科学革命

遂に「意識―生命―物質の統一理論」の骨格が完成しました。

日本論

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日本精神復興運動における注意点
(1)はじめに
 私は4年前から、日本人が日本精神を復興させ、その精神で世界をリードすべきだと考えている。私はそういう歴史哲学を持っている。それ以降日本精神とは何かを考え続けている。
 そこで、日本精神の柱を三本上げると、
    和の精神
    自然との調和・共生する精神
    平和の愛好
であり、三つともその由来は縄文文明に発する。
 そこでその一つ和の精神の復興運動は、前記事で挙げた、哲学路線の救済、キリスト教路線の救済、仏教路線の救済を統合した和の路線の救済そのものになるのではないかと考え始めている。つまり、知・情・意のバランスの取れた救済ということである。つまり物事を客観的に思考できるようになり(知の救済)、人を裁かず許せるようになり(情の救済)、低次の欲求を抑えて高次の欲求を自分のものにできるようになり(意の救済)、しかもそれがバランスが取れている(和の救済)というアイデアである。これをもっと整合的な理論に仕上げたい。
 そこで、日本精神の復興運動で右翼的発想で陥りやすい過ちを指摘しておこう。
 
(2)決して日本人を型にはめようとする運動ではないこと
 右翼的発想は、「日本人はかくあらねばならぬ」というように、自分勝手に日本人の理想像を挙げて、日本人をその型にはめようとする。そして、その型にはまらない人を「非国民」呼ばわりする。そういう運動は人々の受け入れられる運動にはならず、嫌われるだけである。
 
(3)すでに日本人に普遍的に存在する精神的長所を発掘すること
 そうではなく、すでに日本人に普遍的に存在する長所を発掘して、それを伸ばそうとする運動である。
 なぜそういうことをするかというと、目的は国際貢献であって、そのためには自他の区別を良く知り、自分の長所を知った方が良いからである。
 これは個人の自己実現の場合にあてはまる、何となく自分を他人と同じだと思い込んでいたら、思わぬ食い違いで頻繁に摩擦が生じて思うように自己実現・他者貢献できないだろう。そうではなく他人の特徴と自分の特徴を良く知り、そしてその中で自分の長所を良く知った方が、その長所を生かしてよりよく他者貢献できるのである。
 そこで私は、西洋、東洋と日本の違いを良く知ったうえで、日本人の最大の長所の原因が、日本人には知・情・意のバランスを取る和の精神があることであると発見したのである。これを生かして伸ばし、世界に貢献していこうと考えているのである。
 
(4)日本が東西の文明を吸収できたのは和の精神があるから
 日本は古代律令国家を立てるときには中国から文明の型を学んで取り入れた。近代国家を打ち立てるときは西洋から文明の型を学んで取り入れた。この柔軟性は、日本人には知・情・意の全てがバランスよく統合されている和の精神が存在していたからである。
 
(5)決して諸外国を見下して優越感を感じる運動ではない
 右翼は日本人が優れていると感じて、諸外国を見下す人が少なくない。私は、そういうことを目的としようと考えているのではなく、日本人の優れている要因である和の精神を日本人が発揮して、世界の平和に貢献する運動をしたいのである。
 アドラー心理学で言われるように、優越感で幸福を得ようとするのではなく、貢献感で幸福感を得るのが原理である。優越感ではなく国際貢献で日本人が満足するのが私の希望である。
 
(6)人々の絆は思想・目的の共有ではなくあるがままの受容
 思想運動をすると絆が思想の共有になりがちで、思想の対立は運動・組織の分裂、絆の断絶に帰着してしまう。分裂しないためには強権的独裁の運動をするしかない。また、何が本当に正しいのかの精緻な議論で、思想団体の内部で思想対立が生じると内ゲバになることもある。
 したがって日本国民を一つの思想で洗脳し統一するという考えは悲惨な結果を産むだろう。
 そうではなく、全ての人をあるがまま受容する愛を高め、その愛で人々は絆を結ぶ運動が良いと私は思っている。自分と異なる思想の持ち主も受容できなければ、ユートピアはありえないだろう。すべての人を自分と同じ思想に洗脳しようとするならば、それは独善的独裁に過ぎないだろう。そうではなく、私の言う日本精神復興運動は「日本人かくあるべし」の運動と正反対である。
 実際戦後の象徴天皇は「あるがままの受容」にかなり近くなっていると思う。戦後の象徴天皇は「日本人はこうでなければならない」と型を作って、それに該当する人だけを称賛するのではなく、多様な日本人を平等に愛しているようになっていると思う。それは非常に好ましいことだと思っている。
 
(7)日本精神復興運動の注意点
    決して日本人を型にはめる運動ではない。
    決して日本人が優越感を感じて他国を見下す運動ではない。
    日本人にすでにある長所を発見し、それを生かして国際貢献をする運動である。
    全ての人(日本人・外国人・さまざまな思想の持主)をあるがまま受容し、絆を結ぶ運動である。

人間と自然との共生

2016年10月11日投稿、「人間と自然との共生」加筆訂正、再掲

人間と自然との共生
(1)はじめに
 近代的価値観は、「自然とは一方的に人間が支配すべき存在である」というものであり、現に自然を人間の都合の良いように加工し搾取している。しかし、それによって環境破壊が進み、人類の自己破滅の危機が迫ってきている。
 近代科学精神に対して、古来からの日本の自然との関係の在り方は「自然との共生」である。それは縄文文明由来の精神である。
 それで、私は、近代の一方的自然支配を止めて、日本的価値観を復活普及させ、人類は自然と共生するように努めなければならないと考える。
 そこで、人類の自然との共生が私の哲学的立場では当たり前なあり方であることを説明したい。
 
(2)主観的目的論
 これはヘーゲルが「自然哲学」で言及しているものであるが、自然が人間に役立つ目的を内在しているという考えである。例えば羊の毛は人間がそれを服にするためにあるとか、コルク樫は、それが瓶の栓になるためにあるという考えである。こう言う考えを主観的目的論という。これは神が自然を人間に役立つように創造したという考えである。
 これは現代的常識に反する。現代的常識では、羊の毛は羊のためにあるのであり、それを人間が加工して服にするのはたまたま人間に役立ったという人間側の工夫の賜物と考える。
 
(3)ヘーゲルの考え
 ヘーゲルでは人間と自然は対立していると考える。そこで人間が自然に対して実践的に振る舞い、自分の欲望の満足のために自然を支配しそれで矛盾は解消すると考える。
 自然が自分で持つ目的は最終のものではなく、人間の持つ目的が最終のものであり、自然は人間に加工されて本来のあり方になるという、人間中心の考え方である。ヘーゲルでは、自然の意志を無視するのである。
 
(4)現代科学の考え
 現代科学では、自然というものは、本来は物質的なものであり、原子や素粒子が無意味に飛び交っているだけであると考える。そこにたまたま偶然、何故だか知らないが生物が発生し、さらに偶然に進化し知性を持つ人間が登場したと考える。宇宙にとって生物や人間は異物なのである。ヘーゲルに比べても人間と自然とは分断されている。
 そして、人間は本来どうあるべきかという考えはなく、人間は欲望を持つが、知性も持っているがゆえに、一方的に自然を支配する。ヘーゲルと違って自然が人間に支配されるのは、自然が本来のあるべき状態になったとは考えない。自然支配は知性ある人間が欲望を満足したにすぎないと考える。人間の「本来のありかた」という考えはない。
 
(5)私の考え
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 私の考えでは、人間と自然はどういう関係になっているかを説明しよう。すべての人間において、意志の源流をさかのぼれば共通の意志に到達するように、人間と他生命も意志の源流をさかのぼれば唯一の意志、宇宙の進化する意志に到達する。具体的には犬とか猫とかサンマとかイワシなどもそうであり、意志の源流をさかのぼれば同じ意志に到達する。

 上の図では、紺色の丸が人間の意志の範囲で、赤丸が自然の意志であり、その上位の深い意志として黒丸の「人間と自然の根源意志」という頂点の意志を考えている。しかし、自然は自ら意志をさかのぼることができないので、意志をさかのぼるのは人間側である。人間が自己の意志を掘り、自分の意志の源流でもあり自然の意志の源流でもある黒丸を、自己の意志として確立するのが正しい人間と自然との関係の在り方である。

 これは普通の視点から見ると、現文明のように人間が自分の都合で一方的に自然を支配するのではなく、自然の意志と自分の意志が両立する深い意志でもって、内側から人間と自然の対立を解消するという人間と自然の関係の在り方である。これが「人間と自然との共生」であり、縄文時代から日本人が取ってきた自然との関係の在り方である。

 西洋では外側から自然を支配するのであるが、縄文時代以来の本来の日本人の自然の支配の仕方は、内側から自然を統御するのである。

 

(6)結論

 近代的自然の支配の在り方は、止められない環境破壊という厳しい現実に直面している。それは人類の危機である。それで、より正しい人間と自然の関係は自然の意志と人間の意志が合流する根源意志にさかのぼり内側から自然を支配することである。それは自然を外的に支配するのではなく、自然の意志を尊重する自然との共生する在り方である。

 そういう意味で、近代科学精神の暴走による自然破壊という近代文明の危機を克服するには、縄文文明由来の日本精神の一つである「自然との共生の精神」を復活拡大させ、世界中に発信し普及させなければならない。



(7)課題

 縄文文明について研究したい。




和の精神の弁証法


2017年3月29日投稿、「和の精神の弁証法」加筆訂正、再掲

和の精神の弁証法
(1)はじめに
 「弁証法」とは真実在の運動法則・運動形式と思ってよい。和の精神に意識がしたがう場合の、意識の運動法則を「和の精神の弁証法」と呼ぼう。本記事では、和の精神を主体とする運動によって、個人間の対立が解消するプロセスを描写しよう。
 
(2)意志の出現する前(正の状態)
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  通常は意志は個人が持ち始めたときに発生すると考えられているが、それは正しくない。個人が意志を持ち始める前から、異次元空間である意識宇宙に意志は存在するが、そのとき「意志は潜在的に存在する」と表現する。それが物質宇宙の肉体を持った個人に流入したときに、個人は意志を持ち始めるのであるが、それを「意志が顕在化した」と表現する。ただし、潜在的に存在するままの意志ではなく、物質宇宙の環境に合わせた形で、意志は顕在化する。

意志の顕在化を比喩で表現すると、水がバケツに入っていたとして、その水を人にぶっかけたとすると、人に水がぶっかけられたときに水が発生したとは考えないだろう。水は最初はバケツになかに存在していたのである。水がバケツになかに存在していたのに対応するのが、意志が意識宇宙に存在していたことであり、人に水がぶっかけられたのに対応するのが、個人が意志を持ち始めたことである。また、水はバケツの中に存在するのと、人にぶっかけられた時は、存在の仕方は大きく異なる。これと同じように、意志が意識宇宙に存在するときの形態と、個人が意志を持ち始めたときの意志の形態は異なる。水が人に合わせてぶっかかるように、意識宇宙に存在していた普遍的意志も、顕在化するときは個人に合わせて個人に所有されるようになる。

ともかく、意志や意識は個人が持ち始める前に、意識宇宙に潜在的に存在しているのである。この状態を「正」の状態と表現する。


(3)意志の個人間の対立(反の状態)

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   次は普遍的意志が分化して、個人Aの意志と個人Bの意志となる。もっと多数の意志に分化することもあるかもしれないが、今は簡単のため二人だけの場合を考える。共通の意志から分化した二つの意志であるが、しかし両者は対立する。

 このことは心臓と肺の関係を考えると理解できると思う。心臓と肺は両者とも、個体の生命維持のために不可欠な存在である。個体の意志という一つの意志の支配下にある。しかし、心臓と肺は異なる役割を持っているので対立している。というのは、心臓が肺に向かって心臓と同じことをせよと命令しても退けられるし、肺が心臓に向かって肺と同じことをせよと命令しても退けられるからである。つまり心臓と肺の意志は対立しあっているのだが、共通の個体の意志の支配下にあって協力し合って分業しているのである。

 同じように、異なる個人間の意志は対立することがあるが、これは共通の目的達成のための分業と思ってよいだろう。対立する相手がけしからんというのは、肺が自分の目的だけを認識し、それを絶対化して考えると心臓はいらないことをしているからけしからんと思っているようなものである。肺が自己中的に自分の目的を追求するときは、心臓の意志は邪魔なのである。酸素を吸入するのが目的であるときに、血液を循環させるのは余計で邪魔なことだと認識されるのである。自分の役割より高次な目的を認識すれば、対立する相手は、自分と高次な目的のための分業しているのが分かってくる。肺にとって実は心臓が心臓の役割を果たさないと自分を維持できないのと同じように、自分の使命に対立する他人の使命が遂行されて、初めて自分の使命の遂行も可能になるのである。

 この二段階目は対立の状態なので「反」の状態と呼ばれる。




(4)普遍的意志の顕在化(合)
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  次に対立によって、意志の源流が自覚され、その結果普遍的意志が顕在化する。ここでは個人Aを中心に考えてみよう。個人Aがある意志を持ち個人Bの意志と対立しているのが「反」の状態であった。そこで個人Aは自分がなぜその意志を持つかを反省する。その結果より深い欲求を自覚でき、それが普遍的意志の発見である。この普遍的意志を中心に見ると、自分の意志と個人Bの意志は両者とも普遍的意志の手段であることが分かってくる。すると、個人Aの意志は変容し、個人Bの意志と整合性が取れ、協力関係に入っていく。そして、さらに個人Aが個人Bに普遍的意志を自覚できるように働きかけると、個人Bの意志も変容し、個人Aとの協力関係に入っていく。

 

(5)和の精神の弁証法

 この一連の意識の運動は個人を中心に見れば、意志の自覚が深くなって対立が解消されるプロセスである。それは、個人がある意志を持ち、その意志が他人と対立し、そして反省することによって高次の意志を自覚し、その結果対立が解消されていくというプロセスである。しかし、それを普遍的意志を中心に見れば、普遍的意志が自分を顕在化させていくプロセスであり、それは先ず普遍的意志が自分を複数に分化し顕在化させ、そしてそれらを相互に対立させることによって高次の意志を自覚させ、それによって高次の意志を顕在化させていくというプロセスである。

 この、和の弁証法は実は宇宙の進化の運動の基本形式なのである。







2017年3月28日投稿、「和の精神による人間関係対立の解消」加筆訂正、再掲

和の精神による人間関係対立の解消
(1)はじめに
 超近代文明建設に向けて、日本が世界中に発信すべき精神のひとつとして「和の精神」がある。これは、人間関係対立の解消の方法でもある。
「和の精神に」ついて松下幸之助がこう述べている。「主張すべきは主張して対立する一方で、相手の立場を考え、素直な心で受け入れるべきは受け入れて調和を図る。そうした態度からより良きものが生まれてくる。」(「日本と日本人について」松下幸之助著、PHPビジネス新書)。
 日本的「和」というと、一見自分の主張を引っ込めて相手に合わして調和を図ると思われているが、松下幸之助はそうではなく、自分の主張をしたうえで、相手を受け入れ調和を図ると言っているのである。そうすると、それは簡単なことではないことが分かるだろう。自分と相手がいつまでたっても対立する次元にとどまっていては調和は不可能である。したがって、調和の実現には「視点の次元上昇」が必要である。そのプロセスを説明しよう。
 
(2)人間関係の対立の解消のプロセス(一般論)
 二人の人間関係が対立している場合を考えよう。対立とは、一方がしたいことを他方が否定することである。特に何もしたくはなく、相手にどうされても良いという場合は対立はありえない。したがって、対立とは意志と意志の対立と考えてよいだろう。対立の苦痛は意志があるから発生するのである。意志を否定されたり、欲求の満足が妨げられるのが苦痛なのである。
 そこでまずなすべきは、自分の意志を明確に捉えたうえで、さらに深く内省し、自分はなぜそれをしたいのかを認識することである。通常は自分がそれをしたいのは当たり前と思っているので、そう簡単に何故それをしたいのかを知るのは難しいかもしれないが、意志の発生する根源的欲求を認識しなければならない。
 その欲求を認識できると分かることは、対立を発生させた意志は、その欲求を満足する唯一の手段ではなく、一つの手段でしかないことが分かる。相手と対立しないで欲求を満足する別の手段があるはずである。これを見つけただけで、人間関係の対立はかなり解消する。
 そうすると、相手を心から受け入れてもそれほど苦痛ではなくなる。
 さらには、相手の意志を認識できたならば、相手にも本人の意志を発生させた根源的欲求を認識させ、その欲求を満足する自分と対立しない別の手段としての意志を持つように勧めるとよい。そうするとさらに対立は解消する。
 
(3)人間関係対立の解消のプロセス(具体例)
 ある夫婦の場合を考えよう。夫が「サラリーマンを辞めて起業したい」と言い出したとしよう。そうすると妻が、「サラリーマンを辞めてはダメ」と言って対立が生じたケースである。
 夫は、先ずは起業したいという意志を持っている。しかし、「起業したい」の認識にとどまっていたら対立は解消しない。「何故起業したいか」を深く認識しないといけない。そうすると、「どうしてもやりたい事業がある。」が根源的欲求であることが分かる。
妻の方は、なぜ「サラリーマンを辞めてはダメ」と主張したかを考えてみると「収入が不安定になるから」であることが分かる。そうすると、収入が安定的に確保できれば起業しても良いことになる。
夫の根源的欲求である「やりたい事業がある」を満足する手段は、必ずしも「サラリーマンを辞めて起業する」である必要はなく「やりたい事業をできる他の会社に転職する」という案も出てくる。また別の案として「社内起業を打診してみる」もあり得る。また別には、妻の欲求も満足する案として、「3年分の生活費をためてから起業する」という可能性もある。
このように、対立する意志に拘泥せず、なぜそうしたくなるかを反省して、より深い欲求を見つけ、それを満足する別の手段を発見することにより、人間関係の対立は解消できる。
これが私の言う「心を掘る」ということである。
 
(4)和の精神の効用
 このように、一見解消不可能に見えた対立が意志を遡ることで解消可能となる。これは「視点の次元上昇」と捉えてよいだろう。そして、両者とも自己認識が深まっている。元の意志は次元が低く狭い意志であったが、深い欲求自体はより普遍的意志で融通が利くようになっている。このように、自分の意志を遡源することは魂の進化なのである。したがって調和を目指して和の精神を実践すること、つまり、心を掘って人間関係の対立を解消することは、魂の進化の実践なのである。何故ならば、それによって自我が普遍化するからである。自我の普遍化とは、自分のためがみんなのためと一致し、「みんなのため」が「家族のため」、「会社のため」、「地域のため」、「日本のため」、「人類のため」とどんどん広くなっていくことである。和の精神による人間関係の対立の解消によって、自我が普遍化し、したがって魂の進化が促進されるのである。そして人類全体がそれを実践すれば必然的にユートピア〔理想郷〕が実現できるのである。
 
(5)宇宙の進化の原理
 宇宙の中で、人間関係に対立が存在しえるのは、この対立を通して、自己の意志を深く反省し、自己認識を深めるというように、魂の進化を促すためであり、したがって、宇宙は合理的にできているのである。合理的というのは、宇宙はうまい具合に進化でき、人間個人も進化を促されるようにできているということである。
 この原理は個々人の人間関係だけでなく、政党間の対立にも、国家間の対立にも同じである。すべてに調和を目指して和の精神を実践すれば、人類は進化できる。対立があれば、心を掘るという方法で対処するのが宇宙の進化に貢献する態度である。
 人間関係で対立が生じたら、これは魂の進化のチャンスと思えばよい。国家間の対立も人類進化のチャンスと思えばよい。
 これまで人類に争いが絶えなかったのは、対立があって、そのとき自分が正しいと思った場合、相手を叩き潰すことが良いと思っていたからであり、和の精神で対立を解消すべきということを知らず、そして和の精神が宇宙の進化の原理であることを知らなかったからである。
 和の精神を日本で復興させ、人類全体に普及させることはユートピア〔理想郷〕文明建設にはどうしても不可欠で重要なことである。
2016年11月19日投稿「日本精神の復興と世界的使命」
加筆訂正、再掲

日本精神の復興と世界的使命
(1)はじめに
 私は2014年の始めから、日本は本来の日本人の精神的傾向、価値体系を復活させ、その精神でもって東洋と西洋の精神を吸収し、そうして両者を統合する普遍化された新たな高度な日本精神確立し、それを世界中に発信し、世界をリードすべきと考えている。
 
 ここで、日本精神としてどんなことを考えているのかというと、①平和を愛好する精神、②和の精神、③自然と共生する精神、などである。もっといろいろ日本人の精神の特徴はあるのかもしれないが、その探求は現在の課題である。これから調べようと思っているが、少なくとも今あげたこの三つが日本精神の核であり、三つともその源泉は縄文文化に由来する。
 本記事では詳論はしないが、私がこれから行うべきと考えている日本精神の復興は、近代の終わりという新たな地盤での縄文精神の復興であり、いわば縄文ルネッサンスである。そしてそれが同時に超近代文明の建設である。
 
 そして、現在の日本はどうなのかというと、太平洋戦争に負けて、自信喪失をして、自分たちの精神の本当のすばらしさを忘却し、日本人であるということに誇りを持てなくなっている。その結果は欧米かぶれである。しかし、日本人が日本人としての誇りを取り戻すために日本精神の価値を認め、それを復興して世界をリードする日本にならなければならないと思っている。
 
(2)価値体系としての精神
 「日本精神」と言葉を発したときその意味内容は、精神的営みや肉体的行動を行うときの、判断基準となる日本人に特徴的な価値体系をイメージしている。つまり「日本精神」といった場合は、日本人に普遍的に広まっている価値体系を意味し、それは人間関係が対立した場合どっちが正しいかの白黒をつけようとする西洋的価値観とは違い、和を維持するのを優先したり(和の精神)、自然を暴力的に支配するのではなく、自然と調和し共生しようとしたり(自然と共生する精神)、自分は絶対正しいのだと強弁し戦争するのではなく、戦争を忌避して平和を愛好するなど(平和を愛好する精神)の日本人的価値観の体系を意味している。
 
(3)戦後日本の現状
 戦後の日本は、戦争に負けたので自信喪失し、日本的なものより欧米的なものが価値あると思い込み、日本的価値体系の真価を忘却している。人間の人格で言えば自分とは何者かが全く分からなくなる自己喪失状態である。
 それは日本の外交姿勢を見ても分かる。外国に対して積極的に働きかけず、常に受け身である。自分たちの思想・考えは価値があるものなのだと自信を持って、外国に働きかけリードする姿勢が見えない。アメリカがこう言ったからあわてて従う、中国にこういわれたから謝るとか、自信を伴った自分の考えがないのである。
 そうなっている原因は、日本的価値観を放棄し、欧米の価値観を受け入れようとしているのであるが、これが人格の中心に根差していないので、自信を持てないからである。自分は日本人であり、それには伝統が伴っているのであるが、その伝統を否定して欧米的価値観を自分に接木しても、健全には成長できないのだということに気付いていないのである。
 
(4)自分が日本人であることを受け入れなければならない
 一般に健全に自己実現するためには、自分の生まれながらの環境は否定したらダメであり、肯定して受け入れてから努力しなければならないのである。自分の生まれた家庭を否定するのではなく、こういう両親のもとに生まれた、こういう兄弟がいるということは受け入れた方が良いのである。それを前提に自己実現の努力をしなければならない。
だから、自分は日本人であり、日本という国の歴史はこうであり、伝統的価値観はこうであるというのを受け入れなければならないのである。そうしてから努力すれば、精神が地に根付くのである。
 
(5)西洋文明に対する正しい応対
 保守の言論をこれから勉強しようと思っているのであるが、それを少し調べたところ、その論調は戦後民主主義を否定する、つまり欧米型価値観を受け入れることを否定し、本来の日本人の伝統を重んじようというものであるようである。
 それはそれでよいのだが、私は本来の日本精神を復興させてそれで終わりではいけないと考えている。そういうのは国粋主義であり、国家間の対立を強くしてしまう。日本の使命は日本が日本であってそれで終わりなのではなく、世界中の文明・文化、つまり東西の文明・文化を吸収し高次の次元で統合し、それを世界原理として、世界中に発信することなのである。
 
(6)創造過程の三段階
 私は学問・芸術の創造過程は次の三段階を経るものが本物だと考えている。
    型にはまる。
    型を破る。
    新たな型を創る。
「①       型にはまる」はこういうことである。例えば絵画を修得するには、いきなり自由由勝手に描くのではなく、先人が確立した技法を習得しなければならない。それを飛び越しては、独創性もへったくれもない。そしてそれはスポーツでも学問でも同じである。先ずはオーソドックスな型にはまることから出発する。
「②       型を破る」先人の確立した型を十分吸収した後に、その型を破るときがくる。それは最初から型にはまらないのとは全く違う。型にはまった分自由自在に努力ができるのである。例えば、スポーツでも芸術でも、基本的な型にはまることから出発し、それを十分消化してから、型を破りだす。先人を超えるのである。物理学においても、科学革命を起こしたアインシュタインは先人の構築した物理学を無視して全部自分でゼロから物理学を創ったのではなく、ニュートン力学や電磁気学を吸収しその型にはまった後、その型を破って相対性理論を構築したのである。したがって創造は最初から型にはまらないことによって独創的になるのではなく、いったん型にはまってから型を破るのが原則である。
「③       新しい型を創る」型を破ることに夢中になって、新しい型を創らない学者もいるが、それは創造的とはいえず、伝統的型を破った後は、新たな境地で新たな型を創造するのが、真に創造的である。芸術で言えばピカソであり、ピカソは最初から素人には理解不能な絵を描いていたのではなく、きちんとした絵も描けたのであるが、その型を破って、キュービズムという通常の人には理解できない境地に辿り着いた。それは新たな型創りなのである。アインシュタインも、ニュートン力学は間違っていると批判しただけではなく、新たな型である相対性理論を構築した。
そう考えてみると1980年代ごろに流行った、ニューサイエンスは従来の科学を批判したのだが新たな型創りには達していないので、一時の流行に過ぎなかったのかなと思う。哲学ではポスト構造主義も、体系批判ばかりをして、新たな型は創れなかったのではないかと思う。また、ポスト構造主義は人類の未来への指針を与えることはできなかった。
 
(7)創造の三段階と日本精神の復興
 日本が世界をリードする日本精神を復興するには、先ず日本人が伝統的日本精神の型にはまることから始めなければならない。しかし、現代の日本の現状は、日本精神の何たるかが自覚的に捉えられていない。現在の学問は西洋かぶれであり、その精神では日本精神を捉えることができない。先ずやるべきことは日本精神の自覚的認識であり、その後に日本人が伝統精神を学び普及させることである。 
 そして、伝統的日本精神の型にはまった後なすべきは、その型を破ることである。そのとき諸外国の精神を吸収するのが普通だが、そのときは伝統的日本精神とその他の精神で葛藤が生じるだろう。その葛藤を乗り越えたとき、精神の次元は上がり、それが新たな高次で普遍的な日本精神の誕生であり、それは世界原理と呼べるものである。この高次で普遍的な精神こそ世界に発信し普及させる価値のある日本精神である。注意すべきは世界中に発信する日本精神は、伝統的日本精神ではなく、諸外国の精神との対立をへてそれを解消した、高次で普遍的な日本精神であるということである。伝統的日本精神の輸出は独善にすぎない。
 
(8)まとめ
私の立場は伝統的日本の精神を復興させそれで終わりとする伝統主義者の立場でもなく、欧米的価値観を受け入れ、伝統的日本精神を放棄する欧米かぶれでもなく、伝統的日本精神を復興させ、それを前提に欧米的価値観を吸収し、両者を統合するさらに高次の新たな精神の型を創り、それを世界中に発信し世界をリードするのが日本の使命という立場である。
これからそれを目指して日本精神の研究をしてゆきたい。また世界原理の核となる、日本型論理も追求したい。

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