこともなく、現在にも実現されていない観念を純粋に信仰するなんて、とんでもできないと考えたグループが、王党派、ジロンド派、フイヤン派である。これたちが右翼という言葉の起源である。
 
(3)保守主義の父エドマンド・バーク
 「エドマンド・バーク: Edmund Burke1729112 - 179779)は、アイルランド生まれのイギリス政治思想家哲学者政治家。「保守主義の父」として知られる。ダブリンで富裕なアイルランド国教会信徒の家庭に生まれ、1765から1794までイギリス庶民院(下院)議員を務めた」(ウィキ)。
 
 バークは大方の予想に反して、フランス革命に反対して、保守主義のバイブルと言われる「フランス革命の省察」という本を書いた。
バークの保守の考えの骨子は次の通り。
【1】 フランス革命についての考え
 自由というのは、空中から出現するのではなく、フランスにはフランスの政治的伝統や制度があり、そこに独自の自由の原則があったはずである。
 したがって、自由をよりよく伸ばすには、その伝統や制度をリフォームすべきであるのに、フランス革命の急進派は土台ごと壊してしまった。それでは、自由の実現どころか、自由を根っこから破壊するであろう。
 
 つまり、フランス革命とは、政治的伝統や慣習を根こそぎ壊し、新たに一から立て直す試みであるが、そういうことは不可能である。
 
【2】 保守の原則
  具体的な制度や慣習を保守する。
  そのような制度や慣習が歴史の中で培われたものであることを重視する。
  自由を維持することを大切にする。
  民主化を前提にしつつ、秩序ある漸進的改革を目指す。
 
 バークの保守主義とは、しっかりした現実認識に基づく大人の態度と言えるだろう。
これが最初に挙げた
②保守::現在を尊重しながら、過去と未来をそこそこ斟酌し、ゆっくりと前進する。
 の立場の保守主義である。
 
(4) 右翼
 しかし、片山杜秀氏は保守と右翼を区別している。
 左翼は理想を掲げて急進的改革を叫ぶのに対して、歴史上の過去に理想的モデルを見出し、現在の変革を叫ぶのを右翼と呼ぼうというわけである。
 まだきちんと研究していないが、ふつうの日本の右翼は確かにそういう側面があるなという感想はある。右翼は過去の日本はこうであり、今も本来はそうでなければならないから、過去に還るべきだと復古主義を叫んでいるのだと思う。
 保守とは復古主義ではなく、現在あるものを守ることであるから、たしかに復古主義とは区別した方が良いだろう。
 
(5) 近代認識
 フランス革命以降、過去や現在を無視して理想を現実化しようとする左翼に対抗してエドマンド・バークのような保守主義が出現した。そして近代以降の歴史は左翼と保守の対立を軸に動いてきたと考えている。それに対して右翼をどう位置づけるかはまだ分からない。右翼の歴史は近代以前からあるのではないかという気がする。
 
(6) 保守の世界史
 世界史上保守には三つの大きな課題があった。
【1】 フランス革命と闘う
これは主にバークの思想に基づく。
【2】 社会主義と闘う
  これは先ず伝統の意義を強調したTSエリオットがあげられる。
 それは著書「文化の定義のための覚書」と「伝統と個人の才能」が重要である。
 
② 次には、経済学者ハイエクがあげられる。ハイエクの極めて有名な本に「隷属への道」がある。社会主義に対抗する本である。
 
③ 最後にはオークショットである。彼は主に、権威や伝統、慣習を無視する「合理主義者」を批判している。彼の保守主義の思想が良く表れている本は「政治における合理主義」である。
 
【3】 大きな政府と闘う(アメリカの保守革命)
  政府の力に頼ることなく、自分と自分の家族のみで孤独に生きる人々の信念。
精神的バックにあるのはキリスト教。
 
  フリードマンの経済的リバタリアニズムとノージックの倫理的リバタリアニズムがある。
   政府の権力を抑圧して個人の自由を守るのがリベラリズムであるのに対して、リバタリアニズムというのは、「大きな政府」の下で個人の自由を実現することを意味する。
 
  共産主義やリベラリズムに幻滅したネオコン(新保守主義)
 
 アメリカの保守革命には上の三つの思想的流れがあった。
 
(7) 私の現代認識
 近代の理想を現実化していくという進歩の実感はもう終わりに近づいていて、歴史を前進させる近代のエンジンはもう働かなくなっている。それは物質的豊かさの飽和と自由の満喫で、もう時代が前進する余地がなくなっているからである。
 すると左翼による革命という発想も意味をなさなく成り、急進的改革に反対する保守も存在意義がなくなっている。したがって左翼と保守という思想の対立軸で政治が動く時代は終わりつつあると考えている。
 それで左翼と保守の対立を超えた歴史認識に基づいて新しい未来ビジョンを構築しないといけない。それが私の超近代文明構想である。それは私の遡源理論に基づく文明設計である。私は歴史の前進する方向を指し示しているつもりである。近代は終焉し超近代の幕開けが始まっている。
 
参考文献
「近代日本の右翼思想」(片山杜秀著、講談社選書メチエ)
「保守主義とは何か」(宇野重規著、中公新書

幸福のための戦略

幸福のための戦略
(1)はじめに
 幸福になるためには、「敵意に対して好意でもって応えること」、「憎しみに対して愛でもって応えること」という原則が言える。ほとんどの人はこの原則を不合理だと思うだろう。しかし、それが不合理に見えるのは、自分中心の見方から脱却できないからである。自分の立場を離れ、自己中であることを止め、客観的に見たら、この原則を貫くことによって幸福になるのは、当たり前なことに見えてくる。この原則は、極めて合理的な原則なのである。
 それは個人についても言えるし、国家間の関係にも当てはまる。これを説明しよう。
 
(2)不幸になるパターン
 先ずは人間個人のケースについて考えよう。
 人間は皆、何か目的を持ち成果を得ようと努力している。そうすると複数の個人間で利害が対立することがある。この場合、何も最初から他人を害しようとしているわけではなく、自分の利益を追求したら結果として、他人の利益を害することになってしまったのである。そうすると害された方は、害した方に反感を持つ。そこで、交渉して和解すればよいのだが、害した方がそうはせず、自分は正当だと突っぱねると、害された方は害した方に敵意や憎しみを持ち始める。そして、害された方が害した方に積極的に危害を加えることになる。そうするとさらに害した方が倍返しをして、そして逆に倍倍返しと応酬のくり返しになり、両者とも不幸になる。憎しみを動機で行動することほど、非生産的人生はない。
 
(3)幸福のための戦略
 そこで分かることは、どこかで敵意を克服しないといけないことが分かる。最初の段階で、寛容な姿勢を取ればよかったものを,狭量な姿勢を取ったために、対立が激しくなってしまっている。
 対立が酷くなった後での対策は、最初に言った通り「敵意に対して好意でもって応える。」あるいは「憎しみに対して愛でもって応える」しかない。そうしないとますます対立は激しくなる。
 そのためには先ず「自己保身から離れること」である。自己保身から離れるというのは、自分が破滅してよいと思うことではなく、自分の立場を離れて、自分を第三者の立場から見て、自分の幸福だけを追求するのではなく、みんなの幸福を追求する視点を持つことである。つまり自己中を離れて、みんなの立場から物事を観るのである。そうすると認識力が高まり、客観的・合理的に考えきれるようになる。
 この立場から見ると、自分が多少相手から危害を加えられたとしても、だからといって倍返しするのではなく、それでも相手と和解し、協力関係を結んだ方が幸福になれるということは一目瞭然である。そういう意味で最初に挙げた原則は極めて合理的なのである。
 
(4)国家間の場合
 今言った、人間関係のパターンは国家間の関係の場合も当てはまる。国家同士が、互いに危害を加えることを意図しなくとも利害が対立し、それが双方の憎悪にまで発展していって、国際紛争が生じるのである。
 だから、国家も自国の保身ばかりを考えると、対立は解消せず、対立はますます大きくなっていく。したがって、自国は世界の平和を願っているのだと主張して、自国が安定して繁栄してから、他国に奉仕しようと考えていても、そのためには自国を害する相手から守るために、その国との対立は無くならない。自国が繁栄してから世界平和に貢献すると言っていては、いつまでも国家間の対立は無くならないので、世界平和どころの話ではない。そうではなく、自国を守ってから、他国に奉仕するのではなく、自国が危機であっても他国へと奉仕しなければならない、そうすると、他国は感銘を受け、自国を助けてくれるだろう。そうすると、自国も安定して繁栄する。そして自国と対立する国家に対しても、敵意・憎しみを持つのではなく、協力関係を結ぼうと好意と愛でもって応えなければならない。そうすると相手国も敵意と憎しみを解消するだろう。
 
(5)北朝鮮と中国に対して取るべき姿勢
 結論から言えば北朝鮮と中国の挑発に対しても敵意や憎しみを持つべきではなく、好意と愛でも応えないといけないということである。北朝鮮は被害妄想国家なので、武力紛争になる可能性もあるが、それでも武力紛争を憎しみでもって相手をするのではなく、和解し協力関係を結ぶことを目的として行わなければならない。中国は北朝鮮に比べるとまだ理性的国家であるので、多少危害を加えられても地球の運命共同体として協力を結ぶしか、日本の進む道はない。
 
(5)幸福のための視点
 要は自己保身を離れ、客観的に合理的に物事を観る視点を確保することである。

政治の議論の方法

政治の議論の方法
(1)はじめに
 政治の議論をまともにできない人があまりにも多いので、呆れている、単なる独断の主張の言い合いになっているように思う。
 何が良いのか悪いのかというのは、それが目的の実現の手段としてふさわしいのかどうかで決まるという、基本的なことが分かっていない。
 議論のスタート点に立つのは、「目的の共有」であり、そこからその手段が適切かどうかの議論ができるようになるのである。それはあまりにも当たり前な基本的なことである。
 その視点から右翼と左翼の主張と戦争理論を検討してみよう。
 
(2)左翼の基地撤去の平和主義
 左翼の「基地を無くせば平和になる」というのは、明らかに目的は「平和」であり、「戦争をしないこと」であろう。しかし、平和であれば基地は必要ないが、基地が無ければ平和になるというのは、明らかに間違いであるのは、少し考えれば分かることである。
国際政治理論を少し勉強すれば「均衡理論」という、戦争抑止理論があることは分かると思う。軍事バランスが崩れれば、つまり、軍事力がある側が一方的に強大になり、他方は軍事力が小さければ、戦争は起きやすいのである。家に鍵を掛けなければ、空き巣をしても捕まらない可能性が高いので、空き巣を誘引して、空き巣が生じやすいのと同じである。つまり、軍事的弱小国があれば、軍事的に強大な国家は戦争して必ず勝て、その国を奴隷国家にできて搾取できるとなると、軍事侵略を誘引するだろう。
基地を本気でなくそうとするならば、それは世界同時にしなければならないだろう。日本だけ基地を無くして平和というのは不可能である。反戦平和を主張するなら、世界中に主張しないといけない。基地を無くすとするならば、日本だけでなく、世界中に主張しないといけないだろう。
 
(3)右翼の軍拡の主張
 右翼の軍拡の目的は察するに、日本の国防であり、日本のことだけを考えているのであり、世界平和は目的ではないのだろう。右翼は日本さえよければよく、世界全体のことはどうでも良いのだろう。世界が戦争だらけになっても構わないというのだろう。
たとえ日本が軍拡したとして、そうすると周辺の国家も、日本による侵略を恐れて、軍拡するだろう。つまり、軍拡競争が始まるのである。すると、国家同士は疑心暗鬼になって、不信が蔓延するだろう。一色触発の戦争の危機に陥るだろう。つまり、軍拡したら戦争を防げるというのは、それも確実ではないのである。かえって軍拡競争になって、悲惨な戦争を誘引する可能性もあるのである。その上、右翼は世界の平和の実現を無視して、日本のことだけを考えていて、国家エゴむき出しである。各国が自国のことだけを考えて、国家エゴが出てくるところに、国際紛争の種があるのである。
 そもそも、もはや世界は経済的に一体化してきており、日本だけの平和というのはありえないのである。たとえ中国が嫌いだからと言って、中国と絶縁してやっていけるかというと、そうはいかなないのである。日中の経済関係は非常に密なのである。
 
(4)右翼の天皇崇敬
 右翼の天皇崇敬の主張は、どうもそれ自体が絶対目的の感じがする。しかし、これだと、右翼意外とは議論ができないだろう。目的を国民の幸福として、天皇を崇敬すれば、どういうメカニズムで国民が幸福になるかを論証するならば、左翼とも議論可能になるだろう。左翼は共産主義になれば、国民が幸福になると主張しているのだと思うが、それも論証に欠陥があると思う。
 ともかく右翼も左翼も手段を絶対目的にするから議論ができなくなるのである。
 
(5)戦争理論
人間個人の場合のも、被害妄想気味の人がいて、他人を見れば悪意ばっかりを察知し、それに対して構え、他人と敵対ばかりする人がいる。そして他人から被害を被る前に、自分を守るためにと他人を攻撃してトラブルが発生する。そういうトラブルメーカーがいる。 
国家の場合も同じで、被害妄想気味の国家があって、他国の敵意ばかりを察知して、それに対して国防をするだけでなく、他国が自国を侵略すると思い込んで、その前に先制攻撃をする。このようにして戦争は起こるのである。
したがって、国際政治の最大の課題は戦争抑制理論を構築することである。戦争はなぜ起こるのか、どうやったら戦争を抑制できるかの理論である。
 通常は主観的にはどの国も自国は正しく、相手国が悪いと思っているのであるが、先述べたように、被害妄想気味の国家があって、戦争の原因は常識的に考えれば相互不信、あるいは被害妄想に陥っていることである。現在の北朝鮮も被害妄想気味の国家であって、北朝鮮にとって主観的にはアメリカが北朝鮮を崩壊させようと策略しているのであり、それに対する唯一の解決策が核兵器の保持なのであろう。北朝鮮の核兵器保持は、北朝鮮にとっては防衛なのであろう。
 戦争を抑制するには、相互不信や、被害妄想をどうやったらなくせるかを考えないといけない。
 
(5)政治・経済の議論のために
 政治の議論のためには、おそらく最終目的は人類の構成員一人一人の幸福ということで一致すると思う。自国だけの幸福とか、私個人だけの幸福を主張するのは、公平でないので、エゴイストとして排斥されるべきである。
 しかし、幸福の定義がなかなか一致しないのである。したがって、政治問題でまず議論すべきは幸福の定義である。経済成長はもはや幸福の絶対的定義にはならない時代に突入している。幸福の定義を考察しなおす時代に来ている。
 幸福の定義を共有し合えたら、その実現方法の議論ができるようになる。つまり、幸福の定義が共有し合えたならば、その目的の実現のためにはどういう手段が適切かどうかが議論できるようになる。政治・経済の議論とはそれを議論することである。

中国対策の方法(案)

中国対策の方法(案)
(1)はじめに
 中国が尖閣諸島の領海侵犯を繰り返し、沖縄は本来中国であるとか主張しているので、厄介な問題だと思っている。しかし、力に対して力で応じるという条件反射的応答は良くないと思っているので、深く考えた結果の結論である、武力に対しては精神的優位性で応答するという「中国対策方法(案)」を報告しよう。
 
(2)民族性の違いを知る
 私は3年前までは人間の行動原理は民族性より個人の個性の方が大きく影響を与えているものだと思っていた。しかし、それは間違いであり、人間の行動原理は民族性が大きくものをいうのではないかと考えるようになった。
 今まで調べた結果、民族性としては、日本人が平和民族であり、ヨーロッパ人、インド人、イラン人などのアーリア系民族は獰猛な戦争民族であり、中国人は利己的民族であることがわかった。それらを報告している記事を紹介しよう。
 
日本人については「縄文文明について」
 日本人の精神的源流は縄文人であり、彼らは1万年間戦争をしなかった平和民族であり、その血は現代まで流れていて、日本人の平和を願う精神となっている。
 
アーリア人については「獰猛なアーリア人」
 近代の白人による世界の植民地化は、世界史で大航海時代と表現されているが、それは世界侵略時代と言った方が正確である。白人による黒人奴隷化やネイティブアメリカン(インディアン)殺戮や日本への原爆投下は獰猛で好戦的なアーリア人の血のなせる業であろう。
 
中国人については「中国人の行動原理とその由来」
 
 中国人とうまく付き合うには中国人の民族性を理解する必要がある。同じ漢字を読め、漢文で親しんでいるから、日本人と近い民族性を持っていると勘違いしやすいが、それは大きな間違いであり、日本人と中国人は民族性が全く違っているので、行動原理が全く異なるのである。先ずはこれを肝に銘じておかなければならない。

(3)武力に対して精神性で応答する
 中国が尖閣諸島を領海侵犯したり、沖縄は中国に属すると主張したりして、中国は厄介な国だなと感じている。しかし、武力に対して武力のみで応対するのは、条件反射的応答であり、全く合理的ではない。暴力のみで自分の思い通りに物事を動かそうとするのは非効率的である。人間社会でも暴力で世界を自分の思い通りに動かそうとしているのは暴力団と警察と軍隊ぐらいである。
現実社会は何で支配されているのかというと、それは金であろう。それでも、それは理想ではなく、理想は精神的高貴性による感服による支配である。精神的にこの人には適わないなと感服させることによって人を動かす方法である。これが支配の理想的方法である。
そういう方法で日本が中国を動かすのが理想だと思う。つまり、中国人に日本人の圧倒的精神性の高さを誇示して中国人を感服させることによって、中国人の日本侵略の意図を挫くという方法である。
ともかく中国が武力で日本を刺激してきたことに対して丸腰になるというのは当然ダメで、防衛はきちんとしておかなければならないが、しかし武力だけでなんとかしようとしてもダメで日本が中国に対して精神的圧倒的優位さを誇示して感服させるというのが最も平和的で理想的方法だと考える。
 
(4)中国の政治家の利己心を見抜く
 中国についての過去記事で説明したように、中国人は家を出たら皆敵であるという感覚で生きており、それ故に自己を守ることに汲々としており、必然的に利己的にならざるを得ない。人のためと思って行動したら付け込まれるからである。それを政治家に当てはめてみれば、中国の政治家も中国のためという正義感によるのではなく、他の政治家は皆敵であり、政治の動機も利己心であると推測される。つまり、中国の政治家は中国全体のためを思って政治をしているのではなく、利己心で政治的判断をしていると推測される。
 無私な人を操るのは難しいことなのであるが、利己的な人はエサを見せればくらいついてくるので操作しやすい。それで、もし中国の政治家の利己心を見抜けば中国の政治への工作が可能となるだろう。問題はこの中国の政治家がどういう欲望を持っているかという利己心の情報を集めることであるが、中国語が分かる人が居れば、何とかインターネットで情報を集めることはできないだろうかと考えている。
 こういう方法で中国の日本侵略の意図を妨げ、日本と友好的政治家の発言力を高める工作はできないものかと思っている。
 
(5)民間企業による中国人の精神教育
 今日姉から聞いた話であるが、クロネコヤマトが中国に進出し、中国人にサービス精神の教育をしたらしい。中国の商売人にはサービス精神というものが無いので、指定された時刻に宅配便を配達するというサービス精神を教育するのは大変であったろうと推測される。
 日本人には中国人にない精神性があり、それを中国に進出した民間企業が社員教育として中国人にその精神を教えるというのは、非常に理想的で素晴らしいことだと思う。というのは、かねがね日本人は中国人を教育する使命があると思っていたのだが、それは中国人を教育するボランティアを募ったりするのか、それとも日本の政治が中国に進出して、政治主導で中国人を教育すべきかと思案していたのである。中国に進出した民間企業が、中国人に日本の精神を伝授するというのはうまいアイデアである。
 それで中国人の教育のノウハウを蓄積して日本人全体の財産となるように公開されると便利であろう。そういう方向で考えていきたい。
 
(6)日本精神の諸相
 日本人は日本的精神である素晴らしい日本精神を共有しているのであるが、それはまだ十分自覚的なものとなっていない。明治以降西洋の学問を輸入して丸呑みしているのであるが、西洋の学問では日本精神は十分に把握することができない。日本で学ぶ学問というものが全体的に西洋的ものの見方に引っ張られていて、私も頭を切り替え中であるが、西洋産の学問では十分に日本人の精神的あり方を捉えることはできない。
 今私がはっきりと認識している日本精神には「平和主義」と「和の精神」と「自然との共生」それと「武士道」がある。
「平和主義」と「自然との共生」は縄文文明由来の精神である。平和主義の精神は左翼活動に流れ込んでいて、軍事基地をなくせば平和になるという大衆の願望となっている。自分が攻めなければ相手は攻めてこないという発想は1万年間戦争をしなかった平和民族である縄文人の血のなせる業であろう。平和主義は感情としては正しいのであるが、平和の実現のためにはさらに前進して合理的に考えなければならない。
自然との共生の精神は、自然科学で自然を征服するという西欧的発想に対抗する精神である。この精神は、現代の資本主義が環境破壊を止められないのをどう乗り越えるかという、これから来る超近代文明の精神的原理として非常に大切な精神である。
日本を守るために自分の命を捨てるという右翼的精神は日本精神である「武士道」によるものであろう。右翼的発想は無私になって国のために命を捨てようとするのであるが、これも平和の実現のためには一歩前進して合理的に方法を考えなくてはならない。
西洋的価値観は争い事があった場合誰が正しくて誰が間違っているかというのを論理的に突き詰めてはっきりさせることに価値を置くが、日本的価値観ではそうではなく、争い事そのものを嫌うのである。そういうあいまい性を日本人の欠点とみなす知識人は多いが、社会を平和に保つにはこの日本的「和の精神」が有効なのである。
 
(7)日本精神普及のために
 先も言ったように、日本精神はまだきちんと学問的に解明されていない。日本精神の特徴として先に述べたものに加えて「論理よりも直観重視」というものがある。古代ギリシャはアリストテレスに代表されるように論理性を重視している。しかし、西洋的論理では日本精神の直観性は認識できないのである。しかし、日本精神が直観的だからと言っても論理性がないと明確に共有しているかどうかが認識できないし、西洋に対して日本精神とはこういうものであると紹介・普及ができない。そこでなすべきは日本精神を論理的に捉えることである。日本精神の論理学を構築することである。これが必要である。
 
(8)結論
 これから中国をはじめ日本精神を諸外国に輸出しなければならないが、そのためには日本人が日本精神のすばらしさに気付き、自覚し、そしてそれを発掘し育てることと、直観的日本精神を論理化し、外国人にも理解できるようにすることが必要である。
 そのために頑張っていきたい。
左翼の非合理性と右翼の非合理性
(1)   はじめに
 私には左翼も右翼も現実に沿って物事を考えているのではなく、現実を無視して教条的に政策を主張しているように感じられる。左翼の非武装にしても右翼の天皇崇敬にしても、そうするならばどのようなメカニズムで国民が幸福になるかの考察が欠けている。
 私がその点を指摘しても、自分が間違っていると気づかない左翼・右翼がいるようなので、正しい思考方法を説明したうえで、左翼・右翼の考察の不十分性を指摘しよう。
 
(2)   正しい思考方法 
 正しく思考するためには、先ず目的を明確にすべきである。それができていないから、非武装自体が目的になったり、天皇崇敬自体が目的になったりするという教条的態度が出てくる。
 第二に目的と手段、原因と結果のプロセスを把握することである。これは例えば非武装をしたらどういう結果になるか、天皇崇敬を強制したらどうなるか、本当に国民全体が幸福になるかどうか、客観的に吟味すべきである。
 ごく当たり前のことを主張したが、しかし、どうも政治の世界ではこのごく当たり前のことができていないようである。
 
(3)   左翼の発想
 左翼、特に日本共産党は、第二次世界大戦の日本は侵略国家だったから、それが悪かったことを認識し、謝罪すべきという立場であるようである。それは幾分は事実であろう。しかし、第二次世界大戦は欧米列強によるアジア支配に対する戦争であったように思う。アジアで独立国家を維持できていたのは日本とタイだけである。タイは緩衝地帯だったので自立的に独立国家だったのは日本だけである。世界を不幸にした元凶は世界植民地化を意志した欧米列強であり、日本が謝罪しないで良いとは言わないが、日本よりも謝罪すべきはイギリス、フランス、オランダ、アメリカ、ソ連などである。
 確かに戦争は人を不幸にするので、第二次世界大戦の日本が全然悪くないとは主張できないが、それでも日本共産党は「日本だけが悪い」ような主張をするので、私の気分は良くない。例えば、イギリスが世界中を植民地化した、極悪非道の国家であることも同時に主張すべきであろう。
 日本共産党の目的は恐らく世界から戦争をなくすことなのであろう。しかし、そのためにはいかなる戦争でも日本が悪いから日本だけが謝っても、日本だけがいじめられて世界平和の目的に向けては進まない。いかなる戦争も悪いという思想を広めてから、戦争をした国家が全て謝るという方向にもっていかないと、世界から戦争をなくすことはできない。つまり、日本共産党は、日本が行ったどんな戦争も悪いという感情は良いのだが、世界から戦争をなくすという目的実現のための正しい手段選択にはなっていないのである。戦争を世界中からなくすためには、いかなる戦争も悪であるという思想を世界中に広めていかなければならないのであり、日本だけがその考えを持ち謝っても、その目的は実現できないのである。
 日本共産党はそれと、非武装を主張している。日本共産党は日米安保を破棄した後、自衛隊を段階的に解消するのが政策らしい。良く戦争の悲惨さを写真や映像で鑑賞して、平和の尊さを学ぶ平和学習というものが奨励されているが、平和の尊さを学んで平和を維持したいという感情を抱き、それを目的とするのは確かに正しいことだと思う。しかし、非武装さえすれば平和が実現できるというのはおかしな非現実的発想であろう。平和の維持というのはとても難しいのであり、軍備を全廃すれば平和が実現できるという安易なものではないだろう。そこらへんは左翼の非合理性である。
 
(4)   右翼の発想
 右翼は何より国防を主張し、軍備拡張を唱える。「外国がせめて来たらどうするか、軍備を持たなければだめだ」という。そして「平和」という言葉を見下す。中には、軍事力を強大化して、諸外国を従わそうと思っている人も右翼にはいるようである。右翼には好戦的な人もいるようである。日本の軍備は善であり中国の軍備は悪であるという安直な発想をしている人もいる。
 ともかく、「非武装では諸外国から攻撃される可能性があるので、軍備を持たなければならない。軍備は平和の実現のためにある」という点を押さえて、それを精神の主柱に据えなければならない。
そして右翼は世界から軍隊が無くなることはないと言って理想主義を馬鹿にするが、理想を抱くことそれ自体は好ましいことであると私は思っている。理想主義が良くないというのは、理想を抱くがその実現のための手段が現実無視の選択になったときである。理想を抱き、現実を直視し、理想に向けて着実に一歩一歩歩むときはどこもおかしくない。だから、世界から軍隊が無くなるのを理想として抱き、現実を直視しその実現に向けて着実に進もうとするのは良いことである。
 次に右翼は天皇崇敬を奨励するが、天皇を崇敬すること自体が目的になり、国民の幸福が目的になっていないのではないかと感じる。天皇崇敬のメリットは、国民が我執を克服し、自我を普遍化し、自分のためだけではなく、他の国民のための努力を可能にすることにあると思う。しかし、以前の戦争の時は国民の個性を尊重した自己実現は抑圧されていたように思う。本当は国民が自分の個性にあった形で、自己を発見し、それに沿って自我を普遍化し他の国民の幸福に貢献するように自己実現することが理想である。
 右翼は「愛国心」というと即座に「国防」を連想するようだが、「国防」だけが愛国心でもなければ、国民の幸福への貢献でもない。科学の進歩への貢献もあれば文学的創造もあり、芸術の発展への寄与も、学問の発展への寄与もある。それはさまざまである。そういう方向への国民の貢献を促進するように天皇崇敬が働けば良いと思う。
 ともかく右翼には、天皇を崇敬すればどのように国民が幸福になるかのメカニズムの考察が欠けている。
 
(5)   私の主張
 左翼は平和のためには非武装にすればよい、右翼は武装すべきとか天皇崇敬を主張するが、両者とも国民の幸福の実現の現実的プロセスの考察が欠け、教条的になっている。現実に国民を幸福にするためには、国民の幸福という目的を明確に把握し、その実現のプロセスまでをきちんと考察して、国民の幸福の実現方法を主張しなければならない。それは確かに難しい課題なのだが、目的達成のためには、目的を明確に把握し、目的実現のプロセスも把握すべきという、ごく当たり前のことを主張しているにすぎない。

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