科学革命

遂に「意識―生命―物質の統一理論」の骨格が完成しました。

私の哲学

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洗脳とは何か

洗脳とは何か
(1)はじめに
 通常ある人にある思想を教え込んで、今までの考えを改造することを洗脳と言うが、洗脳する側から言えば、真理を教え込んだというのだろう。例えば保守側から言えば愛国教育は真理を教えたというのであろうが、それは左翼から見れば洗脳と言えるし、共産革命の思想を教えることは左翼から見れば真理を教えていると言えるが、それは保守から見れば洗脳と言える。客観的には何が洗脳かは判定しづらい。
そこで、洗脳されている状態とそうでない状態を客観的に判断する方法としては、一面的視点しか持てない人が洗脳されているのであり、多面的視点で考えきれる人が洗脳されていない人という考えを提案したい。
結論から言えば、保守の立場でしか物事を観れない人、左翼の立場でしかものを考えれない人はどちらも洗脳されていることになり、保守の視点も左翼の視点のどちらでも考えきれる人が洗脳を免れていると言える。
この考えを解説しよう。
 
(2)真理の相対性
 Aという思想とBという思想があり対立しているとき、Aという思想の立脚点から見れば、Aという思想は正しく、Bという思想は間違っていて、Aという思想の立脚点にしか立てない人は、自分の思想の真理性は確実であり、Bという思想が間違っているのは確実に思える。
 逆にBという思想の立脚点から見れば、Bという思想は正しく、Aという思想は間違っていて、Bという思想の立脚点にしか立てない人は、自分の思想の真理性は確実であり、Aという思想が間違っているのは確実に思える。
 公平に見れば、どちらもどっちで、どっちが正しいかは判定できない。
 具体的例を挙げれば、保守思想の立脚点から見れば、保守の立場は正しく、左翼思想は間違っていて、保守思想の立脚点にしか立てない人は、自分の思想の真理性は確実であり、左翼思想が間違っているのは確実に思える。
 逆に左翼思想の立脚点から見れば、左翼の立場は正しく、保守思想は間違っていて、左翼思想の立脚点にしか立てない人は、自分の思想の真理性は確実であり、保守思想が間違っているのは確実に思える。
 
(3)客観的に高次の立場と言える立場
 そこで確実にAという思想とBという思想より高次の認識を持っていると言える立場は、Aの立場もBの立場も理解でき、その両者を自分の立場の部分的思想として認識できる立場である。
 具体的に言えば、保守思想も左翼思想も自分の思想の部分的真理として、認識できる視点が、保守思想よりも左翼思想よりも高次な立場なのである。
 
(4)洗脳とは何か
 つまり、Aの思想の洗脳とは、Aの立場に立ち、Aの立場に執着し、それ以外の視点を持つことが出来なくなり、それに対立するBの思想は絶対的に間違っていて、Bの思想に教育することを洗脳と呼ぶように、Aの思想を教え込むことである。
 つまり、自分と反対の思想の教育を洗脳と呼ぶ人は、自分の立場に洗脳されているのである。
 保守の人は左翼の人を洗脳されているというが、自分が保守の思想に洗脳されているのであり、左翼の人は保守の人を洗脳されているというが、自分が左翼の思想に洗脳されているのである。
 高次の立場に立つ人は、そもそも思想にはいろいろな立場があり、どれも部分的真理であり、どの立場に立つ人も次元の低い一面的立場に立っているだけであり、間違った思想に洗脳されているとは考えない。
 結論は、自分の立場に対立する思想を持つ人を洗脳されているという人は、自分の思想に洗脳されているのである。
 
(5)普遍性の相対性
 低次で一面的見方をしている方が洗脳されていて、高次で普遍的多面的見方をしている方が洗脳されていないと言えるが、どれだけ普遍的か、どれだけ多面的かというのは相対的であり、ある立場より普遍的でも、それより普遍的立場から見れば一面的と言える。したがって、完全に多面的な立場というのは無いのであり、どれだけ普遍的立場に立っても、それより普遍的立場から見れば、一面的である。だから、あらゆる思想の立場を包括する思想が、もっとも高次であるが、そういう思想はほぼ不可能であり、どういう思想でも一面性は免れない。
 だから洗脳されていないとは、あらゆる視点から物事を観れるということである。
 
問題解決における没入と傍観の両立
(1)はじめに
 何らかの問題(例えば政治問題など)に取り組むとき、現場の目先の課題に没入するタイプと、一般論だけを言う傍観者タイプに分かれているようである。両者とも、十分な問題解決はできない。
 問題をきちんと解決するには、現場の個別的問題に取り組むとともに、大局的視点を持てるように傍観して一般論を言えるようにしないといけない。そういうことを説明しよう。
 
(2)没入タイプ
 何か問題があったとき、そのたびに、その問題解決に取り組み没入をするということばかりをしていると、そもそもなぜ問題が起きるのかという、問題発生の原因を突き止めることをしないので、それは対症療法でしかないことになる。つまり、一つの問題を解決しても、すぐに次の問題が発生して、問題は尽きることが無い。それで、問題群を整理して、問題発生の根本原因を突き止めないといけない。これが大局的視点で一般論を主張することである。
 
(3)傍観者タイプ
 現場の問題に取り組まず、問題を他人事のように傍観し、観察して、問題の発生原因を認識し一般論を主張するのが、傍観者タイプである。しかし、一般論だけを主張していて、現場を知らないので、問題解決のために具体的に何をすればよいのかを言えない。
 
(4)没入タイプと傍観者タイプの両立
 理想的タイプは没入タイプと傍観者タイプの両立である。つまり、現場の個別的課題に取り組み、直面した問題の解決に取り組むとともに、問題を傍観し、問題発生の原因を遡って問題解決の一般論も言えるようにすることである。
 物理学で言えば、一般論とは物理の基本方程式である。個別的問題とは各々の実験であるが、没入タイプは方程式を知らずに実験をしているようなものである。両立タイプは、普遍的見地の方程式を知っていて、これを実験の条件に沿って解くことに当たる。個別と普遍の統一である。
 物理学は普遍的な問題から具体的な問題まで、体系的に整理されている。出来れば政治のような問題も、普遍的見地から、現場の個別的問題まで、体系知として整理しておくことが望ましい。

哲学精神とは何か

哲学精神とは何か

(1)はじめに
 人生で深刻な問題にぶつかったとき、生きる希望を失い、「何のためにいきるのか」と悩み始める人は多いだろう。しかし、困難な問題に直面したときでも、強靭な精神で問題と格闘して解決していけるようになるには哲学が必要なのである。人が欲しているのは、苦しいときでも生きていることに意味を与える理論である。
 しかし、多くの人は個人的に悩んで、自分の悩みは誰にも理解されないし、他人と共有不可能であり、当然哲学には答えが無いと誤解している。確かに、哲学書には個々の悩みに対する直接的な処方箋は書いていないだろう。しかし、哲学書に書かれている普遍的知識を応用すれば多くの問題や悩みは解決するのである。
それはニュートンの運動方程式には、飛行機の飛ばし方とか、扇風機の回し方は書かれていないが、それを現実に当てはめれば、そういう発明も可能になるように、ニュートン力学は思考の原理を万人に共有できる知として提供したのである。
 哲学が目指すのも、これと同じく、多くの悩みや問題を解決できる普遍的原理を万人が共有できるように提供することである。
 本論では、こういう哲学を構築していくときに取るべき精神を説明しよう。
 
(2)愛を動機とせよ
 問題を解決できる知を産み出すには、「人にも良かれ、自分にも良かれ」という思いで、それをどう実現するかを思索に思索を重ねなければならない。決して自分にとってだけ役立つ知を産もうと思ってはいけない。自分中心の視点から離れ、公平に客観的立場で物事を考えなければならない。「自分も幸福になりたいが、多くに人に幸福になってもらいたい、そのためには自分はどんな努力でもする」と奉仕の精神を持たなければ、普遍的に役立つ根本原理は発見できない。
 
(3)現実問題解決を念頭に思索せよ
 哲学は抽象的なことを考えるから、空理空論と思う人も多いかもしれないが、それは物理の法則がいかに抽象的でも決して空理空論ではなく、現実を対象とした知であるように、真の哲学は現実知である。
 しかし、抽象的思索が現実から遊離しないように常に現実問題解決を念頭に思索しなければならない。人間はいかに生きれば幸福になるかの知を求め続けなければならない。
 
(4)思考を遡源せよ
 哲学は根本原理を追求する思索であるから、自分の思考を支える基盤を観察し、流動化させ、さらなる根本原理へと遡源していくものであり、こうして初めて浅い原理からさらに深い根本原理へとたどり着くことができるのである。
 逆に、もし思考が遡源を止めたならば、問題解決不可能な問題は永遠に解決できないだろう。根本原理が遡源することによって、思索空間は広がり、解決手段は豊富になり、問題解決の可能性が高まるのである。知の遡源によって今まで解決できなかった問題が解決できるようになるのである。
 
(5)知の最高統一を目指せ
 ニュートンが物質世界の最初の統一原理である、ニュートンの運動方程式を発見し、その後物理学は物理の法則の統一原理を探求して進歩してきた。しかし、それは物質世界に限られた知の統一にすぎない。それに対して、哲学が目指すのは物質、生命、精神を包括する知の最高統一である。自然、精神、社会、芸術、宗教をも説明可能な知の最高統一を目指すものなのである。
 
(6)知情意をバランスよく磨け
 先に述べたように、思考の動機に愛が無ければ、その生産する知は多くの人に役立つものではなくなる。本当に役立つ知を生産したいならば、思考の動機に愛が無ければならない。だから知だけでなく情も磨かなければならない。つまり、愛を常に純化していかなければならないのである。
 意志が弱ければ強靭な思索はできないだろう。意志は強くなければ根本原理の発見は不可能である。ゆえに意志も磨かなければならない。強靭な意志を持たなければならない。そのためには身体も健康であった歩が良い。生命意志も盛んな方が良い。
 ゆえに、哲学は知だけでなく、知情意全体をバランスよくそれぞれ高度に磨かなければならない。
 
(7)哲学知が抑圧的権力と化してはいけない
 ここでは、詳しくは述べられないが、知が絶対的真理を掲げて、民衆を抑圧する権利と化することもある。それは絶対避けなければならないことである。最初に述べたように、哲学の思考の動機に愛があるのならば、根本原理は人の幸福のために用いられるべきであり、自分の考えに人をしたがわすために用いてはならない。このように、哲学は知が人に服従を命じるような権力と化したりしないような方法の知も含めた根本原理を見出さなければならない。
 
(8)最後に
哲学とは何のためにあるのかというと、結局はユートピア〔理想郷〕文明を建設するためである。そのための問題解決の普遍的根本原理の発見を目指すのが哲学である。そしてそれは万人に共有されうる知でなければならない。
問題解決の知の共有とは、悩みを共有して共に希望を持って問題解決のために協力していく関係を築くことである。
ユートピア建設のためには、一見多様に見える価値観の奥に共有できる価値観を持たなければならない。しかし、それは狭い価値観の強制による独裁ではなく、自由な個性の発揮でなければならない。
まだまだ、思想は未熟であるが、ユートピア建設のための知の最高統一としての根本原理の発見を目指したい。

分別智と無分別智

分別智と無分別智
(1)はじめに
 仏教用語に「分別智」「無分別智」というのがあるのを知った。それは私の真理認識の境地を的確に表現していると感じた。
 「無分別智」とは、主観と客観の区別を超越して、自分と対象の区別がなくなる境地の認識である。自分と対象が一体化する主客合一の認識である。「分別智」とは、自他の区別にとらわれた凡夫の認識である。普通の認識のことである。自分がここにいて目の前のものを見ているという認識の仕方である。人間関係においては肉体的自己中心の考え方である。
 これについて、思うところを私の実体験に基づいて述べよう。
 
(2)無分別智の境地の入り口
 私が自己発見を勧めているのは、それが真理認識の本質だからである。自己探求を続けていくと、ある段階で、自分は肉体ではなく意識であるとわかってくる。思考や意志や感情が私であり、肉体はなぜかそれに付随しているだけと思われてくる。何を考えているかが私であり、何を意志しているかが私であると思われてくる。
 この境地がどんどん進んでくると、肉体が自分と感じられる割合が減ってきて、究極には意識が個人の肉体の束縛から解放され広がって行く。自分の意識と思われていたものは、より大きな意識が限定された部分的意識であったことが分かってくる。この大きな意識を、私には「宇宙」という感じが付随するので「宇宙の意志」と呼んでいるが、仏教ではたぶん、「仏」と呼んでいるのだろう。そして、宇宙の意志と繋がると肉体的自己中心の認識から解放される。これが無分別智の境地である。
 
(3)ブログを書き始めたころの心境
 今から5年ぐらい前の2013年の1月から、このブログを本格的に書き始めたのであるが、それは宇宙の意志の背後にある、私が「宇宙の進化する意志」と呼んでいるものと合一を体験したのがきっかけである。それは意識宇宙だけでなく物質宇宙との一体化も予見されたのである。
 そのときは全くの無分別智一辺倒で、分別智を実感としては全く分かっていない心境であった。だから、ブログ記事を書いていてもそれが普通の人にはどう受け取られるかの見当が全くつかなかった。それで、たぶん私のブログは最初の方になればなるほど、説明が難解で理解しにくいと思う。
 
(4)分別智の獲得
 しかし、一般人の意識の吸収の努力の結果、分別智が実感として分かるようになってきた。そうすると身体に「自分」という感覚が浸透してきて、そうなればなるほど分別智が身についてくる。しかし、それは通常の肉体を自己と感じる境地とは違っていて、意識の理性が感性に浸透し、さらにそれが肉体に入ってきたという感じ方である。
そして、分別智が身に付くということは、自他の区別だけでなく、個々の対象の区別作用も明確になってくる。無分別智一辺倒の境地ははっきり言って、実務能力ゼロの状態であったが、身体に自分という感覚が浸透すればするほど実務能力も身についてくる。
 そして、3次元空間そのものとの合一が進んできたので、幾何学的思考の直観能力が相当高まってきた。3次元物理空間と合一すると、3次元空間に自分という感覚が分布してきて、想起する面や線にも自分という感じが浸透するのである。数という観念も意識そのものからそれが分化して区別されるようになる過程を経て数が生まれるのを認識したので数学の能力も高まってきた。最近は数学的能力が高まってきて、科学革命も現実的射程に入りつつあるので喜んでいる。
 
(5)神秘主義
 私の思うに、無分別智だけを真理として、分別智を軽視したのが神秘主義ではないかと思う。私自身は神の存在の科学的実証を目指しているので、肉体感覚に映る物体を扱う分別智である物質科学の知識を重視し、神秘主義には満足していないので、神秘主義をそれほど勉強していないので神秘主義には詳しくない。
 しかし、たぶん神秘主義の主眼は分別智を克服して無分別智を獲得することにあると思う。科学的実証性を無視した神秘主義にも多くの人を啓蒙する役割は有ると思うが、しかしそれは文明全体の変革能力はないと思っているので、神秘主義には満足せず、無分別智と分別智の融合を目指して、神科学を構築したい。
 
(6)ヘーゲル哲学
 ヘーゲル哲学はいったん無分別智まで上昇して、そこから分別智まで降りてきて説明された真理である。
 ヘーゲル哲学では無分別智の作用を「理性」と言い、それはドイツ語のVernunftの訳である。他方分別智の作用は「悟性」と言いそれはドイツ語の
Verstandの訳である。これは一見常識に反する。というのは仏教では悟りの境地が無分別智だから「悟性」が無分別智を表現すると思われ、理性が分別智を表現するのではないかと思われるだろう。しかし、実際は意味は反対で、それはなぜか知らないが、Verstandが日本の哲学者に「悟性」と訳されたからである。その結果「悟性」が分別智を意味しているのであるが、本質的問題ではないと思う。訳が拙いと思う。
 ヘーゲル哲学では理性は対立するものの背後に統一作用を発見する思考であり、その統一とは異なる対象同士の対立の統一も、自他の対立の統一も含む。悟性は概念的思考による区別に固執する思考である。
 ヘーゲル哲学は、全ては絶対者である絶対精神が現象化したものであると考え、宇宙は本来は一つであるという無分別智の哲学であるが、同時に悟性の区別作用である分別智も重視する哲学である。
 
(7)西田哲学
 西田幾多郎は、処女作「善の研究」で主客合一の境地である「純粋経験」で全てを説明しようとしたことから分かるように、そのスタートから無分別智の哲学である。禅では無分別智は言語では表現できないとされるが、それを何とか哲学用語で表現しようと試みたのが「善の研究」である。その後無分別智を論理化しようと試みて、成功したのが「場所の論理」であり、これで西田は独自の哲学の境地に立てた。西田の最終的立場は、一切の根源である「絶対無」の内蔵する論理構造である「絶対矛盾的自己同一」の論理の立場であり、これで西田哲学は完成した。
 私は今、西田哲学を勉強中であるが、自分の経験している内的体験の多くに言葉を与えられ、西田も自分と同じ体験をしたのだなとたいへん共鳴することが多い。私の最大の課題である科学革命は、西田哲学と素粒子理論を融合することによって実現できると思っているので、ぜひ西田哲学は完全に修得したい。素粒子理論もきちんと数学的にも修得しなければならない。私にはやらなければならないことがたくさんある。

思い込みの克服方法

思い込みの克服方法
(1)はじめに
 通常真剣に真理を探究しない限り、人間は思い込みで生きている。人間像も社会像も世界像も客観的に認識しないで、勝手にこういうものと思い込んで生きている。それで直面する問題の本質を認識できないで袋小路に追い込まれる。
 それで、なすべきことはその思い込みに気付くことである。それは、自分の意識の事実を認識することから始めなければならない。
 
(2)思い込み
 一般的に言うと、多くの人は自分は対象のあるがままを認識していると思い込んでいるが、その多くは自分で勝手にそう思い込んでいるだけであり、対象を認識しているのではなく、自分の意識がその思い込みの状態になっているだけなのである。外界をあるがまま経験しているのではなく、自分の意識がそうなっているところの自分の意識の事実を経験しているのである。
 
(3)他人に対する偏見
 よく考えれば分かるが、人間は人と少し付き合っただけで、そう簡単にその人の全貌が分かるわけではない。しかし、どうもあの人はこういう人だと人物の全貌像を描いてしまう。それで、その人を理解しきったと思い込んでしまう。当然それはとんでもない偏見である。
 例えば、A氏がB氏は悪人であると思い込んでかかわりを持つ場合を考えよう。それは客観的にB氏が悪人であるということではなく、A氏の意識にB氏が悪人であると映っているという意識の事実があるだけである。しかし、A氏はそうは考えず、自分の意識のあるがままを現実と思い込んでいる。
 
(4)常識的人間像
 人間とはこうあるのが普通であるという、人間像も勝手にそう思い込んでいる。それが万人の常識であると思い込んでいる。そして、それから外れる人を毛嫌いし、人間でないと否定する。それはその人が勝手に思い込んでいるだけであり、人によって常識的人間像は様々なのである。
 
 
(5)社会像
 社会とはどういうものであるかも、ほとんどの人は勝手に思い込んでいる。一流大学に入り、一流企業に入り、エリート街道をまっしぐらに進むのが人間の理想であると思い込んでいる人もいれば、社会からドロップアウトし、裏社会を住みかとし、エリートをすべて卑怯な手を使って出世したとみなしたり、たまたま生まれた家が裕福で運が良かっただけであるとみなし、エリートはエリートなりに苦労して努力しているということに気付かない、偏見を持つ人もいる。
 社会に適応するには嫌いなことを仕事とし、忍耐することこそが人生であると思い込んで、その苦痛に陶酔する人もいる一方、人生に必要なのはずる賢さだとして、金持ちにたかって、自分は楽して生きようとする人もいる。
 社会とはどういうものかを客観的に捉えるのは困難であり、自分はそれが認識できていないということを認めずに、勝手に社会はこういうものだと思い込んでいるのがほとんどの人である。
 
(6)思い込みの修正こそが思考の本質課題である。
 この思い込みを修正して、客観的事実に近づけるのが、思考の本質課題であるにもかかわらず、思い込みに基づいて思考して問題を解決しようとしている人がほとんどである。
 例えば、人間関係で言えば、A氏がB氏は私に悪意を抱いていると思い込んで、それを100%事実だと疑いもしないで、その対策として陰謀を企みB氏に危害を加えようとする。それは良くあることなのである。B氏がA氏に悪意を抱いているというのは、A氏の意識の事実でしかなく、客観的事実ではないのであるが。これは、話としては自分はそう簡単にそういう思い込みはしないという例であるが、しかし、多くの人は何らかの思い込みに基づいて問題を解決しようと判断しているのである。
 正しい思考をするためには、客観的事実を認識すべきというより、自分の人間像、社会像、宇宙像は、自分の意識の事実でしかなく、自分のあらゆる像は自分の意識の事実でしかなく、自分自身は自分の意識の事実しか経験できないのだが、それをより客観に近づける努力するしかないということを受け入れるべきである。
 自分が経験しているすべては自分の意識の事実でしかない、自分は世界の客観的あるがままは、そう簡単に認識できないということを受け入れなければならない。
 外界の認識は五感だけであり、他人の意識はそう簡単に認識できないことを受け入れなければならない。努力して出来るのは自分の意識のあるがままの意識の事実の認識である。
 
 
(7)真理の認識は意識の事実の認識からスタートする
 真理の認識をしようと、客観的事実を認識しようとしても、それは物理的事実以外の意識の事実の認識は不可能である。客観というのがあるとして、それをどう認識するかの方法論が無い。経験しているのは自分の意識の事実だからである。しかし、自分の意識の事実の認識は確実にできる。それを足場として、意識の法則を研究するのが真理の探究の方法である。
 
(8)問題解決の論理的順序
 「問題」というのは意識に苦痛が生じているか、生じる可能性の大きい場合をいう。そうすると問題解決とは、意識に長期的に大きな苦痛を生じない状態にすることであり、問題のあるなしは外界の状態ではなく、意識の問題なのである.したがって、問題解決の目的は意識の問題を解決することであり、外界の状態を変えるのはその手段と位置付けなければならない。外界を変えないで、意識だけを変えれば問題を解決できることも多いので、外界にとらわれず、外界の状態に一喜一憂せず、意識自体を認識できるようにしなければならない。

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