|
ここに百里原航空隊ありき。
昔日を偲んで http://www.warbirds.jp/senri/
15-42、真の願いは慰霊碑です
われわれが飛行練習生を卒業した後の百里原空は、実施部隊に改編され、教務飛行
は中止されました。 そして、われわれを教え育てていた教官や教員が中核となって、
「特攻隊」が編成されたのです。 そして、 訓練に使用していた使い古しの飛行機に、
最後のご奉公の機会が与えられのです。
昭和20年4月以降、 艦爆隊(第1飛行隊)は第2国分基地へ、艦攻隊(第2飛行隊)
は串良基地へそれぞれ進出し、沖縄周辺の敵艦船に対して、還らざる「体当たり攻撃」
に飛び立ったのです。
出撃年月日 特攻隊名 機種 機数 戦死数 指揮官
昭和20年4月 6日 第1正統隊 99艦爆 10機 20名 大尉 桑原 知
同年 4月12日 常磐忠華隊 97艦攻 4機 12名 中尉 畑 岩次
同年 4月28日 第2正統隊 99艦爆 6機 12名 中尉 後藤 俊夫
同年 4月28日 第1正気隊 97艦攻 2機 6名 少尉 須賀 芳宗
同年 5月 4日 第2正気隊 97艦攻 2機 6名 中尉 五十嵐正栄
同年 5月12日 第3正気隊 97艦攻 1機 3名 少尉 堀江 荘次
同年 5月25日 第3正統隊 99艦爆 1機 2名 上飛曹 安斉 岩男
同年 6月 3日 第4正統隊 99艦爆 3機 6名 中尉 關島 進
昭和51年3月、当時の第2飛行隊長、後藤仁一氏が関係有志に呼びかけ、百里原空
の跡地の一角に桜を植えて記念碑を建立しました。そして、戦死者及び殉職者の名簿
を軍艦旗に包み、3吋砲薬莢に収めて碑の下に埋めました。形は歴史を語り継ぐ記念
碑ですが、われわれの真の願いは慰霊碑です。
航空自衛隊百里基地には当時2名の同期生が勤務していました。団司令部総務部長の
鶴田守治2等空佐と、整備補給群補給隊長の江藤光總2等空佐です。江藤光總2佐は
私と同じ百里原空の卒業生です。彼らをはじめ、航空自衛隊百里基地隊員の献身的な
ご支援を受け、5月8日有志80余名が集い、除幕式を行いました。
今後とも桜の花の咲く頃にはここに集まって、 祖国防衛の礎となり、「蒼空の果てに」
散華された若者たちを偲んで戴ければ幸いです。
☆今日の一言☆
袖振り合うも他生の縁
[AOZORANOHATENI]
|