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護国神社慰霊祭。
かえらざる翼 http://www.warbirds.jp/senri/08tubasa/tubasa.html
8-31、特攻基地串良
串良基地は沖縄作戦の際に、艦上攻撃機の出撃基地として使用されました。特攻出撃や夜間
雷撃にと数多くの艦上攻撃機がここから発進し、沖縄周辺の敵艦船攻撃に向かったのです。
串良基地から発進して戦死した同期生は次の10柱です。
昭和20年4月6日
神風特別攻撃隊菊水天山隊 田中 和夫 (石 川・17歳) 131空攻撃256飛行隊
同 望月九州男 (大 分・17歳) 131空攻撃254飛行隊
神風特別攻撃隊8幡護皇隊 松木 昭義 (愛 媛・18歳) 宇佐航空隊
昭和20年4月12日
神風特別攻撃隊8幡護皇隊 堤 昭 (福 岡・18歳) 宇佐航空隊
昭和20年4月16日
神風特別攻撃隊8幡護皇隊 小河 義光 (福 岡・17歳) 宇佐航空隊
昭和20年4月28日
神風特別攻撃隊第1正気隊 弥永 光男 (福 岡・18歳) 百里原航空隊
神風特別攻撃隊8幡神忠隊 犬童憲太郎 (鹿児島・18歳) 宇佐航空隊
昭和20年5月11日
神風特別攻撃隊菊水雷桜隊 小野 静雄 (佐 賀・17歳) 953空攻撃251飛行隊
同 山岡 智明 (高 知・18歳) 同
昭和20年7月22日
雷風雷撃隊 穂坂 信也 (福 岡・18歳) 931航空隊
穂坂信也1飛曹は福岡県嘉穂郡の出身です。鹿児島空の予科練から谷田部空の中練、そして
百里原空の艦上攻撃機での実用機教程まで、私と同じ道を進みました。 飛練を卒業した後は
131空の攻撃254飛行隊に所属し、天山艦攻による練成訓練を終了して串良基地へ進出しま
した。そして、沖縄周辺の敵艦船群に対して夜間雷撃を繰り返していたのです。
その間、「特攻隊」として串良基地から出撃した、百里原空時代の教官や教員それに同期生を、
断腸の思いで見送ったのです。 沖縄作戦の終了にともない、攻撃254飛行隊は香取基地へ
移動しました。だが彼は、串良基地所在の931空に転属となり、引き続き沖縄周辺の敵艦船に
対する夜間雷撃に出撃していました。
昭和20年7月21日、 その日の出撃は4機でした。 この出撃を同期の宮本1飛曹が見送って
いました。 操縦員穂坂信也1飛曹、偵察員湯川保郎中尉、電信員浅野義夫1飛曹、これは攻撃
254飛行隊が串良基地へ進出して以来の固有のペアでした。
2230、彼らは最後に離陸しました。 離陸の際 《パンパンパン……》 と排気管から異常な音を
発していました。エンジンの調子がおかしい様子でした。先に離陸した3機が左に旋回したのに、
彼だけは右旋回をはじめたので、引き返してくるものと思っていました。
ところが、彼の機はそのまま低く垂れ込めた暗雲の中へ爆音を残しながら、志布志湾の方向へ
姿を消し去ったのです。そして翌朝、彼の飛行機だけは帰投時刻を過ぎてもついに帰還しません
でした。 彼もまた、教官や教員それに数多くの同期生の後を追うようにして、 沖縄の海に消え
去ったのです。
福岡県護国神社で例年行われている慰霊祭に、 穂坂君の母親が彼のお姉さんを介添えにして
参加されました。 その時の話に、「偉い人はあの時期、 戦争が終わることはわかっていたはず、
無理に命令を出さなくてもよかったのに……」と、慨嘆されました。
命令を下す者。命令によって死を覚悟して攻撃に向かう者。人それぞれの運命というべきでしょう。
最愛の息子を亡くされた母親の嘆きは、日時の経過で薄れるものではありません。 何とお慰め
すればよいのか、その言葉はみつかりませんでした。
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7月21日とは、あと、少しでしたのに、切ないです。
2006/6/26(月) 午前 7:14
8月15日に出撃した同期生もいます。 当時は皆狂っていました。
2006/6/26(月) 午後 6:15
8月15日ですか。。戦争は、正常な人間も狂わします。それが、戦争でり、人間なのですから、どうか、そのお心をお許しくださいませね。
2006/7/1(土) 午前 11:10
終戦の詔勅を聞いた後、五航艦司令長官宇垣中将は、部下十一機を道ずれに 出撃しています。
2006/7/1(土) 午後 3:10
確か特攻を組織された上の方は最後まで戦争を非難し特攻おも認めたくなかったようですね、敗戦後自らの命を時間をかけて絶たれたそうですね。 指揮官の名前を忘れてしまいました。戦争に善悪なし亡くなられた全ての霊が安らかなることをお祈りいたします。
2007/2/7(水) 午後 9:43 [ - ]
終戦の翌日割腹自殺された、大西龍治郎中将のことですね。 「特攻の原点」をご一読ください。 http://www.warbirds.jp/senri/23ura/39/genten.html
2007/2/8(木) 午前 6:38