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自発性の尊重と横の関係
(1)はじめに
テレビ番組を観て、教育の基本は「自発性の尊重」と「横の関係」だなというのを再確認した。
(2)テレビ番組の内容
NHKのテレビ番組で、ある教育者が、子供の教育方法についてアドバイスしていた。
通常の親は、子供がゲームばかりしてなかなか勉強しないときには「いつまでゲームをやっているの。ゲームばかりしないでさっさと勉強しなさい!」とガミガミという。しかし、それでは子供は余計に勉強をやる気をなくす。なぜかというと、ゲームをしている自分を否定された上に、勉強を強制されているからである。つまり、人格を尊重されていないからである。
それに対して、この教育者のアドバイスでは、「今はゲームをしているね。勉強は何時からなの」と聞く方が良いというのである。その意義は、第一に、ゲームをしていることを否定しないことである。そして、第二に勉強を何時からするかを自分で決めさせていることである。つまり二重に自発性を尊重しているのである。
頭ごなしに勉強をせよと強制されると、勉強をこれからしようと思っていた場合でも、逆に勉強をやる気をなくすものである。それに対して「勉強は何時からなの」という聞き方は、自分で何時から勉強をするかを決めていることを前提として、自分の決めたとおりにやってよいというメッセージであるので、やる気は出てくるのである。誰でも、自分でやると決めた方が、人から命令されてやるより気持ちよいことなのである。
(3)スパルタ教育
厳格にしつける教育、つまり命令に従わないと罰を与えたり、しごいて鍛える教育方法をスパルタ教育と呼ぼう。私自身、アニメ「巨人の星」を観て育った世代だったので、若いころはそういうものが良いものだと思っていた。苦痛に耐えれば耐えるほど良いことであり、我慢は良いことだと思っていたのである。
しかし、よく考えれば、スパルタ教育で伸びるのは、その教育の目的を強い目標にしている生徒だけで、その他は落ちこぼれるしかない。つまり、例えば野球選手をスパルタ教育で育てると、ものすごく野球が好きで、そのために苦難をいとわない人だけは育っていくが、それ以外の人は苦痛に耐えられないので挫折していくのである。
したがって、万人に通用する教育法方法は人格を尊重した自発性の尊重と言える。
(4)教育の目的は潜在素質を開花させること
教育というと通常は勉強をできるようにさせることと思っている人が多いかもしれないが、そうではなく、生徒が潜在的に持っている素質を開花させることである。やりたくもない、素質もないことをできるようにさせるのは不可能だし、それは教える方も教えられる方も苦痛である。
それで親や教師がやるべきことは子供や生徒が自発的にやろうと思うことは何かを観察し発見し、それを子供や生徒に自覚させることである。そういうようにしてやる気を伸ばすことである。それが子供が本当にしたいことならば、持続的に努力出来、才能を開花させることが可能になると思う。
(5)優越感を満足させるためでなくしたいことをすること
自発性の尊重で、大切なことは他人より優れているという優越感を満足させることではなく、本当に内から湧いてくるしたいことを発見するということである。他人より優れたいという欲求は、形式的には自分のしたいことであるが、それは何をしたいという具体的なものではなく、抽象的なものであり、形式的な自分のしたいことでしかなく、実質的な自分のしたいことではない。
優越感は他人より優れないと満足されないので、それが満足されるのは難しいが、それに対し本当に自分のしたいことはそれをすれば満足できるので幸福感を得やすい。
また優越感を得ようと野球をする場合は、本当の関心は優越感を得ることであり、野球自体には関心がないので、野球の上達は難しい。それに対して優越感のためでなく、野球それ自体が好きな人は、野球自体に関心があるので野球は上達する可能性は大きく成功する可能性も高い。。
したがって、自己実現は優越感を満足させるためで何かをするのではなく、したいことをした方が達成しやすいと言える。
(6)やる気くじき
このように子供の本当にしたいことを発見しそれを伸ばすのが教育であるのだが、多くの親はそれと正反対にやる気をくじいているようである。例えば「〇〇ちゃんはできるのに、なんであなたはできないの」とか他の子と比較して劣っていることを指摘する。すると子供は「どうせ自分はダメな子だ」と自信を無くし、何も自発的にしようとは思わなくなる。やる気をなくすのである。
このようにやる気を完璧にくじかれた子供が、学問、スポーツ、芸術、文化などの正当な道で評価されるのを諦め、邪道な方向で評価されようと非行少年になったりする。非行少年の教育の目的はくじかれた自発性をどう回復させるかである。自分をダメな人間と思っている状態から、どう自分を良い人間であると自覚させるかである。
(7)横の関係
教育を親や教師からの上からの命令に子供や生徒をしたがわせることであると思っていては、服従するロボットのような人間は育つかもしれないが、創造的な人間は育たない。
上下の関係は、下の側は自分の人格を否定され、上の命令に従うべきという関係であり、真の人格の尊重にはなっていない。真の教育は横の関係であり、その関係は命令ではなく、「あなたの真にしたいことは何ですか、それを見つけてやりなさい」という人格を尊重したメッセージを送ることであり、決して命令する関係ではない。この横の関係が本当の心と心の交流であり、信頼関係を結べる関係である。自分の本当にしたいことを理解し応援する人のことは、誰でも信頼するものである。
(8)要約
真の教育は自発性を尊重しやる気を引き出すことであり、それは権威的上下関係で達成できるのではなく、互いに人格を尊重するという横の関係で達成できる。
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教育
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勉強に取り組む理想的姿勢
(1)はじめに
子供にガミガミ叱って勉強をさせようとするが、それでも子供がなかなか勉強しないと不満を持つ親も多いだろう。そして、子供が何のため勉強しなければならないかと聞くと、貧乏にならないためと答えるかもしれない。しかし、この2点の発想はどうしたら幸福な人生を歩めるかという点で好ましい発想ではない。
子供がどういう姿勢で勉強に取り組むのが理想であるかというと、
① 自発的意志で取り組む、逆に言うと人から無理やり勉強をさせられるのではない。
② 学問そのものに興味・関心を持って取り組む、逆に言うと試験に合格するため、学歴のためではない。
そういう点を解説しよう。
(2)人間の努力のパターン形成
一つの人格の所有者である個人の努力の在り方は、支離滅裂ではなく、独特のパターンを持っている。それは幼少時の育てられ方でかなり左右される。その好ましいパターンは、自発的意志で決断・行為しそれを実現するという成功体験を積み重ね、自分の決意に自信を持って従う努力パターンである。そういう人は自信を持って人生を歩んでいく。その反対の好ましくないパターンは、失敗を恐れ、こうしたら失敗しないという経験を積み重ねるというマイナスの意味の成功体験を積み重ね、消極的判断をする努力パターンである。不幸にならないために何かをするというパターンで努力するのである。そういう人は、積極的に何かに取り組むのではなく、不幸を避けるための人生を歩み、逃避的人生になっていく。
(3)ガミガミ叱られて勉強すると
上の点で、「ガミガミ叱られて勉強すると」どうなるのかというと、ガミガミ叱られるのが嫌だから、勉強してみたら叱られなかったというのがひとつの消極的成功体験になる。それで、そういう成功を積み重ねると、一般的に苦痛を避けるために何かをするという努力のパターンを形成する。何かしたいことをするのではなく、不幸を恐れて何かをするのである。そこには積極的自発的意志が欠けるのであるから、創造的にはなれない。逃げの人生を歩むことになる。
(4)自発的意志で勉強に取り組むと
自発的に勉強に取り組み、学力が向上すると、それは積極的成功体験になり、自分の意志で物事を成し遂げたのであるから、強固な自信になる。当然、人から無理やり勉強をさせられるより、自分の意志で勉強に取り組んだ方が学問は身に付くのであるし、その上自分の意志で取り組んで成功したら、「自分もやればできるのだ」という自信が身に付く。しかし、いくら学力が向上したとしても、それが人に勉強させられたのであるなら、本当の自信にはつながらない。本当の自身は自発的意志で物事に取り組んで、目的を達成したときに身に付くものである。
(5)勉強を楽しむこと
勉強をする上において、学問そのものに関心を持ち、その知識を吸収するのを楽しむのは、人生を幸福に生きていく上において不可欠な要素である。確かに、学力があると、進学試験に合格しやすく、就職に有利であるかもしれないが、それに引き換えに興味のない学問を苦痛をもって勉強するというのは、割に合わないことである。
試験のために身につけた知識というものは、試験が終わればすぐにわすれてしまうのであまり価値が無い。しかし、学問そのものに興味を持って身につけた知識は、一生忘れないものである。そしてそれは人生を歩んでいく上での、本当の血肉となり教養となる。
したがって、学問そのものに興味を持って勉強することに越したことはない。それは、人生を幸福に生きていく上において不可欠な態度であろう。
(6)問題に積極的に取り組む仕事への姿勢
給料を稼ぐために、興味もないことに苦痛を感じて毎日仕事に取り組むという人生は不幸である。一日の活動の大半を占める仕事が苦痛とは、本当に不幸な人生である。自分のしたいことを仕事にし、それを楽しんで生きていけたら非常に幸福であろう。そして、自分の仕事が他者の幸福に貢献できればなお充実した幸福感を味わえるであろう。
実際、仕事というのはいやいやながらするのと自発的にするのとでは能力の身に付き方は断然と違う。仕事は好きでやった方が仕事能力ははるかに高まる。給料だけで仕事を選ぶのではなく、好きなことを仕事にした方がずっと成功の可能性は高まる。
しかし、仕事というのは無責任な遊びではなく、責任を伴う何らかの問題解決への取り組みである。困難な課題にチャレンジングに取り組むのである。その姿勢を身につける端緒が、学校で学ぶ学問に、自発的意志で取り組み、学力を向上させるという成功体験である。学力向上の成功体験で身につけた自信の上に、自分の人生のあらゆる問題を自分で解決する姿勢を身につけることが望まれる。そしてさらに、何らかの専門的技能を身につけ、それを用いて他者の問題の解決に貢献するのが仕事である。
私は、子供が大人になるまでに、人生のあらゆる問題解決に向けて、真正面から取り組む姿勢を身につけれるように指導することが、教育の重要課題のひとつであると考えている。
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子供の教育の目標
(1)はじめに
本当に自分のしたいことを発見する「自己発見」、そしてそれを実現する「自己実現」、そして自分のしたいことをしつつ他人と調和を実現する精神である「和の精神」を修得することが、人間にとって真の幸福であり、各人がこれらを実現するのが「ユートピア〔理想郷〕」であるというのが、私の見解であるが、しかし、それに達するための前提条件がある。
それは[「自己発見」の前に「自己受容」が必要であり、「和の精神」の前に「他者信頼」が必要であり、「自己実現」の前に「他者貢献」が必要である。今のところの感触では、「自己発見」を行うのは中学生くらいが適当かなと思っていて、小学生のうちに「自己受容」、「他者信頼」、「他者貢献」の精神態度を養うのが良いのではないかと思っている。
そういうことを本記事で説明しよう。
(2)「自己発見」の前提としての「自己受容」
「自己受容」とは自分の長所・短所を在るがまま受け入れて「自己肯定」できることである。自分のあるがままを受け入れた後で、自分がしたいことを「やってよい」と肯定できるのであり、「自己受容」できていないと「本当の自分のしたいことは何か」という探索をしたいという思いが湧いてこない。そういう動機が全くないのである。
「自己受容」していない状態とは、「自分はこういう欠点があるからダメな人間である」として、自分は幸福になる権利が無いと思って、向上するように努力する意志がなかったり、あるいは自分の欠点を無視して、自分は誰そりより優越していると自惚れたりする状態である。そういう状態は、あるがままの自分を認識していない。「自分は欠点があるからダメな人間である」というのは、人間が大きな可能性を持った存在であるという事実を無視しているし、いたずらな自惚れは、現状の自己を認識していない。そういうようでは、本当の自分のしたいことは発見できない。
(3)禍を転じて福となす
何か理想的な目的を持ち、これを実現しようとしているとき、その実現に対して逆境に陥り、その目的実現が困難になるということはよくあることである。しかし、一般的に言えることは、逆境こそ魂を鍛える絶好のチャンスであり、逆境を乗り越えれば、ものすごい実力が付くものである。だから、環境に文句を言わず、どんな事態に陥っても、その課題に真正面から取り組み克服しようとする姿勢を持ち続けることは大切なことである。それはまさしく「禍を転じて福となす」である。
また、一見欠点は劣っていることと思われることは多いが、欠点があるということは、同じく欠点がある人を実感として理解できる能力があるという点で有能なことなのである。
例えば数学が不得意という人は、数学のどこが分かりにくいかを良く認識しているので、苦労して勉強して数学を身に着けたとすると、数学を不得意とする人に数学を教える人としては有能になっているのである。逆に数学の才能に恵まれた人は、数学を教える人としては劣っているのである。それは他の学問でも、スポーツでも芸術でも同じである。才能の無いということは決して単に劣っているということではないのである。
(4)自己受容の教育
したがって、子供には自分の長所・短所をあるがまま受け入れても自分を肯定できるように指導しなければならない。自分のあるがままに立脚して向上するように努力することを教えなければならない。そして努力することによって、自分が有能になっていく体験を通して、自己肯定感が育っていく。そうすると、他人の潜在可能性も認識できるようになり、その結果、他人を尊重できるようになる。自分を否定する人は他人も否定するし、自分のあるがままを価値ある存在と思える人は他人の価値も認める。「自己受容」は大切な教育である。
(5)和の精神
私の言う「和の精神」とは、普通思われているように自分を抑えて周囲に同調することではない。対立することでも主張すべきは主張し、しかし、他人の主張も素直に受け入れ、そしてそれを前提にどう調和をするかを考えていく精神である。この調和を実現するためには、視点が対立していた次元にとどまっていては不可能であり、視点の次元の上昇が必要である。
(6)「和の精神」の前提の「他者信頼」
和の精神の無い人というのは、他人を敵視し絶対に和解しようとしない人である。それは他者を信頼しないからである。他人は仲間であるという感じ方が無く、他人は皆敵であると感じていると、ちょっとした意見の違いから大きな対立感情が生まれる。
したがって、他人は仲間であると感じて、互いに協力する関係を結ぶ能力というものが幸福の獲得には絶対に必要である。これを「他者信頼」と呼んでいる。「他者信頼」が身に付くと社会に適応できるようになるのである。
視点の次元上昇という「和の精神」の発揮は高度な課題であるが、その前提としての「他者信頼」は子供にも教えておくべき精神である。
本記事では本題ではないが、この「和の精神」は日本に固有の素晴らしい精神であり、世界中に発信すべき精神である。ユートピア〔理想郷〕精神の要である。
(7)他者貢献
単に自分が有能であるというのではなく、その有能さが他人に貢献できてこそ幸福感は高まる。自分が仲間の集団である共同体に属し、その共同体に貢献している存在であるという感じ方が幸福には不可欠である。この自分の有能さを他者に貢献するために使うのが「自己実現」である。したがって、子供には集団で互いに協力して貢献し合う「他者貢献」の体験をして、その精神を身につけるように教育しなければならない。
(8)要約
個人の幸福、そしてユートピアの実現には「自己発見」、「和の精神」、「自己実現」が必要であるが、子供にはそれぞれの前提条件として、「自己受容」、「他者信頼」、「他者貢献」を教えなければならない。この3つが子供の教育目標である。
注:「自己受容」、「他者信頼」、「他者貢献」という概念は、「アドラー心理学入門」(岸見一郎、ベスト新書)から学んだものである。
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