老兵の繰り言

「特攻隊」の生き残りが後世に語り継ぐ鎮魂の記録です。続いて、自衛隊草創期のうら話などを紹介致します。

はじめに

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はじめに

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       ☆はじめに

 大東亜戦争が終結してからすでに半世紀以上が経過した。その間数多くの「戦記」が出版された。
だが、その大半は勇壮な戦場の物語りである。その上内容を補足するためか、事実に反する創作
が数多く見受けられる。

 しかし、戦いに敗れて生き残った者が、いまさら戦争を美化するような自慢話を書き残しても始ま
らない。 それよりも、わが身を犠牲にして祖国のため大空に散華された英霊の事績や、残された
ご遺族のご存念を、次の世代へ語り継ぐことこそ必要ではないだろうか。

 若くして、海軍甲種飛行予科練習生を志願し、大空に消え去った同期の友は、純粋に国家の繁栄
と肉親の安寧を願ってわが身を犠牲にしたのである。しかし、戦争中は国民から畏敬の念をもって
迎えられた「神風特別攻撃隊」も、 終戦後は単なる無駄死にとしか評価されなくなった。 そして、
己の青春を祖国防衛の礎として捧げた英霊に対して、なんら報いることのできない世の中に変わり
果てたのである。

 長い歳月の流れにかかわらず、 若くして蒼空の果てに消え去った同期生の面影が、今も眼前に
彷彿とする。昭和初期に生まれ、満州事変、支那事変そして大東亞戦争と、戦乱の昭和を生きてき
た私には、戦争を抜きにして己の人生を語ることはできない。

 幸か不幸か私は生きて終戦を迎え、平成の世まで命永らえることができた。そこで、戦没同期生
の慰霊とその功績を後世に残したいと願い、 集めた資料と己の体験をもとに、「神風は吹かず」
「かえらざる翼」「白菊特攻隊」を出版した。いずれも、戦没同期生に捧げる鎮魂の書である。
 

一、鉄砲玉とは 俺らのことさ  待ちに待ってた 門出ださらば
   戦友よ笑って 今夜の飯は  俺の分まで 食ってくれ

二、でっかい魚雷を 翼に抱え  俺の得意は いざ体当たり
   愉快じゃないか 仇なす艦に  上げる火柱 水柱

三、男命は 桜の花よ  散って九段で また咲き香る
   死んで生きるが 雷撃魂  散って香るが 大和魂

四、若い翼を 茜に染めて  燃ゆる機上で ニッコリ笑う
   それでいいのさ 俺らの一生  残す言葉も 遺書もない

 これは当時よく歌った「雷撃隊の歌」である。 皆の前では元気に歌っていた彼らだが、 今生の
別れに、話したい事や書き残したい言葉があったに違いない。だが、 大多数の者はこの歌の文句
のように、遺書も残さずただニッコリ笑って散り果てたのである。

 残された数少ない遺書や遺稿から、彼ら戦没者の心情やご遺族の存念をくみ取ってほしいとの
願いを込めて「ホームページ」を開設致しました。戦没同期生の慰霊顕彰と、昭和史の一頁に残
る歴史的証言として後世に残せれば幸いです。

 なお関係各位からたくさんの資料を頂戴しながら、技量未熟のため充分に活用出来なかったこ
とを深くお詫び致します。
 
2005年4月 
          「老兵の繰り言」編集にあたり  永 末 千 里 記

リンク
「蒼空の果てに」http://www.warbirds.jp/senri/
「自衛隊こぼれ話」http://www.warbirds.jp/senri/jasdf/

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ご指摘有難う御座います、早速変更したいと思います。

2008/10/12(日) 午後 10:53 [ hyoutan ]

写真拝見致しました。
頭部の赤い魚雷は訓練用の魚雷です。参考までに。

2008/10/13(月) 午前 6:22 sen*i0*20

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戦争は知らないけれど歌の歌詞に込められた内容に涙が出ました
また見に来させてください

2010/7/15(木) 午前 5:02 あきちゃん

ありがとうございます。
ご来訪をお待ちいたします。

2010/7/15(木) 午前 6:29 sen*i0*20

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こんにちわ、はじめまして。
私は石川出身で名古屋に住んでいますが、この間広島に旅行に行ったときに大和ミュージアムに行って心触発され戦争のことをネットで調べていました。
私は、元山航空隊第二七生隊竹口正の末裔にあたるものです。
おじいちゃんの兄が、正おじさんにあたります。
実家には、当時の写真や遺品が残っていました。
じいちゃんは私のお母さんによく「兄さんが生きていれば、こんなにも苦労しないで違う人生があった」とぼやいていたそうです。
戦争経験者の方々が減っていくなかで、こんな奇跡にも近い形でお会いできたことをとてもうれしく思います。
また訪問するかもしれません。
そのときは、よろしくお願いします。

2010/8/29(日) 午前 0:14 [ やましたしおり ]

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ご来訪ありがとうございます。竹口正少尉は第13期予備学生の方ですね。
「蒼空の果てに」をご一読ください。
http://www.warbirds.jp/senri/

2010/8/29(日) 午前 6:46 sen*i0*20

小山氏は 学徒動員で出征した 予備学生14期の方ですね 祖母は 折角大学まで出たのにと 残念な思いでしょうね

2013/9/14(土) 午前 5:45 sen*i0*20

小山氏の戦死の状況は次のとおりです
昭和20年5月14日
神風特別攻撃隊 第六筑波隊 鹿屋基地発 種子島東方機動部隊攻撃
聯合艦隊告示113号

(零戦)
中尉 富安 俊助 (東京・予備学13期)
少尉 本田 耕一 (兵庫・予備学14期)
少尉 大木 偉央 (埼玉・予備学14期)
少尉 藤田 暢明 (徳島・予備学14期)
少尉 高山 重三 (愛知・予備学14期)
少尉 折口 明 (長崎・予備学14期)
少尉 小山 精一 (東京・予備学14期)
少尉 中村 恒二 (茨城・予備学14期)
少尉 大喜田 久男 (徳島・予備学14期)
少尉 荒木 弘 (愛知・予備学14期)
少尉 時岡 鶴夫 (兵庫・予備学14期)
少尉 西野 實 (石川・予備学14期)
少尉 黒崎 英之助 (群馬・予備学14期)

2013/9/14(土) 午前 10:35 sen*i0*20

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ご丁寧に有難うございます。因みに特攻での戦死者の遺族への連絡は当時戦死からどのくらいで行われていたのか分かりますでしょうか。
誤連絡等があった可能性は考えられるものでしょうか?
筑波空友の会にも問合せしているのですが、祖母がサイパン沖を戦死地だと思っていた事が気にかかってなりません。ボケていた訳でもありませんし・・・
予備学生14期が特攻にしろそうで無いにしろサイパンに飛ばされる可能性と言うのは時期的にあり得たのでしょうか。個人的に調べた限りでは飛行時間も少ないはずですしちょっと考え難い事だとは思いつつやはり気になります。
重ね重ねお尋ねしてすみません。

2013/9/14(土) 午後 5:36 [ wat**haru2 ]

筑波航空隊は 中間練習機を終えて 戦闘機操縦の教育部隊です 我々のクラスでも 戦闘機の連中はここで訓練を受けました 訓練途中の出撃と思います 戦死月日からみて サイパンは無理と思います

2013/9/14(土) 午後 5:47 sen*i0*20

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小山の遺書から見ると祖母には小山の下に妹と弟がいるはずなのですが、妹さんは何年も前に一度祖母の法事で会ったきり、弟の方は一度も会った覚えがありません。祖母は60半ばで比較的早く亡くなっているので兄弟であれば法事には顔を出しそうなものですが、連絡先も分からずご存命なのかも不明と言う状態です。せめて二人がご存命で連絡が取れれば聞けることもあるのでしょうが・・・残念です。

2013/9/14(土) 午後 5:57 [ wat**haru2 ]

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コメントが飛んでしまいましたが、有難うございます。
私もそう思います。
本人が何か誤解を生むような事を言い残したか(そんな事可能だったか自体不明ですが)、誤連絡があったか何れにせよどこかで行き違いがあったのでしょうね。本当にありがとうございました。
本人の遺書は出征時の物ですが、出撃前に遺品の始末について書き送った手紙があるのでその日付を考えても祖母がサイパン玉砕より後に戦死している事は把握していたはずです。
あと3か月で終戦と言うところですから寧ろ事実の方を認めたくない気持ちが強かったのかも知れません。

2013/9/14(土) 午後 6:10 [ wat**haru2 ]

当時のご遺族の気持ちは 複雑ですね

2013/9/15(日) 午前 5:47 sen*i0*20

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そう思います。
私などはギリギリ昭和の生まれなせいか、子どもの頃から戦争に関する映画を観させられたりヒステリックな教育をかなり受けた方だと思います。
憲法第9条は丸暗記が当たり前でしたし残念ながら特攻隊も無駄死にの様に教えられました。如何に日本が悪かったか教える教育でしたから。
私の場合は学校で教わるより前に祖母に聞いていたのでそう思う様にならずに済んだんでしょう。
学校によっては教え方が本当に酷く、年寄りは全員人殺しと思ってしまい自分の祖父さえ恐れていたと言う子供時代を送ったと言う知人もいます。
なので、祖父母から戦争の話を直接聞く事が難しかった世代でもあるんです。
ご健在でいらっしゃる方からお話を伺える機会は中々ありませんので、また訪問させて頂きます。

2013/9/15(日) 午後 4:17 [ wat**haru2 ]

私が子供の頃 彦山川の河原で 木部飛行士(女性であったことを戦後しりました)が展示飛行を行っていました
これを眺めて 飛行機乗りを目指して 16歳で
予科練に入隊しました

2013/9/16(月) 午前 6:06 sen*i0*20

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当時女性の飛行士がいらっしゃたのですね。
知りませんでした。
初めに志して入隊を決めた時と実際入隊した後とで想像と全く違って驚かれたりした事などはあったのですか。
今もそうですが、飛行機乗りはなりたいと言って誰でもがなれるものでは無いですよね。

2013/9/16(月) 午前 11:32 [ wat**haru2 ]

木部飛行士は 福岡県築上郡の出身で 女性飛行士第一号
でした
戦後も飛行機に乗りたくて 航空自衛隊に入隊しました
ところが 当時は管制官など 米軍管理で 飛行技術より
英語が出来ないと 駄目な時代でした

2013/9/16(月) 午後 2:12 sen*i0*20

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戦後米軍管理で英語が必要だったと言うのは良く分かります。
女性の飛行士と言うのは何人もいたのでしょうか。
子どもの頃実家の近くに自衛隊の基地があった為、アクロバット飛行と言うのですか?自衛隊がデモンストレーションする事があり、何かの際に観に行き、将来の夢はパイロットと言う男の子達もいました。

2013/9/16(月) 午後 3:06 [ wat**haru2 ]

当時女性飛行士は珍しい存在でした 当時男のような服装を
していたので てっきり男性と思っていました

2013/9/17(火) 午前 5:42 sen*i0*20

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女性は確かに珍しいですよね。
話は変わりますが、ホームページの方を改めて読ませて頂いていて、日系2世の方もいらした。改めて考えると凄い事ですよね。
ご両親は確実に日本籍だったはずですので、米国で敵国人としてどんな目に合っていることかさぞや心配だったことでしょう。
米軍の方の日系2世の方でご健在の方とは米国にてお会いした事があります。日本語は一切喋られず(2世はご両親とも日本人だったはずですので喋れるのかも知れませんが)英語でしか会話は出来ませんでしたが、日本人には距離を置いている様にさえ感じました。
英雄扱いとは言え、Go fo Brokeをモットーとしている米国方の日系人部隊も当時はある種の特攻の様な気がしています。そうしなければその後米国で生きていけなかった可能性もあった訳ですし、そもそも困難だと言われた米兵救出に成功したとは言え米兵の4倍以上の死傷者を出しているのですから。

2013/9/17(火) 午後 0:59 [ wat**haru2 ]

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