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本質的矛盾の解消と派生的矛盾の解消
(1) はじめに
矛盾の解消には、それ自体が目的となっている場合と、それ自体は他の矛盾の解消のための手段となっている場合がある。手段としての矛盾の解消の場合はその目的が上昇していく場合と下降していく場合がある。上昇していく目的とは、その目的としての矛盾を解消することによって、他の多くの矛盾の解消が可能となる場合である。多くの矛盾の解消を可能にする矛盾の解消を「本質的矛盾の解消」と呼ぶ。目的が下降していくとは、本質的矛盾を解消することによって可能となった下位の矛盾を解消していくことである。これを「派生的矛盾の解消」と呼ぶ。
人生の目的としてふさわしい矛盾の解消は、本質的矛盾の解消である。
(2) それ自体が目的の矛盾の解消
食べるということは、確かに生き続けるために必要なことであり、生きるために食べていると考えられるかもしれないが、しかし現代の多くの人にとってはおいしいものを食べて快感を味わうこと自体が目的になっている。空腹状態としての矛盾を解消して満腹感を味わうことはそれ自体が目的と言えるだろう。
また名誉欲もそれ自体が究極目的になっている人も多いかもしれない。何のために名誉を得るかという目的は無く、それ自体が究極目的になっているのである。
金銭欲も多くの人にとっては究極目的になっているかもしれない。
しかし、過去記事で何度も説明しているように名誉欲や金瀬欲を満足させることは人生の第一目的にするにはふさわしくない。人生事業の目的にふさわしいのは本質的矛盾の解消である。これについてはあとで説明する。
(3) 手段としての矛盾の解消
例えば高校入試のために勉強をするのは、高校に合格するのが目的であり、勉強はその手段であると言える。高校に合格するのも矛盾の解消であるが、勉強して知識を得るのも矛盾の解消である。知識を得るという矛盾の解消はそれ自体は手段であり、高校合格が目的としての矛盾の解消である。人生はこのように目的―手段という体系をなしている。こういう矛盾の解消の体系になっている。
スポーツも同様である。練習して技をマスターすること自体も一つの矛盾の解消であるが、それは試合に勝って自分の優越性を感じるという目的のための手段である。
(4) 過程を楽しむ
現状の行為がある目的のための手段である場合、気持ちが目的の実現の方に傾き、手段としての行為に気持ちが向いていない場合、はっきり言って不幸である。現状の行為を楽しんでいないからである。
高校に合格するために勉強するという意識のあり方ではなく、勉強自体に興味をもって、受験勉強を楽しんだ方が幸福であるし勉強もはかどるのである。
科学者にとってノーベル賞を受賞するのは夢であるが、ノーベル賞をもらうのが目的となり、研究が手段となり、研究よりもノーベル賞に気が向いた場合、研究自体に興味が無くなるので一流の研究成果を上げることは不可能となって、結局ノーベル賞受賞するだけの成果を上げることはできなくなるだろう。研究自体を楽しんだ方が幸福であるし、またその方が優れた研究成果を上げることができる。
(5) 本質的矛盾の解消と派生的矛盾の解消
本質的矛盾の解消と派生的矛盾の解消の例として分かりやすいのは科学における発見・発明である。例えば1920年代に構築された量子力学はその理論があることによってレーザーの発明の指針になったし、トランジスタの発明にも役立った。量子力学は現代のエレクトロニクスにとって不可欠の知識である。今、目の前にあるパソコンやスマートフォンには情報処理のための半導体集積回路が多数詰まっているが、半導体技術は電子の運動を計算できる量子力学があって、初めて可能になったのである。
先ずトップの本質的矛盾の解消は量子力学の構築であり、その下位に来る派生的矛盾の解消はレーザーやエレクトロニクス主に半導体集積回路の技術であるが、さらにその下位にパソコンやスマートフォンの発明があり、さらにこの下位に来るのが、ソフトビジネスであり、そのさらに下位に来て、これらを使って応用されているのがインターネットビジネスである。
量子力学の構築という本質的矛盾の解消が、現代の科学技術における多量の派生的矛盾の解消を実現して現代科学文明を実現しているのである。
今は本質的矛盾の解消から派生的矛盾の解消へと降りていくのを説明したが、逆に下位の矛盾の解消から本質的矛盾の解消へと昇っていく過程もある。量子力学といえどもいきなり出現したものではなく、ニュートンに始まる古典力学から一段一段上ってきて実現したものなのである。
ガリレイ、ケプラー、ニュートンらによって構築された古典力学から出発し、これが一段一段発展し、そして20世紀の初頭に科学革命がおき、量子力学が構築され、その応用として、エレクトロニクスが花開き、現代のコンピュータの時代が展開しているのである。古典力学から量子力学への上昇が、本質的矛盾の解消へ至る過程であり、量子力学からエレクトロニクスへの応用へ至る過程が、派生的矛盾の解消である。
(6) 人生の目的にふさわしい目的
人生事業の目的には食欲を満足するという、それ自体が目的でそれで終わりというものはふさわしくなく、その矛盾を解消することによって、多くの矛盾の解消が可能となる本質的矛盾の解消がふさわしい。量子力学の発見という文明を左右するハイレベルのものではなくとも、ある程度多くの矛盾の解消を可能にする本質的矛盾の解消を目的とするのがふさわしい。そうすることによってユートピアが建設できるからである。
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矛盾理論
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矛盾の解消と快感
(1) はじめに
私は精神の活動を矛盾の生成と矛盾の解消であるととらえている。そして、矛盾の解消のときは快感を感じるのである。快感には多様なものがあり、性欲や食欲のような低次の快感もあれば、芸術の対象に感じる美感という快感もあれば、思考によって「分かる」という知的快感もある。多様な快感を少し整理してとらえてみたい。
(2) 性欲
人間が生きるときに得られる快感の代表は性欲と言えるだろう。しかし、性欲を分析してみると、低次な動物的欲望から高次な精神的欲望まで段階があることが分かる。低次な動物的欲望とは相手の人格を無視した性欲の場合である。肉体的快楽を追求する場合である。そういう場合は動物的快楽しか得られない。精神的快楽は得られない。性欲は動物的側面のみならず、精神的側面も含んでいる。精神的快楽を追求する性欲とは、相手の全人格との合一を目指す性欲である。肉体的合一のみならず、精神的合一も目指すのである。精神的交流も矛盾の解消であり、したがって快感である。
(3) 食欲
食欲の満足も快感である。腹が減って苦痛であるという矛盾のある状態から、何かを食べて満足感を得たときは矛盾の解消である。
本来生物的には生命活動を維持するために食べるという欲求があったのであるが、現在は必要以上に食べて、肥満という矛盾状態が発生している。しかも、栄養を摂取するために食べるのみでなく、どこまでもおいしさを追求するというグルメの時代に突入している。人間が何をおいしく感じるかは何で決まるかは分からないのだが、かなり本能からずれたおいしさを追求しているように思われる。
(4) 音楽・絵画
人間はどうも、他の動物と違って、歌を歌ったり、絵を描いたりすることに快感を感じる本能があるようである。それは幼稚園児のときから歌や遊戯、絵画を好んで行っていることから、そう思える。
歌を歌う本能が人間にあるようである。そして、歌を聴いたり、自分で歌うことに快感を感じている。これが高まっていくと、自分の感情にフィットする曲を作曲することに満足感を感じる人が出てくる。そういう人たちが作曲家になるのだろう。
ほとんどの子供は絵を描きたがる。人の顔を描いたり、動物を描いたり、花を描いたりして満足している。
歌を聴いたり歌ったりするのも矛盾の解消であり、絵を描くのも矛盾の解消である。そのとき美感という快感を感じる。
(5) 数学
私は子供のときから音楽や絵画よりは数や幾何に快感を感じていた。三角形や四角形や五角形に興味を持ち、そういう形の積み木で遊ぶのが好きであり、そういう図を描くのにも快楽を感じていた。数を数えるのも大好きで、階段を見れば何段あるかを数えていた。人間には数を数える本能や図形を考える本能があるのではないかと思っている。
(6) スポーツ
スポーツを真面目にやるのには、苦痛に耐える忍耐力と単純なトレーニングを繰り返す忍耐力が必要である。数年も努力すれば、初めには想像しがたかった高度な技を容易にできるようになる。頭で描いた通りの動作ができるようになるという快感を得られるようになる。努力の達成感というものが最大の報酬である。スポーツをすると、地道に努力して何らかの能力を得るという価値のある経験を得ることができる。
(7) 論理
学問というのは論理にのっとって構築されるのであるが、それは論理的思考によって実現される。論理的に思考する欲求というのが人間にあって、思考のときも快感を伴う。それは食欲や性欲とは違って、スポーツの快楽に似ていて、苦痛に耐えて得られる充実した快楽である。スポーツに似ているもう一つの点は努力して鍛錬すると能力が向上していくことである。能力が向上していくと、最初は困難であった行為が容易にできるようになるという、能力向上の快感が得られる。思考における能力向上の可能性はスポーツよりも大きい。走る速さの個人差はせいぜい数倍であるが、思考能力の個人差は百倍以上あると思う。もっとあるかもしれない。
(8) 科学技術
頭の中で何か目的を持ち、それがそう簡単に実現できないとき、科学の知識を応用して発明ということがなされる。何か頭の中で思うがすぐには実現できないというときが矛盾の状態であり、発明によって思ったことが容易に実現できるようになるというのは矛盾の解消である。発明は科学者としての矛盾の解消であるが、一般大衆はそれを製品として購入することによって矛盾を解消する。何か発明すること自体は快感であるが、その製品で思ったことを容易に実現できることも快感である。
(9) コミュニケーション
自分が思っていることを誰にも理解されないときは、孤独という矛盾状態であり、他人に自分の思っていることを理解されるというのは矛盾の解消であり快感である。しかし、人間はそう簡単に理解し合えないというのも事実である。
自分が他人に理解されないときは、人に自分を理解してほしいと要求するよりも、先ず自分が他人の思っていることと同じことを思えるようにして、他人を理解できるようにするトレーニングをした方がコミュニケーションはうまくいく。他人に自分を理解させるよりも自分が他人を理解する方が容易であるからである。
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内的矛盾の解消と外的矛盾の解消
(1) はじめに
人間の全ての精神活動は矛盾の解消なのであるが、宗教や心理学は主に内的矛盾の解消を目指しており科学や経済学は主に外的矛盾の解消を目指している。そして価値観の対立の大枠は内的矛盾の解消を優先するか、外的矛盾の解消を優先するかで生じている。そして、近代的価値観は外的矛盾の解消を優先することで出来上がっており、これから近代文明が崩壊して、その後に来る超近代文明は内的矛盾の解消を再評価し、いったん内的矛盾の解消を目指した後、それによってさらなる外的矛盾の解消に達することを目指す文明であると私は認識している。
(2) 外的矛盾の解消
人間は生きている限り何らかの欲求や目的を持つ。これが実現していないときが「矛盾状態」といい、欲求が満足されたり目的が実現したりするのを矛盾の解消という。例えば、夏の暑くて不愉快であるという状態は矛盾状態であり。エアコンをつけて、涼しくなり快適になった状態は「矛盾の解消」である。暑いという矛盾の解消を達成するのには、物理的知識を用いて、空気の温度を下げるという矛盾解消の科学的実現と、エアコンを購入するために金が必要であるという経済的矛盾の解消が必要である。
近代文明はこのように、科学的矛盾の解消と経済的矛盾の解消がリンクして、外的矛盾の解消を極度に実現した文明である。近代の科学と経済のリンクというのは、画期的科学的発明により、商品が大量に売れ、それによって資本が蓄積され、この資本が科学技術的発明の研究開発費用となり、それによって発明が促進され、その商品が売れることによってさらに資本が蓄積されるというリンクである。ここ200年は科学と経済がリンクし経済の発展と科学の進歩が加速してきているのである。
しかし、私はこの近代の前進はもう飽和し、限界にきているのではないかと思っている。
(3) 内的矛盾の解消
内的矛盾の解消というのは、一言で言えば自分の本当の欲求を自覚し、意志がひとつにまとまっていくということである。現代は通常は外的矛盾の解消を目指して生きるのが普通であり、本当の自分のしたいことの発見というのはあまり意図的にはなされていない。それは余計なことであり、自分の欲求を抑えてでも経済的豊かさを目指すという外的矛盾の解消を目的として生きるのが正しいと思われている。心が屈折するまで我慢してでも、金儲けを優先するのは正しい忍耐だと思われている。忍耐して仕事に没頭するのが正しい生き方だと思われている。
しかし、近代の資本主義は分業で成り立っており、仕事というのは狭い範囲の精神の機能しか用いないので、仕事に専念すると心に偏りが生じてしまう。したがって、仕事に専念するのは、精神衛生上は良くないのである。仕事に用いる機能以外の精神の機能は余暇で発揮した方が良いのである。この心のゆがみを直すのが心理学や精神分析の役割であろう。
自分の本当にしたいことの発見を私は「自己発見」と呼んでいるが、それがある程度深くなれば「これが私の人生の目的である」という「人生の目的」の発見になる。これはエリクソンの言う、アイデンティティーの確立であり。ユングの言う個性化の過程であろう。
宗教はと言えば、最初の段階はエゴを克服して他人を思いやるという自我の普遍化の機能を果たす。エゴに従う自分は本当の自分ではなく、他人を思いやる普遍化した自己が本当の自己であり、そういう意味で宗教は自己発見を促している。自我の普遍化の過程は「自分のため」がより広い「みんなのため」と一致していく過程であるが、それは「自分のため」が「家族のため」「会社のため」「日本のため」「人類のため」と一致していく過程である。するとある段階で自己認識が個人の範囲を超え「神の意志」あるいは「宇宙の意志」とでもいえるような存在と一致してくる。宇宙の意志との合一は内的矛盾の解消の極致である。これが究極の自己発見である。この自己発見を促すのが本来の宗教の役割ではないかと思っている。宇宙の意志と合一することによって、自分自身が宇宙に深く根差した存在であると感じる不動の自信が出てくる。そして自我も高度に普遍化し「自分のため」は「宇宙の進化のため」と合致する。
(4) グローバリズムの評価
内的矛盾の解消と外的矛盾の解消があるという視点から、グローバリズムを見ると、それは内的矛盾の解消を無視して、外的矛盾の解消を優先した価値観であることがわかる。つまり、経済的豊かさを優先して、精神的・文化的豊かさを軽視した価値観である。人間の生物的機能は人類共通であり、それによって人類共通な利便性を実現する経済的豊かさを得るのを優先して、民族の伝統文化は軽視され破壊されかねない価値観である。世界中どこに行っても同じ製品があるという文化の画一化に至ってしまうのがグローバリズムである。
グローバリズムに賛成する人は、外的矛盾の解消を優先する人、つまり経済的豊かさを優先する価値観の持ち主であり、反対する人というのは民族の伝統文化を重視する人、つまり内的矛盾の解消を優先する人である。
私はグローバリズムというのは近代的価値観の先鋭化したものであり、この価値観で近代を推し進めていくのはもう限界にきているのではないか、グローバリズムがこれ以上進展すると、民族の個性を軽視し破壊して、精神的貧困に至るのではないかと思っている。グローバリズムをこれ以上推し進めると民族固有のアイデンティティーは破壊されてしまう。
(5) 内的矛盾の解消と外的矛盾の解消の相互作用
先ずは、原始時代から考えてみよう。先ずは、食料を確保するだけで精一杯である。しかし、ある段階で石器を発明している。その発明する思考を可能にするためには、安定した食料の確保が必要であっただろう。つまり、石器の発明という外的矛盾の解消のためには思考する余裕を持つだけの内的矛盾が解消されておかなければならず、この内的矛盾の解消のためには食料の確保という外的矛盾が解消されておかなければならない。つまり、食料を確保するという外的矛盾が解消されて、その結果思考するための安定した内的矛盾が解消され、その結果石器を発明するという外的矛盾が解消された。すると石器の発明によってさらに外的矛盾の解消が促進され、その結果さらなる内的矛盾が解消されることになる。
(6) 近代から超近代へ
近代という時代は科学と経済の時代と表現され、両者が相互作用しつつ外的矛盾をどんどん解消していった時代と言えるだろう。しかし、さらなる外的矛盾の解消のためには一層の内的矛盾の解消を達成しないといけないだろう。人間が本来の人間とは何かを深く発見しない限り、これ以上外的矛盾の解消は達成できない。
近代文明が解決できないでいる外的矛盾は先ずが環境問題がある。自然破壊をどう食い止めるか、そのためには人類が人間をさらに深く発見する必要がある。もう一つは核兵器をどう全廃するか、軍拡競争をどう止めるか、戦争をどうなくすか、軍事力をどう全廃するかである。この二つの外的矛盾の解消のためには、人類がもっと深く内的矛盾を解消し自己を深く発見する必要がある。
そして近代は先進国は豊かになったが、発展途上国との貧富の差はどんどん開いている。発展途上国の貧困をどうなくすかは経済学の一つの課題なのであるが、それもただそれに注目してなくそうと思っても不可能であり、そのためには人類の経済活動の自己認識を深める必要があるであろう。経済活動を無自覚にするのではなく、経済活動という意識の運動を自覚的にできるようにしなければならない。目先の認識で盲目的に経済活動をしていては、発展途上国の貧困の撲滅は不可能ではないかと思っている。それを私は「矛盾解消主義」と呼んでいる。それは金儲けを第一目的にする経済原理ではなく、内的外的矛盾をバランスよく解消していくことを第一目的とした経済原理である。この記事で述べたような内的矛盾の解消と外的矛盾の解消を自覚的に行って、金銭至上主義に陥らないようにすることである。そういう精神の運動が超近代文明を構築していくと思う。
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種々の矛盾の解消
(1) はじめに
以前私は「矛盾理論」を提唱し、人間の意識の活動を矛盾の生成と矛盾の解消で捉えうることを主張した。
「矛盾理論」
本記事では科学、経済、宗教、文学、などを矛盾の解消としてとらえてみたい。
(2) 矛盾理論
矛盾理論の復習をしよう。矛盾は3つに大別される。一つは、個人内部の矛盾である。それは、通常意志が定まらず分裂している状態である。例えば、高校生が進路を就職にすべきか進学にするかを迷っている状態である。あるいは就職をするにしてもA社にすべきかB社にすべきかを迷ったりする状態である。そのときは、内面に矛盾が生じているのである。
2つ目は人間関係の矛盾である。自分はあることを意志しているのであるが、他の人はそれに反対し邪魔をされる状態である。
3つ目は人間と自然との間の矛盾である。今のように夏になって気温が上がり不快感を生じているのは矛盾のある状態である。
人間の経験する矛盾はこの3つのいずれか、あるいは組み合わせで説明できると思う。
(3) 応用科学
科学者以外が科学と言えば、ほとんど応用科学のことであると思う。何かを知りたいが知っていないという矛盾のある状態から、インターネットで検索し、調べると、情報を得て知っているという矛盾の解消状態に変化する。このように科学は矛盾の解消を実現する。あるいは暑くて不快感を感じるという矛盾状態から、エアコンをつけて、気温を下げることによって不快感をなくすという矛盾の解消を引き起こす。
近代科学というのは、実に多くの矛盾の解消を実現している。それで、現代の人類は相当に矛盾の解消を引き起こし、快適な生活を送っている。
科学は人間と自然の間の矛盾を解消する。しかし、人間関係の矛盾や、個人内部の矛盾の解消は引き起こすことはできない。
(4) 理論科学
一般大衆にはあまり知られていないが、科学は自然を理論的に認識する。科学の基礎は物理学なのであるが、それは物質を統一的に無矛盾に認識するのを目指している。例えば物体は地上では下に落下するのを皆知っているが、それと月が地球の周りをまわっている現象を万有引力が原因であるとして統一的に認識する。それはニュートンの発見したことである。一見別々に思われていたことを同一法則にしたがう別の現象として捉える。この統一的認識は矛盾の解消である。理論創りにおける統一的認識は知的快感であり、それは寒いときに部屋に入って暖房をつけ暖まるときと同じように快感である。矛盾の解消は快感なのである。
理論科学は、人間の意識と五感に映る自然現象を統一するという矛盾の解消をしているのである。この矛盾の解消を土台に、人間の欲求を満足する矛盾の解消である応用科学の発展が可能となる。
(5) 経済
経済は貨幣を用いることによって発展した。貨幣は人間の生産活動の分業を促進する。
貨幣を持っていると、その貨幣を払うことによって、他人に自分のある矛盾を解消してもらうことができる。そして自分は他人の矛盾を解消してあげることによって代金を受け取る。
例えば、タクシーの運転手という仕事をしているときは、客がある場所に行きたいが自分は自動車を持っていないという矛盾状態にあるとき、運転手はその客を乗せてある場所に連れていって代金をもらう。つまりタクシーの運転手は客の矛盾を解消してあげて報酬を得る。そしてそれで得た報酬で、夕食を食べたいが自分では材料を生産していないという矛盾状態をスーパーに行って代金を払って材料を手に入れて解消する。
このように貨幣は矛盾の解消の分業を可能にしている。
(6) 宗教
科学や芸術は、外界と人間の意識の間の矛盾の解消を引き起こしていたが、宗教は人間内面の矛盾の解消を引き起こす。宗教は人間の人生の根本目的を提示する。外界の矛盾の解消に追われているときに内面が荒廃し生きる意味が欠乏しがちであるが、宗教は生きる意味を与え、内面から意味を充足させる。神との合一体験は、意識の核の部分で矛盾の解消を引き起こす。
宗教は人間と外界の矛盾の解消には無頓着なので一見不合理に見えるかもしれないが、内奥の矛盾を解消していて、それに関心があるという見地からは合理的なのである。
(7) 執着を断つ
宗教では良く煩悩を克服することを勧める。それは執着を断つことの要求である。通常目先の欲望にしたがって、それを満足することを意志しているときは、その欲求を満足することが合理的に思われ、執着を断つことが不合理に思われるかもしれない。しかし、広い目で見れば、煩悩に従っていては、不幸になり、それを断って、上位の意志に従って自分の心を統御する方がより幸福になるので、執着を断つ方が合理的なのである。
日本の戦後は、自分の欲求の満足を追求することが肯定され、執着を断ち高次の欲求を満足させることの追及はかなり忘れ去られているように思う。欲求をすべて同次元に並べて考える人が多いかもしれないが、欲求には明らかに次元の違いがある。低次の欲求はそれを満足させようと意志しているときは、認識の範囲が狭く、その時その時の欲望であるが、高次の欲求は、自我が普遍化され、自分のためだけの欲望ではなく、みんなのための欲望である。普遍化が進んだ自我の意志は「みんなのため」であるがゆえに、多くの矛盾を解消していく意志である。
執着の意志は狭い認識に基づく意志であるので、狭い範囲での矛盾の解消であり、広い見地からは矛盾が生じているのであるが、執着を断って出てきた高次の意志は広い範囲の認識に基づく意志なので、それはより矛盾を解消する意志である。
(8) 愛
愛とは相手の意志を受け入れ自分の意志と統合していくことである。したがって、それは人間関係の矛盾の解消である。
自己犠牲の愛とは、自分に矛盾を発生させつつも相手の矛盾を解消してあげることであるが、それよりも自分の矛盾を深いところで解消させつつも、相手の矛盾も解消してあげることが理想である。
愛の理想は「他人のため」が「自分のため」と対立せず、一致することである。
人間関係はエゴで衝突し矛盾が発生することが多いが、愛はその矛盾を解消し、快が発生することである。
(9) 文学
文学の目的は明らかに、人間と自然の間の矛盾の解消を促進することではなく、内面の矛盾を解消することである。例えば「詩」はパソコン操作のマニュアルとは異なって、それを読んだり学んだりしても外界の操作能力の向上という有用性は身に付かない。しかし、内面で矛盾が解消され、心が豊かになる。文学と科学は目的が異なる。科学は外界の操作能力を高めるが、文学は人間の内面の認識能力を高める。心の統御能力を高めるかもしれない。
(10)結論
科学や経済は主に人間と外界の間の矛盾を解消する。それと対照的に宗教や文学は内面の矛盾を解消する。通常は矛盾の解消は外界に偏ったり内面に偏ったりするが、内面の矛盾も外界の矛盾も解消するのが理想である。
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「矛盾」概念と「統一」概念の意義
(1)はじめに
前記事「悩みと希望」で読者から「矛盾」概念が分かりにくいという指摘があった。それをよく考えてみると、「矛盾」概念は「統一」概念と並んで、意識現象を扱う基本概念である。物理で言う「力」とか「質量」に匹敵する根本概念である。「悩みと希望」では「矛盾」概念のみを扱ったが、今回はついでに「統一」概念も解説しよう。
(2)物理学の根本概念
物理の基本である力学では、「位置」と「時間」と「質量」と「力」という概念だけで全ての物理現象を説明する。位置の時間微分が速度であり、速度の微分が加速度である。物体には質量があり、それに力が作用したときの運動法則は、m(d2x/dt2)=F(質量(m)×加速度(d2x/dt2)=力(F))というニュートンの運動方程式で表されて、物体の運動はそれを解いて予言できる。
しかし、日常生活では力を及ぼす行為をいろいろな言葉で表現されている。典型は「投げる」であるがその他にも「打つ」、「押す」、「叩く」、「蹴飛ばす」、「殴る」、「引っ張る」、「つねる」等々。日常用語では多様な行為を、物理的客観的には「力の作用」という力の掛け方の違いとして同じ概念で説明される。
(3)意識を記述する基本概念
物理の基本概念に対応する意識を記述する基本概念が「矛盾」と「統一」なのである。
(4)「食べる」の例
「食べる」という思いがあったとしても、それをそのままは実現できない。「噛む」と「飲み込む」という喉や口の運動を実際に行って、「食べる」が実現する。しかし、もし、「食べる」という意志が働かないまま「噛む」と「飲み込む」が作動すると、それは無秩序になって両者のあいだに対立・衝突が起こる。このときは「噛む」と「飲み込む」の間に「矛盾」があると表現する。「噛む」と「飲み込む」に深いところから、「食べる」が作動すると「噛む」と「飲み込む」は秩序立ち「食べる」が実現する。そのとき「食べる」という思いが「統一力」を作用させたと表現する。一般に「矛盾」は「統一力」が作用して解消されるのである。
(5)統一力
一般に統一力は、思考や意志を定める力として、その統一力より浅い思考や意志を統御する作用として働くものである。意志や思考は意識の運動を方向付けするのであるが、このように一般的に意識の運動の方向付けをするのが、統一力である。
(6)個人内部の矛盾
個人内部の矛盾は普通は「意志が定まらない」という形で生じる。たとえば高校3年生が進路を就職にするか進学にするか悩む場合である。それを迷っているときは、「就職の意志」と「進学の意志」に間に矛盾が生じたと表現される。
その矛盾を解消するのは「就職の意志」と「進学の意志」より深い「目的意識」を明確に把握することによってである。何のための「就職」なのか、何のための「進学」なのかという「人生の目的」を自覚することによって、進路が定まる。人生の目的が作用するのが「統一力」の作用であり、それによって矛盾は解消するのである。
(7)人間関係の対立
夫婦で旅行しようという話が定まった場合に、夫は富士山に登りたいと言い、妻は京都の文化財を観光したいと言い意見が対立する場合も夫婦間の矛盾である。それで話し合って共通の興味を見出して、それに応じた旅行先に決定した場合、夫婦の各々の個人意識よりも深い意志をさぐりだし夫婦の意志を統一することができる。それを出すのは互いを思いやる心であり通常のことばで「愛」と言えるものである。「愛」とは個人間を統一する統一力である。
一般に人間関係が対立した場合、相手を苦しめたい、消滅させたいと思う場合が「憎しみ」であり、矛盾を解消して統合しようとする場合が「愛」である。
(8)自然との対立
猛暑の場合暑くて苦痛である。それは、人間と自然との間の矛盾である。科学技術によってクーラーが発明され、それを用いることによって室内の気温を下げることによって猛暑という矛盾を解消することができる。それは、科学的思考という統一力による矛盾解消である。
(9)その他
全ての意識の運動は「矛盾」概念と「統一」概念で説明できる。それは全ての物理現象が「力」と「質量」と「時間」と「位置」で説明できるのと同じである。
例えば「歩く」はある場所を目指して移動することであるが、目的地に着く目標を立てたときは矛盾が生成する状態であり、目的地に到着するのが矛盾の解消である。それは自然と人間の矛盾である。「歩く」は徐々に矛盾が解消していく状態である。
一般的に言えば、欲求が生じた状態が矛盾の生成であり、欲求が満足できた場合が矛盾の解消である。あるいは目的を建てた場合が矛盾の生成であり、目的が実現した場合が矛盾の解消である。
人間は常々内部矛盾を解消し意志を定め、人間関係の対立を解消しつつ、自然に対してより便利にしようとしている。それは矛盾の生成・解消であり、人間はそういう意識の運動をする存在である。
(10)要点
「矛盾」概念と「統一」概念は意識を表現する基本概念である。
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